『思慕のウラハラ 世迷いごと。 5』2005.04.02

 


 何度でも、俺を切れよ。
 離れたいってんなら、好きにさせてやる。

 去る者は、追わない。

 けど、去るフリしといて実は待ってるような奴は、

 特別に追っかけてやる事にした。


 逃げられると思うか?
 俺がいなきゃ、ダメなくせに。





             ――― 思慕のウラハラ 世迷いごと。 5 ―――





「すげ、色っぽい。 ・・・・八戒。」
「は・・・ぁ・・・」

 この指は、覚えてる。

「・・・たまんね。」
「・・・あ・・・・あぁ!」

 僕の身体を、覚えてる。

「なあ、他のオトコでも、こんなになるの?」
「や・・・・は・・・」

 僕を、知っている。

「がまん、してる? 声出せよ?」
「・・・あ・・・・ふ・・・」

 声を出さずにはいられない場所を、知っている。

「もっと聞かせて。 イイ声・・・。」
「ふ・・・・・く・・・」

 そこを確実に愛撫する指、唇、舌。

「ぁ・・・もう・・・・・」
「もう、ナニ?」
「だ・・・やめ・・・・!」

 急激に昂ぶる身体。 足の指が、背筋が、知らず反っていく・・・・・

「うあ・・・あっ・・・・・!」

「・・・イった? 早いね。」

 薄く眼をあけると、目の前に笑みを湛える紅い瞳があった。
 息が荒くなって、収まらない。
 思考がまとまらない。

「イイ顔、八戒。 キレイ。」

 クッと笑って 欲に濡れた瞳に、違う色がのぼる。
 僕を見つめたまま、手だけが蠢きはじめる。

「ここ、好きだろ?」
「ぁ・・・・・・。」
「ここも。」
「ぁ・・・・ぁ・・・・・!」

 肌の上を骨ばった手が優しく舞う。

「まだまだこれから、だから。」
「う・・・・く・・・!」

 紅い髪が揺れ、唇が耳を舐る。

「は・・・だめ・・・」
「ナニがダメ?」

 再び煽る手管は、覚えのあるものだ。

「ん・・・・ん・・・!」

 僕はカンタンに、再び昂ぶってしまう。

「ヤラシイ顔、してるぜ?」
「いや・・・だ」

 紅い瞳に、残忍な色が加わっている。

「何人に見せた、そんな顔。」
「ごじょ・・・・・・」

 思わず僕は、きつく目を閉じて顔をそむけた。 クックッと笑いながら唇に軽く触れて、悟浄の唇が下へと移動する。

「感じてんだろ?」

 ハスキーな声が、僕の腹の辺りで呟いている。

「イったばっかなのに、もうこんなじゃん。」
「ん・・・は・・・・・」

 唇が、中心に触れる。

「はぁ・・・だ・・・・」

 悟浄は忘れていない。 何一つ。

「・・・誰の手でも、イクんだ?」

 ・・・・・そうか

「上手いヤツ、いた? ・・・俺より?」

 ・・・・・・・そうだったんだ、悟浄・・・・・!


