『はかりごと。』2005.01.25

 


 いつもの如く、のどかな昼下がり。

 八戒は、編み物をしている。
 はじめた頃より、だいぶ慣れた様子で、わからないと騒ぎながら編み目を数える事も少なくなっていた。
 赤みの勝った深い茶に、碧やグレー、紫や金茶などの色が少しづつ混じった毛糸は、ただ編むだけで綺麗に映えるが、網目を数え直したりするときは骨が折れるのだ。
 何を編んでいるのか等、興味は無かった悟浄だが、完成を間近にして、なんとなくその全容が見えてきた。
 マフラーや手袋といった小物ではなく、どうやらセーターを編んでいるらしい。
 そんな事を考えながら、けだるい午後の光が差し込むリビングで、タバコをくゆらしつつ、悟浄は見るともなしに八戒を見ていた。 手元に集中して、表情無く手を動かす八戒は、冬の柔らかい日差しの中で、一幅の絵のように綺麗に見える。
 この家ではお馴染みとなった、穏やかな静寂が、室内を支配していた。





 ――― はかりごと。 ―――





「なあ。」
「はい?」
「猿の野郎、最近来ねぇな。」

 もう、二月も半ばを過ぎていた。 そういえば、ここ十日ほど、悟空を見ていない、と思いついた悟浄が、呟くように言う。

「ああ、悟空はもう、卒業です。」
「え、そうなの?」
「そうですよ。 あれ、言ってませんでしたっけ?」

 手元から目を離さず、八戒が淡々と言った。

「聞いてねぇ、と思う。」
「基本的なところ、つまり文字を読んで書く、と言うところまでは大体、出来るようになったので。 お寺の方が本は沢山あるでしょう? 自宅学習に切り替えたんですよ。」

 悟浄は、同じソファに座ったまま横目で八戒を見やって、疑わしげな視線を送る。

「イイのか? あの程度で出来るとか言っちまって?」
「悟浄は見てないから知らないでしょう。 今では結構なモンですよ、悟空も。」
「そおかぁ?」
「そおですよ。 殆どまっさらな状態で始めましたから、ここまで出来るようになるなんて、正直僕も驚いてるくらいです。 悟空も頑張りましたけど、僕も努力が報われたって感じですよね。」
「ふーん。」

 半眼で煙を追う悟浄を見やると、八戒は手を止めて、コキコキと首を鳴らした。
 それを横目で見た悟浄が、ゆっくりと立ちあがりながら、言う。

「八戒、肩揉んでやろうか。」
「え?」

 驚いて見返す八戒に、ニヤリと笑って応えた悟浄は立ちあがると、その背後に回り、肩を揉み始めた。

「うぅ・・・。」

 特に自覚していた訳では無かったのだが、実際に凝っていたらしい。 思わず声を漏らす八戒をからかうように悟浄が言う。

「ババアみてえな声、出すんじゃねぇよ。」
「あはは、ひどいなあ。」
「お前の目って、肩こりとか、なりやすいんだろ?」
「モノクルにしてから大分、楽なんですが、根を詰めるとさすがに少し、きますね。」
「やっぱ、ソレ、良いんだ。」
「おかげさまで、快適です。」
「はん。」

 悟浄の手が、肩から首にかけてを揉み解していく。

「上手なんですね、こんな事も。」
「キモチ良いんだ? マジに凝ってんな。」
「ねえ、悟浄。 賭けをしませんか?」

 唐突な発言に、悟浄は器用に片眉をあげて問う。

「はん? どんな?」
「このセーターが、明日の夜までに仕上るかどうか。」

 編み始めてから、一月程が過ぎていた。 完成を間近に控えているらしい事は、悟浄から見ても分かる。

「そりゃ、お前がメチャクチャ有利だろ。 賭けになんねぇよ。」

 揉む手を背骨の方へ移動させ、肩甲骨の辺りまで揉みながら、せせら笑うように悟浄が言う。

「ですから、僕は仕上がる方に賭けますよ。 たぶん、ギリギリどうかなって感じなので、極力急いで、僕は仕上げる。」
「俺は無理って方に賭けることになんのね? 妨害するぜ、そう言う事なら。」
「それは、自由と言う事にしましょう。 当然、僕もそれを阻止するべく努力しますし。」
「テキトーに手ぇぬいて、出来あがった事にすんのも、ナシな?」
「じゃあ、完成したかどうかは、悟浄が実際に着て確認すると言うのはどうです? それなら一方的に僕だけが有利、と言う事にはならないでしょう?」

