『家族ごっこ その3』2005.04.05

  



家族ごっこといっても、日常生活とあまり変化はなかった。変わった点は、酒屋役の悟浄が出て行ったことと、悟空が三蔵を父ちゃん、八戒を母ちゃんと呼んでいる点のみである。それでも悟空は嬉しいらしく、用もないのに三蔵や八戒を呼ぶ。三蔵にうるさいと怒られても繰り返し呼んでいる。
「二人とも、お茶が入りましたよ。お菓子もどうぞ」
 八戒はいつものように長旅でたまった洗濯物を洗った後にお茶を入れてくれた。たったそれだけのことでも嬉しくて仕方がなく、悟空は笑顔でありがとう、と言う。
「母ちゃん」
「どうしたんですか、悟空?」
「へへ、なんでもない」
 八戒にぽすん、と抱きついて悟空がじゃれる。満足そうに笑う悟空を見て、八戒も嬉しくなり、気持ちが和む。
「いつまでそうしている気だ、馬鹿猿!」
 言葉と同時に、スパーンと小気味良い音がした。
「いってぇ!いいじゃんか。だって八戒…じゃなかった、母ちゃんに抱きついてると気持ちいいんだもん」
「てめぇが良くても、八戒が迷惑だろう」
「三蔵、僕は構いませんから…。それより、お茶が冷めちゃいますよ。悟空も、冷めないうちに飲んで下さいね」
 三蔵はあまり悟空を甘やかすな、と言って茶を飲み始めた。悟空も八戒の体から離れ、椅子に腰掛けて湯飲みに手を伸ばす。二人のそんなしぐさを見ながら、八戒も悟空の隣に座って自分の分の茶を入れ始めた。
「悟空、飲み終わってからでいいので、お母さんの代わりにお使いに行ってきてくれませんか?」
 三蔵には、八戒が「お母さん」の部分を妙に強調して言ったように聞こえたが、言われた悟空は特に気にしていないようだったので、何も言わないことにした。
「お使い?いいよ。何買うの?」
 悟空はあっさりと承諾する。八戒は先ほど悟浄に渡したのと同じ紙にさらさらと字を書いて、その紙を悟空に渡した。
「お金は少し余分に渡しておくので、余ったらお菓子を買ってもいいですよ」
「本当!?ありがとな、母ちゃん!行ってきます!」
 悟空は湯飲みに残っていた茶を一気に飲むと、渡されたメモと金を握り締めて出て行った。


 ばたんと勢い良くドアが閉まると、急に静かになる。午後の日差しと静寂を心地よく感じながら、八戒は自分用に少し濃いめに入れた茶を一口口に含んだ。
「おい」
「はい」
 静寂を破ったのは三蔵の低い声で、八戒は返事をして彼の方を向く。
「猿を甘やかすな」
「いいじゃないですか、別に」
「良くねぇ。甘やかすと、ますます馬鹿になる」
「そんなことないですよ。心配性ですね、三蔵パパは」
「…殺すぞ、お前」
 殺す、と言うことで会話を強制終了させ、三蔵は懐から煙草のパッケージを取り出す。しかし、その中身は一本もなかった。握り潰したパッケージを灰皿に入れると、ストックを出そうと立ち上がる。
「煙草のストックは、もうありませんよ」
 一連の動作を見ていた八戒は、三蔵が荷物を漁る前に言う。
「吸いたいのなら、自分で買ってきて下さいね」
 完全に八戒に先手を打たれてしまった三蔵だが、出不精な彼はどうあっても宿から出て行きたくないようで、必死に抗戦する。
「夫のために尽くすのが妻の役割だろう」
「そんな古い考え、捨てた方がいいですよ。今は男女関係なく、それぞれ家事を分担するのが理想的な夫婦なんですよ。最低でも、自分のことは自分でしていただかないと」
 ね、三蔵。
と、有無を言わせぬように八戒は言う。
三蔵の完敗であった。チッと舌打ちすると、そのまま部屋から出て行った。


