『くつした』2004.12.24

 

 12月25日。所謂聖夜の出来事です。

「……煙草が切れたな……」

 空になったマルボロのパッケージを握りつぶし、紫眼の三蔵ギツネはポツリと呟きました。

ここ最近外に出るのが億劫で一日中家の中で過ごしていたためストックも底をついてしまい、最後の一本を吸い終えた今、彼の手元には煙草がありません。ヘビースモーカーの彼は、ちょっと煙草を吸わないとすぐにイライラして、眉間に皺がよってしまいます。今はまさにその状況なのです。眉間に皺がよっています。そして一言、

「面倒くせぇ…」

 と言いました。何が?と言いますと、煙草を買いに行くのが、です。

 そんなに煙草が欲しいのなら面倒くさがらず買いに行けばいいではないか、と一般の人なら考えるでしょう。しかし、このキツネは根っからの出不精なので、滅多に外出しません。極力外出しなくても済むように自分でも意識して行動しているようです。それに、今日は大吹雪。彼でなくとも外出する気を失ってしまいます。

 しかし、そんなことで諦める彼ではありません。なんとかして外出しないで煙草を手に入れる方法を考えています。

 知恵を絞って、彼はついに外出しないで煙草を手に入れる方法を思いつきました。





 クリスマスの夜に枕元に靴下を用意しておくと、翌朝靴下の中にはプレゼントが入っているという言い伝えがあります。三蔵はそれを利用しようと考えたのです。つまり、靴下を準備しておいて、そこに煙草を入れてもらおうというのです。

 このキツネ、こんな計画をしているくせに、実はキリスト教徒ではなく寺育ちの仏教徒です。が、利用できるものは利用するというのが彼の主義なので、躊躇なくクリスマスというイベントを利用することにしました。

 しかし、ここで問題が発生しました。

 なんと、手元に靴下がなかったのです。

 なかった、と言うと語弊があるかもしれません。三蔵は一年中素足で過ごしていたというわけではありません。ただ、普段から和装が多いため靴下を履くよりも足袋を穿く回数のほうが多く、必然的に靴下よりも足袋の所有数のほうが多いのです。そして、その靴下は、ちょうど今洗濯をしてしまっているのでした。

 三蔵はまた考え込みました。そうまでするのなら、ひとっ走りして煙草を買ってきた方が早い上に効率も良いのですが、意地でも家の外に出たくない様です。

 そして、彼はお師匠様の言葉を思い出しました。

『いいですか、江流。頭の上に葉っぱを載せて、なりたいものを思い浮かべるんですよ。そうすると、自分がイメージしたものに化けられるんです』

 幸い葉っぱは近くにあったため、困りませんでした。頭に載せて、お師匠様に言われた通り靴下のイメージを浮かべます。

 どろん、という効果音があったかどうかは定かではありませんが、彼は無事靴下に化けることに成功しました。

 靴下は標準のサイズよりもかなり大きくなってしまいました。どのくらいかというと、すっぽりと人が一人入ることが出来てしまうくらいです。でも、面倒くさがりの彼は、まあいいか、と思いました。

 しかし、ここでも問題がありました。

 そう、靴下は用意できても、煙草(プレゼントは煙草であると決め付けている)を受け取る三蔵がいないのです。三蔵もそれに気がついて一瞬動揺しましたが、靴下に煙草が入れられたら術を解けばいいのだと思い、気にしないことにしました。

 ぱちぱちと暖炉で薪が燃える以外一切音はなく、辺りは静寂に満ちていました。その所為か、暖かい部屋の中で靴下に化けた三蔵はだんだん眠たくなってきます。

 そしてついに数分後、睡魔と闘うことを放棄して、彼は靴下の姿のまま深い眠りに落ちました。





 三蔵が眠ってからしばらく経って、だれかが家のドアを叩きます。

「すみません、どなたかいらっしゃいますか?」

 眠っている三蔵は当然その音に気づくことはありません。

「あの、道に迷ってしまって、一晩泊めていただきたいのですが。誰もいないんですか?」

 ドンドンと、何度もしつこく扉を叩く音が聞こえていますが、三蔵が起きる気配はありません。

「誰もいないのかなぁ…。入っちゃいますよ。失礼します」

 そう言って入ってきたのは真っ白な毛並みのウサギでした。吹雪の中を歩いていたため体は雪で濡れてしまい、凍えていて顔色もあまり良くありませんでしたが、整った顔立ちの緑の眼をしたウサギです。

