『思慕のウラハラ 世迷いごと。 4』2005.04.01

 




「好みのタイプとか、あるワケ、やっぱ?」

 ナニ言ってるか分かンねぇ位の小声でナンカ言って、八戒は表情をなくしたまま、ふらりと立ちあがると木立の中に歩み入った。 幽霊みたいな真っ白い顔して、フラフラ歩きやがって。 ・・・ほっとけねぇだろ?
 少し距離を置いて、俺は後を追う。 五分くらい歩いたところで、よろめいた拍子に一本の木に手をついて、八戒はそのまま、それにもたれ掛かった。 あ〜あ、肩で息してやがる。
 ここまで来ると、辺りは鬱蒼とした風景。 月明かりも木の枝と繁る葉に遮られて殆ど届かない。 こんなトコまで、ナニしに来たんだ、あいつ? ・・・・・まさか、二人っきりになりたかった、とか?

「八戒。」

 声をかけた。 あいつは振り返りもしない。

「お前、もしかして誘ってる?」

 冗談ぽく言ったつもりだったのに、瞬速で振り返ったあいつの眼が、大きく見張って、俺を見つめた。
 ・・・・・俺を、見てる。 ・・・・・・・前みたいに。
 かぁっと、アタマに血がのぼった。 ――――口が・勝手に・動く。

「こんな暗いトコまで、連れ込んでさ。 相手は、誰でもイイんだ?」

 近づく俺を見る碧の瞳は、ゼンゼン動かない。 てか、ナニ言ってんだ、俺? アタマん中、熱くなっちまって・・・

「俺でも? ・・・まあ、イイよ、ノッテやっても。 前の町で抜けなかったからさ、結構タマってるし。」

 また、八戒が口の中でナンカ言った。 俺も妙にノドが乾いて、声が出にくい。 殆ど本能が、俺に喋らせてる。

「俺と、する?」

 俺を見る瞳が、僅かに反応した。 ・・・・やっぱ、そうなのか?
 腕をつかんで引き寄せる。 八戒は大人しく腕の中に収まって、ビクリと震えた。 俺の中の理性が、警報をガンガン鳴らしてる。 ・・・ばか! そんなんじゃ、こっちがタマンネエだろ!

「黙ってると、ヤッちまうぜ?」

 否定しろよ! 拒絶しろ! 

「イイの? ホントにヤルよ、俺。」

 やばいって! 我慢できねぇって!




            ―――― 思慕のウラハラ 世迷いごと。 4 ――――




「くっ・・・・・!」

 八戒の身体が過剰に反応し、それと同時に漏れた声は、快楽を表す物ではなかった。
 その身体を抱きしめたまま、首筋に這わせていた唇を離した悟浄の眉が苦悩の形を結び、紅い瞳がきつく閉じられる。 だがそれは、体勢のせいで八戒には見えなかった。
 やがて密着させていた身体を少し離して、悟浄が低い声を出す。

「馬鹿、イヤならそう言えよ。」

 八戒が弱々しく首を振った。 その意味が分からず、八戒の身体を柔らかく抱いたまま、悟浄は呟くように続ける。

「どした? 俺じゃ、イヤなんだろ? ・・・まあ、ダチだからな。 その気にナンなくて当たり前っちゃ・・・・」
「・・・・・・・がう、ちが・・・・」

 言葉にならない声を漏らして、八戒はぽろぽろと涙を流し始めた。
 嗚咽がこぼれ、それと知った悟浄は慌てて身体を離し、両腕で力強く元同居人の体を支える。 低い、ハスキーな声が、戸惑いを隠さずに響いた。