 長い、長い、愛撫が続く。
 唇が、僕を愛しむ。
 舌が、僕を責める。
 指が、僕を煽る。



 八戒がいくら声を抑えようとしても、漏れるものが大きくなっていた。
 手と舌と唇で、何度も達した。
 
 だが、欲を孕んでうずく後肛にだけは、悟浄は触れようとしない。
 指も、唇も、舌も、其処にだけは、触れない。

「ん? どした?」
「はぁっ・・・・っは・・・ぁ」

 八戒を焦らすように、指は急所を的確に責め続ける。

「どうして欲しい?」
「はぁ・・・! は・・・! ふ・・・・!」

 悟浄の声が低くなって、余裕が感じられなくなっている。

「言えよ。 ちゃんと口に出して。」
「はぁっ! ご・・・じょ・・・・!」

 涙を含んだ碧の瞳に見上げられ、限界を超えている欲を孕んだ紅い瞳が、妖艶とすら言える光を湛えて笑った。 

「・・・何が、欲しい?」

 荒い息を吐くのみで言葉に出さず、瞳で訴えようとする八戒の内心を見透かして、ハスキーな低い声が、常より更にかすれた声音でつぶやいた。

「言えよ。」

 碧の瞳を覗きこんで言いながらも、指は肌の上をまさぐりつづけている。 時にビクンと身体を震わせ、切ない声をあげながら、八戒は自分の上に落ちかかる紅い髪をつかむ。

「・・・言え。」

 身の内から飽かず溢れる熱にうかされて、苦しさと焦れったさが、八戒の理性を奪った。

「ごじょ・・・ほし・・・・・」
「ちゃんと言え。」
「悟浄・・・・が、ほし・・・い」
「分かンねぇよ、それじゃ。」
「あ・・・ここ・・・に・・・っ・・んっ」

 手で悟浄のものに触れ、それが猛りきっているのを知って、八戒は自分が更に昂ぶるのを感じる。

「・・・他のオトコでもイイんだろ?」

 愉悦の声を漏らしながら、八戒はわずかに首を、横に振った。

「誰でも、お前はイクんだろ?」
「・・・が・・う」
「挿れてくれりゃ、誰のだってイイんだろ?」
「ちが・・・う」
「・・・どう、違うよ?」

 すがるような碧の瞳に、哀願の色が募る。
 笑いを消した紅い瞳がそれを無視して、情欲を滲ませ、言えと強いる。
 八戒の中に、凄まじい勢いで、欲が膨れ上がった。
 情欲だけではない、理解されたい、自分を受け入れて欲しい、という欲。

「ごじょ・・・」
「ナニが違う?」
「悟浄が、・・・良い・・・」
「俺? ナンで俺が良いの?」

 欲が、コトバを吐いた。

「貴方が・・・・・好きだから・・・」

 悟浄の動きが止まる。

「もっかい、言って。」

 ハスキーな低い声が、甘い響きを伴う。

「悟浄、好き・・・・はぁっ!」

 八戒がコトバを言い終える前に、悟浄のものが侵入してきた。 拓かれる感覚に、八戒は思わず声をあげる。

「あ・あ・あ・あぁっ!」
「クソっ! 限界だっつの、こっちが!」
「はあっ! は! ぁ!」
「すっげ、イイ、八戒 よすぎ」

 叩きつけるように己の欲を八戒に撃ちこむ悟浄は、すぐに切ない声を漏らした。

「ダメだ、すぐイッちまう・・・、八戒――!」



 何度も何度も、悟浄は八戒の中に欲を吐きだした。 八戒は何度か意識を失い、覚醒するとまた登りつめ、それでも悟浄を求めて止まない己をどうする事も出来なかった。
 やがて行為を続ける事を止めた二人は、これ以上一つになれないのが納得できないように、泥のように粘つく身体を、更に寄せ合う。
 まだ落ち着かない息の中、このまま眠りに陥ってしまいそうな誘惑を必死に退けて、八戒は掠れた声を出した。

「悟浄。」
「・・・・・ン?」

 答える悟浄も、声が掠れている。

「うそつき。」
「あ?」
「騙しましたね、僕を。」
「ん」
「催眠術になんか、かかってなかったんでしょう?」
「ばか、かかったよ。 まんまと。」
「何一つ、忘れてないくせに。」
「思い出したんだよ。」

 名残惜しそうに、身体を離して、八戒の眼を見つめ、悟浄は続けた。

「お前に惚れてるからさ。 そん時も、お前に惚れてたからさ。 思い出した。」
「・・・・悟浄。」
「忘れたって、何回でも惚れるぜ? お前は、俺の」
「・・・・・・。」
「俺のたった一つだから。」

 胸が、ぎゅうっと痛んだ。 息が止まるほどに甘い痛みが、八戒の全身を貫く。

「八戒。」
「・・・・はい。」
「俺、お前に惚れてるみたい。」
「―――え?」
「ホントに好きな奴とスルのが、一番イイって話、知ってる? ・・・俺、今、実感した。」
「・・・・悟浄・・・?」

 ―――あの時と・・・はじめての時と、同じ会話?