 悟浄は、口の片方だけを僅かにあげて斜に構えた笑顔を作る。

「ふーん。 で、ナニ賭けんの?」
「負けた方が、一日相手のいいなり、っていうのは?」
「面白そうじゃねぇの。 どんなことでも?」
「どんなことでも。」

 今度は満面で、嬉しそうに悟浄が笑った。

「俺、一度見てみたかったもん、あんだけど。」
「何です?」
「八戒の女装。」
「・・・・・・・はい?」
「ちゃんとメイクもすんだぜ? んで、呑みに行ったりすんの。」
「あはは、それはかなり嫌ですねぇ。 でも、僕が着られるような女物の服なんて、そうは無いでしょう?
 それが見つかるようなら、アリかもしれませんけど。 一日しか無いんですよ?」

 眉をひそめて、それでも笑顔で八戒が言うと、変わらず満面に笑みを浮かべ、悟浄が答える。
 
「アテは、無い事も無い。」
「そうなんですか?」
「任しとけ。」
「ヘンな事で威張らないで下さい。」

 肩を揉みつづける悟浄に、顔だけ振り向いて、八戒が突っ込んだ。 悟浄も楽しそうに返す。

「お前は? 勝ったらどーすんの?」
「そおですねえ。」

 言いさして、八戒は顔を前方に戻し、にっこり笑って言った。

「・・・・僕、催眠術の本を読んだんですよ、だいぶ前ですけど。 大体、理論は解かったんですけど、実践が伴って無いんですよね。 その実験台になってもらおうかな。」

 肩を揉んでいた悟浄の手が止まった。

「・・・・・・ぞっとしねえな。」
「僕だって、女装は嫌ですよ。」

 肩もみを再開しながら、ニヤニヤ笑いを取り戻した悟浄が、酷く嬉しそうに答えた。

「そお? 似合うと思うけど。」
「気持ち悪い、とか言って、蹴られそうですけどね。 だいたい、僕は女装するにはデカすぎるでしょう?」
「スーパーモデルだと思えば。」
「ま、良いですけどね。 僕、負けませんから。」
「そうくるか。 イイぜ、乗った。 賭けようじゃねぇの。」
「では、成立ですね。 ああ、悟浄、ありがとうございます。 もう、良いですよ。」
「ほーい。」

 言いながら、肩を揉む手を止めた悟浄は、その手を胸元に滑り込ませ、唇を耳に寄せた。 息を吹き込むように、つぶやく。

「妨害工作、しねえと。」
「・・・っ・・・そう、来ますか。」

 いきなりの行為に虚を付かれ、身体が反応してしまった八戒が、やっとのことで反論するなか、悟浄の手は澱みなく動く。

「そりゃな。 ・・・なんたっけ、一挙両得ってヤツ?」

 シャツの前をはだけて、指が胸の尖りを弄り始めた。 唇は執拗に耳を舐っている。

「・・・ふ・・・本当に、女装はイ・・・・ヤです、よ。」
「俺だって実験台は嫌だモンね。 真剣よ?」

 股間に進んだ片手が、八戒のものを布越しにつかんだ。

「あっ」
「こんな、なってんだ。」
「・・・・ほっといてください。」
「そうはいかねぇ。」

 唇と舌は、耳から首筋へと徐々に移動し始めていた。 胸に施す愛撫を止めぬまま、布越しに蠢いていた手が、ズボンの前を開け、八戒にじかに触れる。

「くっ・・・・ズルイ、悟浄・・・! これじゃ僕の方が圧倒的に不利じゃっ・・・・・!」
「明日の夜まで離さなきゃ、俺の勝ち、だよな?」
「・・・・そんな風に・・・上手く・・・」
「行かせるさ。 俺、ぜってー負けねぇから。」
「ぁッ・・・・・!」
「な、ベッド行こうぜ?」