「うわぁ、あったかい。僕、とっても寒かったんですよね」

 ウサギは頭を振って水気を飛ばしてから三蔵ギツネの家へ入っていきます。

「この家のご主人、返事がないので勝手に上がらせてもらいましたよ」

 ウサギはそう言いながら部屋の真ん中まで歩いてきて、部屋のほぼ中心部でふと立ち止まりました。部屋の中心には大きな靴下があって、ウサギはそれを見つけたのです。

「この家の方のものでしょうか?…それにしても大きいですね…」

 一体どんな方の物なのでしょう?などと言いながら、ウサギさんは靴下に近づいて、靴下の前にしゃがみました。そして、いろいろな角度からしげしげと靴下を眺めて観察しています。

「う〜ん。こんなにも大きな靴下、本当に履く人がいるんでしょうかねぇ?もしかして、寝袋か何かでしょうか?あったかそうですね…」

その靴下は、勿論紫眼のキツネが化けているものです。しかし、ウサギはそんなことは知りません。

「僕、とっても眠かったんですよね…。ちょっと、この靴下をお借りしようかなあ……」

 ふああ、と欠伸をしてウサギさんはごそごそと三蔵が化けている靴下に入り込みました。

「あったかくって、気持ちいい。………もう…眠たく…なっちゃい……まし…」

 言い終わらない内にウサギは暖かい靴下の誘惑に負けて眠ってしまいました。すぐに小さな寝息が聞こえてきました。寒い吹雪の中を歩き回ってよっぽど疲れていたみたいです。





 靴下に化けたまま眠ってしまったという事に三蔵が気づいたときには、もうだいぶ時間が経っていました。寝起きが悪い三蔵はまだ夢うつつ、といった具合で靴下に化けたまましばらくぼぉっとしていましたが、少し経ってから靴下の中に何かが入っていることに気がつきました。

(なんだか、やけにでかい物が入っているようだが…、一体何カートン入っているんだ?)

 三蔵は中に入っているものは煙草であると信じて疑いません。煙草を受け取るために術を解いてもとの姿に戻ろうとします。ぱっと一瞬にして靴下から元の姿に早変わりしました。

元の姿に戻った三蔵は靴下の中に入っていたものを自分の腕の中に抱き込みました。

(まあ、沢山…入っているほうが…いい……。…買いに…行かなくて…済……む…)

 まだ半分眠った状態であった三蔵は、靴下に入っていたものを確認せず抱きかかえたまま再び眠ってしまいました。

 ここでほとんどの方はお気づきでしょうが、三蔵が靴下の中に入っていたものは煙草ではなくウサギです。でも、三蔵はそれを知らずに煙草だと思い込んでいるのですから大変です。一方、ウサギのほうも、実は靴下の正体が三蔵ギツネだとは露ほどにも思ってはいませんでした。

 ですから案の定、目が覚めた際にキツネもウサギも大いに驚くことになります。





 先に目が覚めたのは三蔵でした。

 抱きかかえていたはずの煙草がふかふかしていて、違和感を覚えたのです。さっきは寝ぼけた状態だったので何が入っているのかしっかり見ていなかった事を思い出して目を開けてみると、自分の腕の中に見覚えのないウサギが一匹すっぽり納まっているではありませんか。ウサギは、すやすやと寝息を立てて熟睡モードです。

三蔵はとても驚き、思わず声をだしてしまいそうになりました。しかし、腕の中のウサギが気持ちよさそうに眠っているので眠りを妨げてはいけないと、ぐっと声を飲み込みました。そして、ウサギの顔をそっと覗き込みます。