「すっげヨかった、八戒。」

 ―――忘れていない、僕も。

 目を閉じて、八戒もあの会話をなぞった。

「・・・・・・・・嘘だ。」
「もっかいスルぞ。 お前、激ヤバイから、何回でもでき・・・」
「馬鹿な」
「マジに告ってんだ。 茶化すな。」

 クスリと笑って、八戒は紅い瞳が優しい笑みを湛えているのを認めた。

 ―――・・・やりなおそうとしている。
      悟浄は、最初から改めて始めようとしている。
      僕がゼロから始めようと思ったように。

「お前は?」
「は?」
「お前も言うコトあんだろ? ・・・ちゃんと、正気で言えよ。」
「正気・・・て・・・」
「さっきは、マトモじゃあ無かったもんな。 ホラ、言えよ。」
「悟浄?」
「ナニ?」
「・・・いつから?」
「だからナニ?」
「いつから僕を・・・そういう風に、見てたんですか?」

 ニッと笑って、悟浄は碧の瞳を覗きこむ。

「覚えてる? お前、コレを」

 自分の髪をつかんで、八戒の目の前に見せた。

「血の色だっつったの。」
「・・・・・・・。」
「たぶん、あん時。」

 八戒は目を閉じる。 小さく息を吐く。 胸の内にこみ上がるものを、感じる。

 ―――じゃあ、僕たちは。
      ほぼ同時に恋に落ちていたんだ。

「つか、言えっつってんだろ? ごまかすなよ。」
「・・・・・・。」

 込みあがってきたものは、涙となって碧の瞳を潤ませる。

「そんな眼したってダメ。 これで分かってくれ〜、とか言うのもナシな。 キッチリ口に出せ。 お前、コトバに縛られるトコあっから、ちゃんと言わなきゃ、ダメだ。」
「悟浄――――」
「マジだっつんなら、コトバにしろ。」

 悟浄を見つめる碧の瞳に、涙の膜が張った。

「・・・・・愛してます。」

 紅い髪の恋しい人が、眼球を過剰に覆う水分のせいで滲んでしまって、良く見えない。 八戒が目を閉じると、行き場のなくなった水分が目じりから零れ落ちた。

「僕も・・・好きです、貴方が。 悟浄。」
「よし。 『たぶん』がない分、進歩と認めてやる。」

 そう言って、閉じた瞼に唇を寄せ、零れた涙を舌ですくう。

「ずっと、一緒に居ような。」

 と言うと悟浄は、恋人の身体を柔らかく抱きしめた。

「・・・はい。」
「もう、逃げるなよ。」
「・・・・。」

 そのまま、抱きあって眠った。

 ありえないほど、満ち足りていた。

 ―――何故僕はこれを手放そうなどと、一瞬でも思えたのだろう? 今はそれが不思議でならない。
      この腕の中こそが、僕に与えられた居場所だというのに。
      この安心感は、得難いものだというのに。