「俺って、タイプじゃねぇとか? って、違うよな、ゴメン。 でもわかンねぇよ、きっちり言わねぇと。」
「離して下さい。」

 涙声で言われて、悟浄がつかんでいた腕を思わず離すと、八戒はふらりと座り込んで、大きく息を吐いた。 涙はまだ、おさまっていない。

「誰でもイイとか、言われたくない? まあ、そうだよな。 わり。」

 八戒が泣いている事に対して抱いた居心地の悪さを隠せず、悟浄の声は動揺を表している。 涙がおさまって来たらしく、八戒は平静の声を出そうと努力したものの成功したとは言えない声で、答えた。

「・・・そういう事じゃ、ないです。 ただ、ばれてると思ってなかったので、ちょっとびっくりして。」
「・・・・・ふーん。」

 ―――って、違うだろ。

 と、思いながらも、その動揺を表すまいと極力自然なさまを装って煙草に火をつけた悟浄は、深呼吸のように紫煙を吹き上げ、八戒から少し離れて地べたに座った。 暗い森の中、二人の姿はシルエットとしてしか認識できない。
 体育座りをした膝に顔を埋めて、八戒は微動だにしなかった。
 片膝を立ててそれを見つめる悟浄にも、動きは無い。 凍りついたようなその風景の中で、ただその手にある煙草から一筋の煙が上がっている事だけが、時の流れを感じさせる。
 まるで呼吸する事すら忘れたような二人は、それぞれの中で激しく展開する自問と疑問を、各々頭の中で発し続けている為、その静寂に気付かなかった。 紅い視線が注がれる黒髪の頭部は、膝の間から動こうとしない。
 だが、やがて手に持ったまま口へ運ばれなかった煙草が、フィルターの焦げる匂いを発し始め、彫像のように動かなかったシルエットの一つは、それを地面に落として踏み消すと、のどにひっかかるような声を出した。

「なあ、歩けるんなら、焚火ンとこ、戻った方が良くね?」

 体育座りのままひょっこりと頭部を上げ、あらぬ方に目をやって、八戒が応える。

「そうですね。 ええ、もう大丈夫だと思います。」

 そう言うと、ふらりと立ちあがって一瞬よろめいた身体を木に触れた手で支え、方向を転じて野営地に向かって歩き始める。 少し遅れて付いて来る悟浄の足音を背中に聞きながら、八戒は問いかけるように言葉を発した。

「・・・・・軽蔑してます?」
「は? ナンで?」
「だって・・・・僕は・・・・・。」

 そこで八戒が言葉に詰まったのは、自らの行為を具体的な言葉にするのに、いたたまれなさを感じたからだ。 客観的に見れば、自分のやっていた事は単なる『男漁り』である、と気付いたのである。
 先からの悟浄のセリフも、そう思えば自然であった。