この辺りでは珍しい白いウサギでした。長い睫に縁取られた眼は閉じられていましたが、小さな桜色の唇から寝息が漏れていて、可愛らしいウサギです。

ふいにウサギの睫がピクンと揺れて、そしてウサギは三蔵の腕の中でゆっくりと眼を開きました。

その瞳は深いグリーンで、寝起きで頭がしっかりと機能していないらしいウサギはぼおっとしています。右を見て左を見てそして最後に真正面を見て、三蔵ギツネの紫色の眼を見た瞬間、ウサギは眼を見開きました。

「誰だ、お前は?どうして俺の家の中にいる?」

先に三蔵が訊ねます。

 眼が合ってすぐにそう訊ねられて、ウサギはうまく声を出すことができません。よっぽど驚いたのでしょう。ウサギは体を硬くして、緑の眼でただじっと三蔵を見ています。

「さっさと質問に答えろ」

 先程より強い口調で言うと、ウサギは怯えながらも口を開きます。

「えっと…、僕、八戒と申します。昨日道に迷ってしまって…、寒くて…それで…、一晩こちらに泊めていただけないかなと思いまして…。あの、勝手に入ってしまったことは謝ります。…無断で寝袋を使用してしまったことも……。本当に申し訳ありませんでした…。でも…本当に寒かったものですから…つい…。」

 三蔵は八戒というウサギの話を聞いて、大体のことを理解した。どうやら八戒は、靴下に化けた自分を寝袋だと勘違いして入り込み、自分は八戒を煙草だと思って抱え込んでいたらしい。

 煙草が手に入らなかったことは惜しいけれど、キツネは元来狡賢い動物です。八戒の話を聞きながらすぐに何かを思いついたらしく、ニヤリとなにやら良からぬ笑みを浮かべます。

「吹雪の中、道に迷ったのなら仕方がねぇな…」

仕方が無い、と三蔵は言ったので八戒はほっとしました。どうやら怒られることはなさそうです。しかし、三蔵はいきなり腕の中の八戒をぎゅっと抱きしめました。

「……あの……?」

 急に抱きしめられて、八戒は戸惑ったように声を出します。

「お前、昨日が何の日だったか知っているか?」

「25日ですよね、確か。ちょうどクリスマスでしたけど…。それがどうかしましたか?」

 八戒は三蔵の腕から逃れるためにじたじた動いてみるのですが、動けば動いただけ三蔵は腕に力を入れるので、振りほどくことができません。

「クリスマスの夜に靴下を置いておくと、プレゼントがもらえるという話は聞いたことがあるか?」

「……ありますけど……」

 それが何か?というように、八戒が首をコトンと傾けます。三蔵はその可愛らしいしぐさを見て、そして八戒の耳元で意地悪く囁きます。

「お前がさっきまで入っていたものは、何だと思う?」

 八戒の表情が一瞬凍りました。

「………まさか………」

 不安を露におそるおそる三蔵に尋ねます。

「そのまさかだ」

 三蔵は八戒に意地悪な笑みを見せます。逆に、八戒は今にも泣き出しそうな顔をしています。

「でも、靴下に入っていたからって、僕があなたのものになるなんて…。僕の人権はどうなるんですか!?」

 八戒は精一杯反抗してみるのですが、三蔵だって黙ってはいません。

「うるせぇ、そもそもお前が猛吹雪の中道に迷うから悪いんじゃねぇか。無断で他人のうちに入っておいて、今更人権だの何だの騒いでんじゃねぇよ。何なら、不法侵入で訴えてもいいんだぞ?」

 そこまで言われると八戒は言葉に詰まってしまいます。なぜなら、三蔵が言うことは全て事実だったからです。

「でも、あなたさっきは仕方が無いって仰ったじゃないですか」

「ああ、そんなことも言ったか?もう忘れたな」

「忘れたって…あなた…」

 絶句。とはまさに今この瞬間の出来事だろう、と八戒は思いました。そんな八戒を気にも留めず、三蔵は八戒の白い耳を手に取り優しいキスを送ります。

「俺の名前は三蔵。今日から毎日大事に可愛がってやる、八戒」

 三蔵は口端を上げてそう言って、八戒の白い頬に口付けました。

「信じられません!鬼!悪魔!鬼畜〜!! 」

八戒がいくら騒ごうとも後の祭り…。

こうして三蔵は煙草ではありませんでしたが、素敵なプレゼントを手に入れました。



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