      なにものにも代え難い、充足。
      安心しきって


      僕たちは深い


      眠りの中に



      落ちた。














 目覚めると、悟浄が先に起きていた。
 旅に出てから、はじめての事だ。
 煙草をくゆらせながら、紅い瞳に子供のような笑みを浮かべ、悟浄が言った。

「おはよ。」
「・・・おはようございます。」

 ぼうっとしたまま、八戒が答える。

 ―――夢みたいだ。

 昨日までの自分には、考えられない。
 あんなに打ちのめされ、疲れきっていたのが、ほんの半日前の事なのだ。 こんな風に、あっというまに・・・。

「八戒、さっき聞いたんだけど、朝市が立ってんだってさ。 買い物したいって言ってたろ? 行く?」
「え・・・?」

 無意識に悟浄を見つめていた八戒は、我に返って、自らのあからさまな視線を自覚した。
 それを受け止める紅い瞳が、楽しそうに笑っている。

「おい、ナニぼーっとしてんだよ。 そんなに俺、男前?」
「・・・なにを言い出すんですか。」
「それとも、そんなにヨかった? ゆうべ。」
「・・・そんなんじゃ・・・!」
「なんなら、これからまた一発、シテもイイけど? でもそーすっと、市に行けなくなっちまうぜ?」

 八戒は、近寄ってくる悟浄を言葉無く凝視している。
 この状態が、いまだに信じられない。
 記憶にある形のまま、いや、記憶の中の悟浄より、もっと精悍になった紅い髪の恋人が、至近までやってきて、その手を八戒の頬に触れる。 それにやっと反応して、赤面した八戒は、意志の力で視線を引き剥がすようにして窓に向けた。

「で? どーすんの。 行く?」
「・・・行きます。」
「んじゃ、荷物持ち、してやるよ。」

 恋人に向ける眼で、悟浄は言った。
 昨日までとは違う。
 昨日までは、仲間に向ける視線だった。
 その差は、たぶん自分にしか分からない。
 そんな感慨を持つと、目を閉じて自分に言い聞かせる。

 ―――これで、良い。 これで良かったんだ。

 そうして一人、密かに笑みを浮かべ、眼を開くと、出かける為に軽く湯を浴び、手早く身支度を済ませる。 昨夜の余韻がまだ身体の不調を訴えていたが、気持ちの高揚と幸福感が、それを無いものにしていた。
 宿を出る時、信じ難い事に、まだ七時にもなっていないのに気付き、八戒は驚いて傍らの紅い瞳を思わず見つめる。

「ん? ナニ?」
「いえ・・・。 悟浄、早起きしたんですね。」
「ん・・・まあ、ナンカ、目ぇ覚めちまってさ。」

 悟浄がこの時間に自ら起きるなど、かつて無かった事だ。
 朝市の情報は宿の人に聞いたのだろうか。 だとしたら、もっと早くから彼は起きていた事になる。
 彼の様子が浮かれているように見え、八戒は思わず微笑んだ。 その浮かれ様は、遠足に行く日の子供のようでもあり、八戒の眼には可愛らしく見えた。

 朝市はかなり規模の大きいものだった。 早朝にも拘わらず大勢の人で賑わっている。
 出店は農家直売の野菜がメインだったが、それだけでなく、牧場から直送の牛乳や乳製品、手作りのパンやお菓子、果ては故物商などもあり、バラエティに富んでいた。
 近在では有名なイベントなのかもしれない、などと思いながら、新鮮な朝の空気と活気溢れる雰囲気を、二人は楽しんだ。
 軽食を出す屋台も出ており、悟浄が耐えられないとばかりに肘を引くので、結局そこで朝食も摂る事にした二人は、席に落ち着くと『名物』と看板にあるスープを注文する。 八戒を留守番にして、悟浄があちこちで買ってきたチキンや採れたて野菜のサラダ、出来たてのチーズ、焼きたてパンなどで胃を満たした。
 名物と言うだけあって、そのスープは温かく、身体に染み渡るような滋味溢れる味わいである。
 久方ぶりに味わう、穏やかで満ち足りたこの時間に、いつしか心の底まで温まっていることに気づいて、八戒はその元凶たる、隣で彼の三倍は食している男の紅い瞳を盗み見た。