「・・・・・ぁ・・・・ん・・・・」

 結局、手管に流されてしまった八戒は瞳を熱で潤ませて、抑え難い声を漏らしていた。
 突然、激しく突き上げられて、思わず声を上げる。

「はぁっ・・・・・ごじょう」

 碧の瞳を薄く開いて、八戒は悟浄の片手を取ると、自分の首に触れさせた。

「なんだよ、どうして欲しい?」
「・・・・悟浄、・・・締めて。」

 悟浄の動きが止まる。

「ばか、ふざけんな」
「・・・・締めて。 悟浄・・・やって」
「冗談じゃ・・・」
「お願い・・・・! 悟浄!」

 熱に浮かされた翡翠の瞳が、涙に潤んで哀願する。
 ごくり、と喉を鳴らし、悟浄は首にかかった手に力を入れた。

「・・・・ぐ」

 苦しげな声を出す八戒に、ぎくり、として悟浄は手から力を抜く。

「だめ、止めないで。 ・・・・悟浄」

 熱に浮かされたように八戒の哀願する姿を見て、紅い瞳に狂気がよぎった。 僅かに震える手に、再び力が入り、八戒の身体が緊張する。
 悟浄のものを収めた場所にも力がこもり、強い快感に、挿入している側も顔を歪めた。

「八戒・・・・!」

 次の瞬間、白濁した粘液が、二人の腹を打った。 首に当てた手を離し、後を追うように悟浄も絶頂を迎える。
 荒い息が整わぬまま、悟浄は八戒のあごをとり、顔を自分に向けさせて、言った。

「・・・・お前、イったの? 今ので。」

 はあはあと息を荒げる八戒は、碧の瞳を潤ませて見返すのみで、言葉は無い。

「首締められっと、イイの?」
「・・・・・・・。」
「・・・・俺に、殺されてぇ、とか?」

 弱々しく、八戒は頭部を横に振った。

「んじゃ、ナンだよ!」
「・・・・・・ごめ・・・んなさい。」
「―――つか、大丈夫か、お前。」
「大丈夫です。 悟浄、力加減してくれたでしょう?」
「そりゃ、あたりまえ・・・・」

 言いかけて、カッと頬の赤みを強めた悟浄は、八戒の肩口にキスをしながら言葉をつないだ。

「まだ、死にてぇの?」
「・・・・違います。」
「んじゃ、ナンだよ。」
「何でも無いんです。 スミマセン、変なことさせて。」
「ナンでもねえ訳ねぇだろ!」

 言いながら、悟浄の舌は耳から首筋にかけてを舐り始めた。

「フツーじゃねえ。 こんなん。」
「もともと、普通じゃ無いじゃないですか、僕達。」
「うるせえ。」

 最初からやりなおそうとするかのように、執拗な愛撫を施しながら、悟浄は低い声で続ける。

「俺は嫌だからな。 お前が居なくなるなんざ、ぜってー許さねぇ。 自分で首吊ろーが、もっぺん腹切ろーが、死なせてなんざ、やんねぇよ。」
「そんな事は・・・ぁ・・・・しません・・・ン」
「ナニ考えてんだ、てめえ! わかんねえよ、マジで!」

 八戒の中に留まったまま、再び力を得たものが、八戒を苛み始める。

「畜生、くそ! いい加減にしろ、この!」
「ぅっ・・・・ぁ・・・ごじょ」

 訳のわからぬまま、怒りが悟浄を奮い立たせてしまっていた。
 ついさっき、八戒に言われるまま、首を締めてしまった自分もその怒りの対象である。 無論、それを自分にさせた八戒も。