「あのさ、ンなコト言ったら、俺の方が年季入ってるっつの。 オトコでもオンナでも同じだろ、意味は。」
「・・・・悟浄らしい。」

 笑いを含んだ声で八戒はつぶやく。 気遣わしげな目線をその後姿に送っていた悟浄が、やはり気遣っている事を隠さない声音で尋ねてきた。

「なあ、もっかい聞くけど・・・・」
「・・・はい。」
「怒ンなよ? ・・・・誰でもイイってんじゃねぇの、マジで?」

 進行方向を見つめながら、笑いを含んだ声が応える。

「・・・まあ、そういうわけじゃ、無いんですけど、・・・その」
「タイプ?」
「・・・それもちょっと、違うと言うか・・・。」

 自分を笑っているような声に苛つきを感じ、悟浄は僅かに語調を強めて言った。

「はあ〜? 良く分かンねぇのな、つまり。」
「いえ、自分では、分かってるんです。」
「・・・・ふうん。」

 納得いかないとばかり、疑わしげな響きを漂わせて鼻を鳴らした悟浄に、やはり自嘲を含んだ声が応えた。

「スミマセン。 上手く言えなくて。」
「ンなのはイイけどサ。」

 いつのまにか肩を並べている悟浄が、視線を八戒に向けながら、真剣な声で言った。

「・・・・なあ、余計なお世話かもしんねぇけど、そこらのオトコ引っ掛けるぐらいなら、・・・・俺にしとけば?」
「・・・・・・え?」

 何の冗談か、と問い返す碧の瞳が、自分を見つめていた赤い視線とぶつかった。
 それは、冗談どころか、むしろ真摯な色をのぼせ、八戒を見返している。

「知らねえ奴より、安心だぜ? わざわざ探す手間も省けるしさ。」
「・・・悟浄。 本気で言ってます?」
「うん。 結構、本気。」

 それは、悟浄の眼の色を見れば、言葉にせずとも理解できた。 狼狽を悟らせまい、と思わず視線を逸らして前方に向け、八戒は言う。

「それは・・・・やめときませんか?」
「ダメ? 俺、下手じゃないと思うけど?」

 答えた悟浄の声に明るい気分が混じっているのに気付き、八戒は少しだけホッとした。 先ほどからの気詰まりが、ほんの少し解消される。
 だが、言ってる内容は、八戒的にありえない事だった。

 ―――遊びで、悟浄と、寝る?
      死んだ方がマシだ。

 その想いを覆い隠したくて、言葉に重みが残らぬように気を付けながら、極力明るい口調で八戒が言うと、それは図らずも、自嘲の響きを帯びた。

「・・・そう言う事じゃなくて、悟浄は、仲間でしょう? ずっと一緒に居るわけだし。」
「だから便利なんじゃん。 イイ手だと思うんだけど?」

 あくまで明るい語調で悟浄は続ける。 だが、こんな会話を続けていたら何を言い出すか自分でもわからない、と恐れた八戒は、会話自体を終わらせたいと言う意思を込めて極力軽く、声を出した。

「もう、よしましょう、この話は。」
「ああ、そっか。 好きな奴が居るんだ。 そうだろ?」
「え?」

 構わず続ける悟浄の言葉に思わず問い返し、もう一度その問いを己に向ける。

 ―――・・・そう、結局は、そういう事だ。 悟浄の言っている意味とは、かなり違うが。

 そう考えて、八戒は自分に言い聞かせるように言った。

「・・・・・・そうですね。 ええ、そうです。」

 先ほどまでの、自分を嘲笑うような響きは、もう無い。

「それって、こないだホテルに行った奴?」
「いえ。 彼は、・・・友人です。」
「へえ〜、ダチでも、寝るんだ?」
「―――もう、よしましょう。」

 今度はハッキリと、八戒が低い声で言った。
 木立の合間から、悟浄が焚いていた炎が揺れているのが見える。 宿営地は目前であると知り、再び話を切り上げようとした八戒に、しかし悟浄は食い下がって来た。

「ナンで俺はダメなの?」
「よしましょうって・・・」
「教えろよ。 ダチがOKだっつんなら、ナンで俺じゃダメなのか。」
「悟浄、しつこい。」
「ヒトコトじゃ言えねぇ? なら、夜通しかけて聞いてもイイぜ?」

 それを聞いて眉をしかめ、足元に目を落として、八戒は搾り出すような低い声で、問いを発する。

「・・・悟浄、・・・貴方そんなに・・・僕と」
「どこ行ってたんだよぉ、はっか〜い。 ノド乾いたよ〜。 アレ作って〜。」

 はっとして言葉を切った八戒が声の方を見やると、焚火の傍で悟空が身を起し、目をこすりながらこっちを見ている。 瞬時にして険悪な気配を放出した悟浄に気付かぬフリをして、八戒は笑顔を作り、大またで炎に歩み寄って行った。

「アレって?」
「うん、すっぱくて甘いヤツ。 眠れねぇ時、飲めって、前作ってくれたろ?」
「ああ、ホット・レモネードですね。 良いですよ。 ちょっと待ってて下さい。」