「ン? ナニ?」

 悟浄が視線に気付いたのか、八戒を見て問う。

「いえ。 美味しいですか?」
「悪くねぇけど、お前の作るモンのほうが百倍ウマイ。」
「おい、にーちゃん。 悪くねえたあ、ずいぶんだな。」

 『名物』と看板に書いた本人であろう屋台のオヤジが、聞き流せねえ、とばかりに口を出してくると、悟浄は上機嫌でまぜっかえした。

「わりぃ、でもオヤジだって愛するかーちゃんの作ったメシが一番ウマイっしょ? そーゆーコトだから、かんべんしてよ。」
「んん? まあ、そう言うコトならしょうがねえや。 なんだい色男、この人かい? 美人だねぇ。」
「だしょ? 俺のだから。」
「やに下がりやがって。 男前が三割引になってるぜえ?」
「ナンとでも言って。」

 旅先の気安さなのか、あまりにも直球な会話に、八戒が一人赤らんだ。

 ―――いいのかな。 こんな気分になって。 ・・・ホントに、夢見てるみたいだ。

 食事を終え、改めて買い物に回る。
 八戒これはナンだ、これは買わないのか、と落ち着き無く動き回る悟浄に引きずられる格好で、市のあちこちを歩いた。
 ひときわ長身で精悍な容姿の悟浄が、あちこちに首を突っ込み、手を出し、軽口を叩く。 それが無邪気に見えてしょうがないのは自分だけか、と思っていると、やはりそんな様子は人目を引くらしく、あちこちでからかいまじりの声をかけられた。 その度に悟浄は、

「美人っしょ? 俺のだから。」
「だっ! さわんなよ、オヤジ! 俺のだぞ!」
「まけてくれんの? おねーさん、美人! コイツには負けるけど。」

 などとあからさまなセリフを返す。
 悟浄ははしゃいでいるのだ、幼い子供のように。
 そう八戒は理解し、もしかして、ワクワクのあまり早起きまでしてしまったのだろうか、と思い当たって、笑みをこぼす。
 それにしても、この人達から、僕たちはどんな風に見えているんだろう、と八戒は思う。
 恋人同士に、見えるのだろうか?
 恋人。
 そうだ、悟浄は僕の、
 ―――恋人だ。

 そんなこんなで小一時間も歩き回っていると、朝市は閉まる時間となったらしく、どの店も慌しい様子を見せ始めた。
 邪魔になっては、と二人は帰る事に決め、二人で手分けして荷物を持ち、宿への道を辿る。 新鮮で安価な野菜や乳製品などを多量に入手する事が出来た為、八戒も大満足である。

 帰る道すがら、何気なさそうに、悟浄が口を開いた。

「なあ、八戒。」
「はい?」

 明るい笑顔が返ってきて、それを見た悟浄は眩しそうに目を細め、視線を進行方向に合わせて言う。

「もう、他の奴とスルなよ。」

 鉛を飲みこんだような顔になって、八戒が足元に視線を落とす。
 返事が返ってこない事に焦れた悟浄が、八戒の方を見て、低い声で言った。

「・・・なんでアンナ事、してた?」

 痛い質問だ。 できる事なら聞かれたくなかった。 答えないで済むものなら、済ませたい。
 だが八戒はもう何一つ、嘘もごまかしも持ちたくなかった。
 自分にも。
 ・・・・悟浄にも。
 視線を足元から悟浄に動かし、それでも眼を直視しては言えずに、八戒はその口元に向けて語る。

「あんなことしたくせに、僕は貴方がやっぱり好きで。 貴方が女性と一緒にいるのを見るのが辛くて。 でもそれを・・・・こんなどろどろした気持ちを悟られたくなくて・・・・・。 とても苦しかったんです。
 ―――少しだけ、楽になれたので・・・・。」