もしや、八戒が家族ごっこに賛成したのは、三人を買い物に行かせることが狙いだったのだろうかと三蔵は考えた。
先ほど「お母さん」を強調して言っていたのも、母親の手伝いとすれば、家族ごっこの一端として悟空は喜んで買い物に行ってくれると考えたからかもしれない。
それに、悟浄を食堂に行くように仕向けたとき、八戒は手にメモを持っていた。あれはおそらく買い物リストだろう。宿を出る前に食堂を覗いてみると、案の定遠目にも目立つ赤い髪の男の姿はなかった。
…やられた…。
まんまと八戒の策に落ちたことを悔しく思った三蔵だが、まずは煙草を買いに行くことにした。家族ごっこでの仕返しは、家族ごっこでやってやると考えながら…。


部屋で一人になって、八戒は読みかけの小説を読んでしまおうと本を開く。特におもしろい本ではなかったが、途中で投げ出す気にもなれず、読了を試みる。
今日三人に買い物にいてもらったのは、この小説を読む時間を確保するためであった。次の街の宿ではゆっくりして、本を読んでしまおうと前々から思っていたのだ。しかし、買出しや洗濯をしていたら、いつまで経っても読み終えることができない。食料や燃料をはじめ、必要とするものの種類も量も半端ではない。なので、買出しに行ってそれらを購入していると必然的に自由時間が減ってしまう。三蔵が買出しに同行することは天地がひっくり返ってもありえないことであるし、悟浄や悟空に付き合ってもらうと、用のない店にまで行く羽目になって、逆に時間がかかってしまうことがある。
悟空が家族ごっこの配役を発表したときに、瞬時に思いついた。これならば自分の代わりに皆に買いだしに行ってもらうことは可能なのでは、と。
悟空は自分の子供という設定であるから、買出しに仕向けるのは容易だった。
三蔵の煙草のストックがないことは朝から知っていたし、助手席で煙草を取り出す姿を盗み見たときにパッケージの中身が僅かであることも確認できたから、いずれ彼が煙草のストックを求めることも予測できた。どうやってあの出不精の男を動かすかは考えていなかったが、幸いにも無事彼を買い物に仕向けることができた。聡い彼のことだ。きっと今頃、自分がどうして家族ごっこに積極的だったのか分かっているだろう。
買出しに行かされて、イライラしながら歩いている彼の姿を想像して、八戒は内心笑った。しかしそれは、三蔵自身が墓穴を掘ったからであると八戒は思う。
三蔵が却下しなければ、悟浄は悟空の兄役をやっていただろう。悟浄は女性役をやることを嫌がるだろうし、悟空よりも年下の役をやることも、極端に高齢の役をやることも厭うだろう。悟浄が兄の役だったならば、悟浄と悟空を買い物に行くよう仕向けたときに三蔵は八戒の意図に気づき、己も二の舞になるかと警戒するであろうが、三蔵は悟浄を酒屋役にした。これが決定的だった。
悟浄の配役は、八戒にとって好都合であった。酒屋なら、部屋にいなくても不自然に思われないし、こっそり買い物に行ってもらうこともできる。悟空一人なら、買い出しに行かせても家族ごっこの一環と思われるだろうから、三蔵の前で悟空に頼んでも疑われない。よって、三蔵に買出しに行くよう仕向けることが無理なくできる。
「いい天気ですね、ジープ」
 策士家八戒は、ペット役のジープににっこり微笑んだ。