 いつもの笑顔を見せて、八戒は蜂蜜とレモンを取りにジープへと向かった。
 それをなす術なく見送った悟浄は、紅い瞳に剣呑な光をのぼせ、いきなり悟空を蹴り倒す。

「ナニすんだよっ!」
「コラ、アホ猿。 ナンで起きてんだ、てめーわ。」
「わりーかよ!」
「激わりぃんだよ!」

 今夜はもう、あんな会話を交わすような隙は見せまい、と悟浄はあきらめの吐息を吐き、憤りを焚火に向けて、それを蹴った。

「クソッ!」

 火の粉がぶわぁっと、宙に舞う。
 上昇気流に煽られた細かく赤い発光物が、星の瞬く空へと飛んでは、消えた。




 翌日。

 疾走するジープの車上に、相変わらずの四人の姿がある。
 八戒に作ってもらったレモネードを飲んで、またすぐに寝入った悟空はもちろんの事、野宿が続くと疲れが溜まるのか、殆ど寝て過ごす三蔵も、二人の微妙な変化には気付いていなかった。
 もとより、前夜の出来事をあからさまに気取らせるような二人ではない。 笑顔を湛えてジープを運転する八戒も、後部座席で密かに八戒を見つめる悟浄も、いつもの通り。

 そう、彼は、旅を始めて以来、ずっとそこから八戒を見ていたのだ。

 悟浄は、同居を始めた頃に較べると、八戒の扱いにおいては明らかに長けてきており、不用意に視線を気づかせる事も無くなっている。 故に、八戒は全く気付いていなかった。
 そうして悟浄は、八戒の瞳に、その肩の辺りに、精神的なものから来るのであろう疲労が滲むのを見ていた。
 酒場で悟浄を見つけると、不自然なまでにコッチへ視線を向けまいと意識している様子も、見ていた。
 己を苛めるように、常に何かの仕事を見つけて動き続けるさまも、イライラなり自虐なりが募ったのか、吐く言葉に毒が混じる確率が高くなるのも、常に貼りつけている笑顔が時に怖いものになっているのも、見ていた。
 それを気取られぬよう、細心の注意を払って、クールで軽薄な自分を必死で保っていた。

 ―――強引にあいつを引き戻すのは、カンタン。 ・・・けどそれじゃ、意味が無い。
     あくまで八戒の意思で、俺達の関係は変わって行かなきゃ。
     でなきゃ、同じ事が何度でも起こる。

 考えに考えた末の結論が、それだったのだ。


        .................................................................


 ・・・旅に出る以前の事である。

 その頃、マイペースな生活時間で、マイペースに過ごす悟浄の内心には、同居人にも気取らせないほどの、かすかな葛藤があった。
 なんとなく、八戒が気になる。
 別に生活に不満は無い。 気に入らないと言う訳でもない。 なんと言うのか、とにかく気になるのだ。
 なにやら思い沈んでいる様子に気付くと気になってしょうがなかったり、ふと気付くと八戒を目で追っていたり。

 これまでの人生で、悟浄がここまで他人と共に過ごした経験は無い。 八戒はいまや、ある意味かけがえの無い存在である。 だが、そういう事とは色を異にする感情が、悟浄の中にあった。
 下手な女よりキレイな顔をしているのは、よーく知っている。 かといって、時にその唇を見つめている自分に気付き、焦りを感じたりするのは、ちょっと違うんじゃないか?
 キレイな顔のわりに、性格がずいぶんとイイと言う事もわかっている。 だからと言って、他のヤツにするようにしなだれかかったり、肩に手を置いたり、が、しづらいのは何故だ?
 他の誰より共に過ごす時間の長い奴だ。 ならどうして笑顔を返された時に、心臓がドキンとするんだ?
 また、それとは別に、色々と記憶があやふやな部分があったりもした。
 いつから雨の夜が平気になったのかハッキリしなかったり、いつから笑顔の種類を見極められるようになったのか分からなかったり。 そして、どこかへ向けられるべき強い感情が行き場無く漂っている、そんな焦れったいような感覚が、身の内に燻りつづけていたり。