 きまり悪そうに、苦笑を湛えて答える八戒に、やはりきまり悪げな笑みを口元に湛え、悟浄が言った。

「んな、無理矢理笑いながら言うなよ。」
「はあ・・・・・・。」

 心許ない返事を、八戒が返す。
 悟浄は進行方向を見ながら茶化すように言った。

「でも、そーゆーコトだったら、これからも苦しくなったらアルかも?」
「そんな事・・・分かりませんよ。 貴方次第です、きっと。」
「んだ、そりゃ?」
「・・・主体性なくて、ちょっとイヤなんですけど・・・。 僕は、悟浄次第でどうにでも、なるみたいです。 だから・・・・」

 碧の瞳が、真っ直ぐに悟浄の横顔に向けられた。

「不安にさせないで下さい。」

 前方に目を向けたまま、クッと笑って、悟浄が言う。

「ワガママ。」

 それを受け、八戒も笑いを湛えた声で応える。

「そうです。 僕はそういうヤツです。 ・・・知りませんでしたか?」
「知ってるよ。 自分で分かってるとは思ってなかったけどさ。」
「最近・・・自覚したんです。」
「はん?」

 笑顔で悟浄を見返して、八戒は旅に出てから出会った、あまたの人を思い浮かべる。
 それは敵であったり、味方であったり、敵だか味方だか良く分からなかったりしたが、どの出会いも自分を少しづつ、変えてくれた。 (清一色には、大幅に変えられたけど。)
 時の流れと共に、人は変わって行く。
 そう考えていた事は、間違っていなかった。
 間違っていたのは、変わる事で事態は必ず悪くなる、と思っていた自分だ。
 逆にいえば、それだけあの頃は幸せだったのだ。 これ以上無いと思えるくらい幸せだったから、それが壊れるのが怖かった。
 あまりに怖くて、間違った。

 酒場や宿で出会った人達を思い浮かべる。
 彼らは通りすがりの人であり、行きずりの人である。 旅の気安さもあって、結構言いたい放題だったような気もする。 お世話になったこともあった。 助けてあげられた人も居た。
 僕等と出会った事で、彼らも変われたのだろうか?
 そうだと良い。
 良い方に変わってくれてたら、嬉しい。

 頬に傷を持った、元兵士。
 彼は、永久にこんな・・・今の自分のような気持ちになることは、無いのだろうか。 あの薬剤師に気持ちの振り幅を決められて、その中で足掻いていくのだろうか。
 そうはなるまい、と今なら思える。
 華奢で優しげな線の細い薬剤師は、人の心が読めるが故に、それを支配できると思いこんでいる。
 哀れな男だ。
 人は、ほんの小さなきっかけさえ与えられれば、その考え方も、感じ方も変わってゆくのに、彼はそこを勘違いしているのだ。 接触を恐れる彼は、あの薬屋から殆ど出ないのだろう。 色々な人が居る事を知らないで、ここまでの時間を過ごしてきたのだろう。
 知らないのに、知っていると勘違いしている。
 傲慢な勘違いを。

 それは本当に哀れな事だ。
 自分で分かっていると思って居る事が、実のところは全く分かっていなかったなどというのは、実際、良くある事で・・・少し前までの自分がそうであったように。

 あの元兵士は、まっすぐで強い心を持っているように、八戒には見えた。
 自制の強い彼が、きっといつか、あの薬剤師の心も変えるのではないか。
 きっとそうだ。 ・・・そうであってほしい。
 この旅が終わったら、あの薬屋に行こう。
 可能なら、頬に傷のある、あの元兵士にも会いに行こう。
 彼との出会いが無かったら、僕は今、こんな風に考えられるようにはなっていない。
 そのお返しをしに行こう。
 悟浄と一緒に。