「コレだけじゃ、ダメなのか? コレだってイイだろ?」
「は・・・・あ・・・あ・・・・・」
「イイって言えよ!」
「・・・・・・・ン・・・・・い・・・いい・・・・・!」


 ぐったりとしたまま、眠りに入ろうとする八戒の身体を、ざっと清めると、悟浄はシャワーを浴びに浴室へ入った。
 熱めに設定してある飛沫が、悟浄の俯いた頭部から胸辺りに激しく当たる。
 ・・・・・八戒がおかしいと感じては、いた。
 妙に上機嫌だったり、呼びかける声も耳に入らないほど、何かを考えて居たり。
 思えば、編み物をはじめた辺りから、少しおかしかった。
 気付いては、居たのだ。 また何か碌でも無いことを考えているのだろう、とほおって置いた、自分が悪かったのだろうか。
 身体を清めることもせず、ひたすら打ちつける飛沫に身を任せていた悟浄は、頭を振って、纏わりつこうとする『嫌な考え』を振り払おうとしたが、それは執拗だった。

 八戒が、自分から去ろうとしているのではないか。

 そんな考えが、浮かんでしまう。
 理由は無い。 直感、と言うべきか。
 だいたい、突然言い出した『賭け』も、ヘンだ。 今までそんな事を言ってきた事など、無かったではないか。
 むしろ、悟浄が言い出しても、笑っていなしていたのが八戒ではなかったか。
 何か、企んでいる。
 悟浄には、そうとしか思えなかった。

 何故、首を締めろ、などと言い出したのかについては、思い当たることが、ひとつだけあった。
 あの眼鏡屋の店員だ。
 李二理と名乗る女が、ついこの間、自分たちの間に割って入ろうとした。 優しげな風貌をして、内面は酷く怖い女だった。
 その女が、行為中に首を締められた、と言う話を八戒にしたらしい。
 それを八戒は羨ましいと感じたと、その女が言っていた。

(羨ましいからって、俺に言うか、それを? ・・・・つっても、他のヤツに言ってたら、もっと怖えーけど)

 ともあれ、八戒がその話を聞いたのは随分前らしいのに、何故今ごろになってそんな事を言い出すのだ?
 そう考えていくと、またもさっき浮かんでしまった『嫌な考え』に行きつく。
 八戒は、自分たちの関係を、末期だと感じているのではないか。 或いは、もう終わりにしようと考えている、とか。

 身勝手で、我侭。 あんなエゴイストを、悟浄は他に知らなかった。
 傍目に優しいと映る彼の行動も、全ては『自分がそうしたい』からなのだ。
 本来持っている性質が『優しい』と表現されがちな物である為、他人の目にそう映る事は滅多に無いが、八戒は、自分がしたくないことは、本当にしない。 自分もそう言う面が、無いとは言わないが、八戒ほど徹底してはいない。
 普通そう言う事は、徹底など出来ないものだ。
 それを、あの男は、ツラっと笑顔でやってのける。
 その八戒が、自分に首を締めるよう仕向けたのである。
 なにかしら、理由があるはずだ。 口では色々言うが、気分や衝動で行動する男ではない。 行動基準がハッキリしていないと、動かない、そういう奴だ。
 またひとつ頭を振って、泥沼化しそうな思考を振り払い、やっと悟浄は身体を洗い始めた。

 ベッドに戻ると、そこはもぬけの殻だった。
 八戒はあのまま眠りに入った、と思っていた悟浄は、先ほどまでの自分の思考もあって、慌ててリビングへと走り入る。
 居た。
 ソファにかけて、表情の無いまま、編み物にいそしむ八戒が。

「ナニしてんだ、てめえ!」
「負けられませんから。」
「もう賭けなんざ、いいよ、どうでも。」

 怒りを滲ませて、紅い瞳が八戒をにらみつける。

「それじゃ、僕の不戦勝ですか?」
「そーゆーコトじゃねぇだろ!」
「そうゆう事ですよ。 だって、ああでもしないと、悟浄、本当に明日の夜まででも続けそうでしたから。」
「・・・・・! お前、『首締めろ』つったの、賭けのため?」
「そおですよ。 だって、もう夕方ですよ?  急がないと、ですからね。」