 こんこんとドアを叩く音がした。
「奥さーん。酒屋ですケド、ご注文の品をお届けに参りましたァ」
「はーい、ちょっと待ってくださいね」
 ふざけた口調の悟浄に返事する。声から察して、どうやら家族ごっこの策略は、彼にはばれていないようだ。ドアを開けると酒瓶やビールの缶を大量に抱えた彼が、毎度、と言った。
「ご苦労様です。重かったでしょう?ありがとうございました。今、お茶を入れますから、どうぞ、お上がり下さい」
「いえいえ、お気遣いなく。これが仕事なンで。でも、美人の奥さんのご好意を無駄にはできませんからね。お言葉に甘えますか」
 悟浄から荷物を受け取って、八戒はそれをテーブルの上に置く。そして、悟浄のために茶を入れようと急須に手を伸ばす。
しかし、八戒が急須を手にする前に、悟浄がその手を掴んだ。
「どうしました?」
 不思議に思って八戒が訊ねる。悟浄は八戒の問には答えず、彼の手をそのまま自分の口許に運び、指先に口付ける。
「…何してるんです?」
 怪しく思って八戒が尋ねる
「人妻がただの酒屋を家へ上げるわけないよな、八戒」
 何のことだか八戒にはさっぱり分からない。首をかしげる八戒を無視して、悟浄が言葉を続ける。
「誘ってるんだろ、八戒?旦那がいない時に他の男を家の中に入れちゃうなんてさ。不倫したいの?」
 そう言うと悟浄はすばやく八戒の腰に手を回し、自分の方へ引き寄せる。
「ちょ、ちょっと待ってください。何でそういうことになっちゃうんですか!?ふざけないで下さい!悟浄!!」
 八戒は悟浄の胸に手を置き、引き剥がそうともがき始める。が、八戒の必死の抵抗は全く意味を成さない。
「やっぱり三蔵じゃ役不足なんだよ。俺なら絶対に飽きさせないぜ」
「何を馬鹿なことを言っているんですか!手を放して下さい!」
「ヤダね」
「悟浄!!」
 ついにベッドまで連れて行かれてしまった八戒だが、悟浄に押し倒されると同時に部屋のドアが開いた。
「八戒、大丈夫!?」
「このクソ河童!!」
 声が聞こえるのとほぼ同じタイミングで八戒の上にいた悟浄は蹴り落とされ、床に落ちた。
「悟空、三蔵…」
「八戒何もされてない?平気?」
「…え…、ええ…」
 悟空が不安げに顔を覗き込む。八戒は彼に心配かけまいと、急いで体を起こした。
「……もしやと思って急いで帰ってきたら、やはりか…。この腐れ河童」
 三蔵は床に転がったままの悟浄の体を蹴飛ばした。
「何だよ、甲斐性ナシの駄目亭主。八戒はな、お前には飽きたんだとよ」
 上体を起こしつつ悟浄が言う。
「そんなこと、僕は一言も言っていません。勝手に話を作らないで下さい」
「言葉には出さなくても、それと取れる行動をしたじゃねぇか。現に、酒屋の俺を家ン内に入れただろ?人妻のお前が」
「あれは、そういう意味ではありません!」
 八戒と悟浄が口論している途中で、銃のセーフティーも外す音がした。音がした方を向くと、三蔵が悟浄に銃口を向けていた。
「今すぐ出て行け、腐れクソ酒屋河童。二度と俺の目の前に現れるんじゃねぇ」
「…短気は離婚の原因になってよ、三蔵様。それに、お子様の教育に銃器はよろしくな」
 銃声が一発。
悟浄の言葉はかき消された。
「うちにはうちの教育があるんだよ。他人が横から口出しすんじゃねぇよ」
 銃声は、その言葉の後に続けて四発。弾丸は全て悟浄の体を掠めた。
「あと一発だ。今度は外してやらんからな」
 銃口は悟浄の眉間に向いていた。
「分かりました!!すぐに退出いたします!! 」
 悟浄は身の危険を感じてすぐさま部屋を出ていった。
 悟浄が出て行くのを見届け、三蔵は、次は悟空の方を向いて、お前も出て行け、と言った。
「何でだよ。俺、何にもしてないじゃん」
「いいから出て行け」
 まだ一発残っているぞ。
 三蔵がそう言うと、悟空はすぐに部屋を出た。
「…僕も、出て行きますね…」
 なんとなく嫌な予感がして、八戒も部屋のドアに向かおうとする。
 すると、先ほど悟浄にされたように、今度は三蔵に寝台に押し倒された。
「三蔵!?」
「夫婦水入らずだ。嬉しいだろう、八戒」
 銃で他人を脅し、その上いきなり押し倒しておいて、水入りも水入らずもあったものではないのだが。
「飽きた、なんて言わせねぇ。お前が俺なしで生きられねぇ、ってくらい良くしてやる」
 三蔵は八戒の頬にキスをする。八戒はというと、これから起こるだろう事を予想し、顔を青くしている。
「ささささ、三蔵!笑えませんよ、冗談!!」
「冗談なんかじゃねぇ。夫婦の仲は大事だろう?子供にとっても、俺達にとっても、な。だから今から、夫婦の絆を強めようってんじゃねぇか。抵抗するな、八戒」
「抵抗しますよ、普通!!もう家族ごっこは終わりです!!三蔵、離してください!!」
 三蔵が八戒の言うことなど聞くはずはなく、結局その日は、悟空と悟浄は部屋に入れなかった。
 出発は延期になったとかならなかったとか…。

 
 




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