 並んで歩く悟浄が、黙り込んだ八戒を見ていた。
 まっすぐな紅い瞳。
 それは、気遣わしげに八戒を見ている。
 それをまっすぐに見返して、八戒は微笑む。
 一瞬、虚を付かれたような顔をして、悟浄もすぐにニイっと笑った。
 それを見返して、ふと思い立ち、八戒はまた足元に目を落とすと、その笑顔に少しだけ黒い物を混ぜ込んだ。 彼は悟浄に、少し意趣返しをしようと思い立ったのである。
 何しろ彼は、ずっと催眠術にかかったフリをしていたのだ。
 すっかり騙された。
 それが八戒を、ひいては二人のこれからを思っての行動だったという事はわかる。
 わかるがソレはソレ、コレはコレ。
 けして素直とは言えない八戒が、この時点でも相変わらずである事を悟浄は失念していた。
 心に一物を含んだまま、八戒は悟浄に目を向けて、さりげなく口を開く。

「ああ、そう言えば。」
「ン?」

 紅い瞳が笑っている。
 硬くて張りのある、まっすぐな紅い髪が、風になぶられてこっちを見ている顔にかかる。
 両手が荷物で塞がっている為どうする事も出来ず、風のなすがままに髪をあおられている悟浄が、やさしい笑みを浮かべて八戒を見ていた。
 悟浄は、八戒が可愛くて堪らない、という想いを全身から放出して憚らない。 それが八戒にも伝わり、えもいわれぬ幸福感と共に、八戒は思った。

 ―――可愛い、悟浄。

 八戒は笑顔を浮かべて恋人を見返す。 だが微笑みの形を結んだその口から零れた言葉は、可愛げとは程遠い物であった。

「前に悟浄が言ってた、『オンナなんてご挨拶みてーなモン』って言うのも、ちょっと分かりました。」
「あ?」
「遊びの範囲内でしたら、キレイなおねーさんも、OKです。」
「え? あのー・・・・」
「僕も、遊んじゃうかも知れませんし。」

 一瞬前まで幸福に酔いしれるようであった悟浄の顔が、瞬時に硬直を見せる。

「ちょっと待て。」
「はい?」
「ダメだって! お前、オンナどころか野郎にまでモテルんだから!」
「あはは、そんな事ないですよ。」
「自覚しろ! 頼むから!」
「だから、考え過ぎですって。 僕なんて、ゼンゼンですから。」
「ばっ・・・! シャレにナンねぇっつーの! ゼッタイ、ダメ!」



 ちょうど同じ頃。
 宿の自室で窓際に佇んだ三蔵は、誰か新聞をもってこい、などと思いながら紫煙をくゆらせつつ、窓の外を見るともなしに見ていた。
 昨夜、悟空に命じて遅くまで(と、いっても十時を回ってはいなかったが)マッサージをさせたため、疲れの溜まっていた身体も軽くなっている。
 だが今日は、常ならとっくにルートの選定の相談などをしに姿を見せる八戒が、この時間になっても現れない。 そのため彼はまだ茶を飲んでもおらず、新聞も手元に無かったのである。
 悟空は傍らのベッドで高いびきを響かせながら、布団を蹴って腹を出している。
 その様子を一瞥して、布団を直してやろうともせずに、新聞を持ってこさせるために悟空を起そうか、それとも隣室にいるであろう八戒が部屋を訪ねて来るのを待とうか、と三蔵は考えていた。
 自分で階下まで新聞を取りに行ったり、自ら茶をいれるなどという事は、微塵も思い付かない最高僧である。

 新聞の事もそうだが、もう一つ、三蔵には気に掛かっている事があった。
 もしも悟浄の思惑通りに事が進んでいるなら、今日の出発は遅れる事も考えられるのである。 
 運転手が使い物にならない状態では、旅の進行は覚束ない。 そんな事になったら、悟浄をどうしてやろうか、と未だ起こっていない事態に対してすら怒りを覚え、眉間の皺を深くする。

 ―――エロ河童が。 無茶してんじゃねえぞ。

 知らずこめかみに青筋まで立て、この状況に怒りを覚えているものの、隣りの部屋へ自分から向かうのには抵抗があった。
 とんでもない光景を見せられる恐れがあるではないか。 そんなものを目にするのは、なんとしても避けたい。 八戒がこの時間まで自分を訪ねて来ないと言う事実も、隣室の状況を指し示す物であるように思われ、最高僧は苛ついて、煙草を乱暴に消した。