 はあっ と大きく息を吐き、いったんうずくまった悟浄が、疲れきったように顔を上げ、八戒を斜めに見る。

「・・・・・・反則だろ?」
「悟浄、引いたでしょう? やる気無くなったでしょう。 狙い通り、ですよね。」

 目線を編み物から離さず、無表情に話す八戒に、疑わしげな視線を送りながら、悟浄が言葉を継ぐ。

「マジか、てめえ。 ナンカまた碌でもねぇコト、考えてねぇか?」
「さて。」
「じゃ、ねーだろ!」
「どんなことをしてもらおうかって考えるのは、結構わくわくしますけど、これって『碌でも無い事』ですかね?」
「この! 根性悪!」
「最近、磨きがかかってきたでしょう? 悟浄のおかげかも、ですよ?」

 カッとして赤みが指した顔が、怒りに歪む。

「だからって、てめえ! 言って良いコトと悪いコトの区別もつかねぇのかよ!」
「女装は嫌なので。」

 無表情に言い継ぐ八戒の左側面に、悟浄のこぶしが激しく当たった。 ソファの上に倒れた八戒が、口の端に滲んだ血をぬぐいながら、たった今自分を殴った男を見上げる。

「妨害は自由と言いましたが、暴力はいけませんよね。 反則でしょう?」
「さっきのてめえだって、充分反則だ!」
「なら、これでお相子です。 なしなしにしましょう。」
「・・・! 勝手にしろ!」

 足音も高く、悟浄が出ていった。
 それを見送りもせず、身体を起こした八戒は、何も無かったように編み物を続ける。
 表情を失ったまま。
 なんとしても、負ける訳にはいかない、と八戒は自分にいい気かせる。
 彼はひそかに、自分自身とも賭けをしていたのだ。
 決意と、欲望との間で。

 悟浄は、憤りのあまり何も考えずに、ひたすら大またで歩いていた。
 シャワーを浴びながら、八戒を心配してしまった自分が腹立たしく、それを踏みにじった形の八戒に対して、抑えようも無い怒りが込み上げた。 考えれば考えるほど、腹が立つ。
 言うに事欠いて、首をしめろとは何事だ。 しかも、自分も言われるままに動いてしまった。
 だが、あの時、八戒が懇願してきた眼。

(・・・・・あれが、賭けに勝つための芝居だったってか? そんなモンに、俺が動かされたのか?)

 いいや、違う。
 いくらなんでも、演技なら、自分はあの手に力を入れることなど出来なかったはずだ。

(ちょっと待て。 あいつ、アレでイったよな? なら、やっぱマジ?
 つー事は、これからもエッチの度に首締めろって言うのか? ・・・・・冗談じゃねぇぞ)

 気付くと、賭場へ向かう途上にいた。
 何も考えていなかった為、足がいつもの道を選んでいたようだ。
 この時間なら、いつものパターンが通用する。 このまま行ってしまおう、と考えた所で、まさかこの状況は、八戒の思惑通りなのでは、と思い至った。
 自分がこんなに苛立っていることも、あの怜悧な頭の中で、計算されていたことなのではないか。

(手のひらの上、か。)

 その言葉の意味する苦さを、悟浄はひとり、噛み潰す。

(・・・・・そうそう思い通りになってたまるか)


 木立に囲まれた小さな家のリビングで、八戒は編み物を続けている。
 手は着実に動いているが、意識は過去へと飛んでいた。

 始めて会った時。
 目に入った紅に、既に惹かれていたのかもしれない。

 八百屋の前で再会した時。
 あの紅の傍なら、息がしやすい、と感じた。

 暮し始めて、そのさりげない優しさに、甘える訳にはいかないと、むきになった時期もあった。

 訳の分からぬまま、結ばれていた。
 そして自覚した。
 これが、恋だと。
 この紅の傍にありたい、と。

 そう自覚した瞬間から、恋しい気持ちとほぼ同等の強さで、恐怖を感じていた。
 いつか、傍にいられなくなる日が来るのが怖い。
 あまりに怖くて、自分から距離を置こうとした事が、何度か、あった。
 だが、その度にあの褐色の力強い腕に抱きしめられて、つかの間の安寧に身を委ねてきた。