 ―――出発が遅れるなら遅れるで、報告くらいはして来たらどうだ。 せめて新聞くらいは持って来い。

 と、自分が手を貸しての事態であるのにも拘わらず、三蔵は八戒にまで怒りを覚え始めている。
 理不尽な事、甚だしいのだが、本人に自覚はない。
 目下、彼の関心事は悟浄と八戒のハッピーエンドでも旅の行く末でもなく、今新聞を読むためにどうすべきか、であった。 それなら自分で動けば済むような物なのだが、最高僧の辞書に自主自立の文字はなく、悟空を叩き起こしても、役に立つかどうかは疑問の残るところだ、などと考えた挙句、叩き起こす労力を惜しがる始末。
 さて、どうしたものか、と思考を堂々巡りさせながら、三蔵は窓際に佇んでいたのであった。

 と、見覚えのある二人連れが、こちらへ向かってくるのが目に入った。
 大荷物を持ちながら、この宿へ向かって黒髪と紅髪の長身の男二人が歩いて来るのを見つけ、いつのまに外出などしたのかと訝りながら、ぼおっとその様子を見る。
 そうやって見ながら、その表情が徐々に険しくなっている事に本人は気付いていない。
 自覚のないまま眉間に深く皺を刻んだ三蔵は、これも自覚なく、大きい舌打ちを忌々しそうに、打った。

 笑顔で何か言う八戒に、悟浄が慌てた様子で何やら言い募っている。
 それをやはり笑顔で返す八戒にすがるようにして、悟浄は何かを懇願しているように見えた。
 八戒はあくまで笑顔を崩さない。
 悟浄も、なんだかんだ言って、楽しんでいるように見えるのが、三蔵の不快感を募らせる。

 ―――・・・痴話喧嘩だ。
     久し振りに見た。

 あからさまにイチャついて歩いている二人を見る最高僧の目元は、ハッキリと不快感を表している。
 三蔵はたった今腹の中で確認した、窓外で展開されている状況を、溜息と共に検証し始めていた。

 ―――ほおって置いた方が、まだマシだったか?

 やはり本人に自覚は無いが、こめかみの青筋が増えている。

 ―――勝手に悩ませておけば、こんな風に目の前でベタベタされる事だけは無かったんじゃねえか?
     もしかして俺は、早まったか?

 そういえば、と三蔵は思い出した。

 ―――以前、あの二人に、ウンザリしていた自分を忘れていた。
     くそう。
     覚えていれば、けっして手を貸したりしなかったものを。

 とはいえ、遅かれ早かれこうなるのは見えていた事である。
 ・・・と、思えば。

 ―――どうせこうなるなら自分が一枚かんでいる方が、心情的に許容できるというものだ。

 しかしやはり納得の行かない思いを表して、最高僧はもう一度舌打ちをする。 息を吐きながら一度目を閉じて再び開くと、眉間の皺を消す事無く窓の外を見やり、路上の二人にまた目をやって、煙草を取り出しつつ、つぶやいた。

「・・・見ててやるよ。 しょーがねーから。」

 そう一人ごちて、煙草に火を点けると、深く吸いこんだ煙を天井に向かって吹き上げながら、

「チャラチャラしてねえで早く帰って来やがれ。 新聞を忘れるな。」

 眉間の皺をさらに深くして、聞こえるはずの無い指示を、出した。





 《 END ― 思慕のウラハラ 世迷いごと。 ― 》




 やっと終わりました。
 最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。
 くどい話でスミマセンでした。 良かったら感想など聞かせてやってください。

 って、活劇も、ワンシーンしか書いてないし・・・。
 いいのか、これで?



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