(僕は、欲張りだ。 不確かな束の間の幸福に安住できない。 確かな永遠が欲しい。 ・・・・・悟浄の意思を捩じ曲げてでも。)


 繰言のような思考を、どうどう巡りさせていた八戒は、ドアの開く音が聞こえるのに気付いた。
 それに続いて、大またで近寄る足音が、リビングの静寂を破る。
 気付くと、もう空が白み始めている。 
 何時の間にか、徹夜してしまったらしい、と自覚し、八戒は小さく息を吐いた。
 リビングのドアを開けて、悟浄が無言のまま入ってきた。

 『ただいま』の挨拶も無く、部屋を出た時と変わらずソファに陣取る八戒を見やり、立ち尽くす。
 よほど急いでここまで来たのか、僅かに息が荒くなっているのが、静まり返ったリビングに響いた。 が、この時間まで帰らなかったのにも拘わらず、その息に酒精は感じられない。 そのかわり真一文字に引き締められた口元には、強い意思が滲んでいる。

 八戒は、依然、編み物に集中していた。
 当然、同居人の帰宅には気付いているが、『おかえり』の言葉も無い。 口の左側が、僅かに腫れているのを認め、悟浄は顔をしかめたが、言葉にはしない。
 唐突に、悟浄は、がん! とテーブルを叩く。
 その音を耳にしても、八戒に変化は無い。
 無言のまま、八戒を見つめていた悟浄は、天井を見上げて深呼吸をひとつ、する。
 首をコキコキと鳴らしてから目線を落とし、それにつれて足元を見る形となった頭部から、はらりと落ちた前髪を片手で掻き揚げると、そのままがしがしと頭を掻いた。
 今度は小さく、息を吐いて、視線を再び、ソファの上の同居人に合わせる。
 険しさの見える紅い瞳が、若干熱を持ち、そのままゆっくりと八戒に歩み寄ると、その前で立ち止まった。 そのままそこにひざをつく。 下を見ていた紅い瞳は、徐々に目線を上げ、やがて少し伏せられた碧眼に到達した。
 手元から目を離さない八戒を、上目遣いに見上げるような格好になって、悟浄は同居人の口元に手をやった。 赤みを帯びて腫れた左側に指を滑らせる。
 それにも反応を示さない八戒に、若干眉をしかめた悟浄が、口を開く。

「お前また、出てこう、とか、思ってんじゃねぇだろーな?」

 編む手を止めず、八戒は小さく息を吐く。

「・・・・・・・・・・なんです、やぶからぼうに。」
「前に言ったよな。 ナニがあっても、出てくって言わねぇって。」
「・・・・・そうでしたっけ。」
「言った。 今よりもちっと、素直だった頃に。」

 その言葉に反応して、八戒は手元から目を離した。
 碧の瞳が、柔和な色を湛えて、紅の瞳を見返す。

「・・・・・・その頃の僕の方が、よかった、とか?」
「お前はお前だ。」

 八戒は笑みを浮かべる。 とても優しい笑みを。

「出てく、とか言うなよ?」

 その笑顔に溶かされるように、悟浄の表情から険しさが消えた。

「俺とオンナジ事思っちまうようなひねくれたヤツ、お前の他にいねぇんだよ。」
「悟浄、僕は何も言ってませんし・・・」
「でも考えてんだろ?」

 八戒の言葉を遮ってそう言い切ると、悟浄は眼を伏せた。 頭部がゆっくりと降下する。 ひざ立ちの姿勢のまま、やがて八戒のひざに頭がおちついて、悟浄はゆっくりと目を閉じた。
 八戒もそれを見下ろして、動かない。

「一緒にいようぜ、ずっと。
 エッチがイヤだってんなら、もう二度としねえ。
 お前がそうして欲しいなら、実験台でも何でもなってやるよ。
 いつだって荷物持ちするし、帰ったらちゃんと灯りも消す。 空き缶も灰皿にしねえ。 もっと早く起きる。 腹立っても、キレねぇようにするからさ。
 だから、一緒にいようぜ。」

 片手を編み針から離し、八戒は悟浄の髪を撫でる。 しばしそうしていたが、やがて、低めの囁くような声で答えた。

「どれも、不可能としか思えませんよ、悟浄。」
「今度こそ、ちゃんとするよ。」
「・・・僕は貴方が好きですよ。」
「知ってる。」
「なら、何故そんなこと思うんです?」

 目をとじたまま、悟浄がつぶやく。

「だってお前、そういうヤツだもんなぁ。」
「・・・・・・・・。」

 悟浄の髪を撫でていた八戒の手が、止まった。 片手に持っていた編みかけを脇に置くと、ひざの上に頭を載せたまま動かない悟浄に、覆い被さる。 八戒の心臓の音が、目を閉じたままの悟浄に伝わった。
 鼓動が早い。
 それと知って、悟浄の心拍数も僅かに増える。

「悟浄、実験台に、なってくれる?」
「なる。」
「セーターが、間に合わなくても?」
「ンなの、関係ねぇ。」
「なら、ベッドに行きましょうか?」
「あ?」

 悟浄が身を起こそうとするのを邪魔しない様に、八戒もソファの背に身を任せた。
 赤と碧の瞳が、お互いの存在を認める。
 碧の瞳が、それまで悟浄が見たことのない色に染まっていた。 情欲が滲んで、潤んでいるのだ。
 ごくり、と悟浄は喉を鳴らした。

「『エッチが嫌』だなんて、思ったこと無いです。」
「・・・・・・・マジ?」
「マジ、ですね。 ・・・・あはは・・・」

 照れたような、わざとらしい笑い声を上げ、八戒が悟浄を抱きしめる。
 いきなりの展開に面食らいつつも、悟浄は脈拍の増加を自覚する。 それに追い討ちをかけるように、八戒の唇が悟浄のそれを捉えた。 積極的に動く舌に応えながら、悟浄の腕が激しく八戒の背を抱き、位置関係を逆転させた。
 唇が離れ、悟浄は八戒を見つめる。
 八戒は言葉を口にしない。
 だが、その瞳が、雄弁に物語っている物を、悟浄は理解した。

「OK。 行こうぜ。」


 ・・・・・・八戒の部屋に、甘く熱い時間が流れる。
 悟浄は、いつに無く積極的な八戒に煽られつつも、心の片隅にくすぶる不安もぬぐいきれない。
 二律背反する内心が、悟浄を常に無く乱暴にしていた。 荒々しく抱かれながら、八戒は強く悟浄を求めて何度も、言葉には出さずに態度でせがむ。 それに過剰に応えながら、やはり悟浄は違和感が拭えない。
 八戒はうわ言のように

「悟浄・・・・・・好き、愛してる。」

 と、何度も言った。
 自分から誘って来たことといい、今までに無いことだった。

(やっぱ、コイツ、おかしい。)

 と、悟浄は思う。
 それでも、求められたことは嬉しく、言葉をくれる八戒を愛しく思ってしまう気持ちも止められない。
 二人とも汗みずくになって、何度も何度もお互いを求めあった。
 やがて、意識を失った八戒が、ぐったりと身体の力を失う。
 それと知った悟浄も、己の意識を睡魔に委ねた。
 満ち足りた疲労感と、違和感を伴う感慨を同時に感じながら。





 《To Be Continued For はかりごと。2






 あはは、またも長くなってしまって、三編に分けることにしました。
 どうか、お付き合いくださいませ。

 
 


(プラウザを閉じてお戻り下さい)