 色々と釈然としないまま、だが、それでも深く考える事もせずに、悟浄は日々を過ごしていた。
 スッキリしないからって、別に死ぬ訳じゃ無し、の一言で、あやふやなまま、ほおって置いたのである。
 彼にとっては、子供の頃、・・・母に疎まれている事を受け止めかねていた頃から、釈然としない物を丸ごと抱えてほおって置くのは、珍しい事ではない。 むしろ、これが常態である。
 故に特に不都合を感じずに、だが釈然としないまま、日々をやり過ごしていた。

 そんな中、唐突に頭の中に漂う霧のようなものが晴れたのは、旅に出る三ヶ月ほど前のある日の事。
 きっかけは八戒の一言である。

 いつものように昼過ぎに起きて八戒にコーヒーが要るかと問われ、ボーっとしながらうなずいた悟浄に、いかにも何かのついで、という風に『それ』を手に持って、八戒が言ったのだ。

「悟浄、このセーター、せっかく編んだのに、僕には少し大きいんです。 良かったら着てくれませんか?」
「んぁ?」

 八戒にはよくある事とはいえ、何の脈絡も無くいきなり言われた悟浄は、間抜けな声を返して煙草に火を点けながら、ぼうっとそれを見つめていた。 いや、セーターを編んだ、と言う八戒の言葉を聞いた時に、すでに始まっていたのかもしれない。 ・・・悟浄の頭の中で、連想ゲームが。


 ―――セーター・・・・

 ―――賭け

 ―――ギリギリ

 ―――妨害するぜ?

 ―――着て確認すると言うのは

 ―――1日相手のいいなり

 ―――でも、僕が着られるような女物の服なんて


 いきなり、一見関連の無い単語の羅列が次々と浮かんでは消えた。 それに反応して、休止していたシナプスを賦活させる微電流が、脳内を走る。
 頭の芯が、一気に加熱してゆく。
 単語の羅列が、情景の断片にとって代わる。

『ですから、僕は仕上る方に賭けますよ。 たぶん、ギリギリどうかなって感じなので、極力急いで、僕は仕上げる。』
 ―――ナンか企んでやがるな、コイツ?

『って、悟浄、帰っちゃうんですかっ』
 ―――めーずらしー、八戒が必死になってやがる。

 ―――化粧した八戒が、鬘を毟り取って、黒髪が露わになる。
『ナンです?』
 ―――上げていた前髪がはらりと落ちる。
    俺を見る、色っぽい碧の瞳。
『八戒ってカンジする。 俺、コッチの方がイイな。』
『そんなに違いますか。 いつもの僕と。』
 ―――八戒、キレイ。


「・・・・もう寒い季節は終わりましたし、着るとしても来年になるとは思うんですけど。」

 現実の八戒の声に我に返ると、不安げな碧の瞳が悟浄を見つめていた。
 つい今しがた追体験した妖艶な碧の瞳と、今、目の前にあるそれが重なる。 その意味が分からず、呆然としたまま悟浄は言葉を失っていた。
 ふと手を見ると、手にした煙草の灰は、さほど増えていなかった。
 つまり、今の連想ゲームは、ほんの一瞬の出来事だったのか、と悟浄は思う。
 だが、頭が加熱したまま、アトランダムに浮かんでは消える夥しい数の単語や流れる情景が煩くて、通常の思考が働かない。
 浮かんだ情景が、何を意味しているのか、分からない。

「・・・ああ、貰っとくわ。」

 やっとそれだけ言うと、セーターを受け取って、コーヒーも飲まずに、悟浄は自室へと戻った。
 部屋の中で、ベッドに座り、悟浄はただ、浮かんでは消える『コトバ』と『景色』を受け止めていた。
 頭の中で、あらゆる単語が、会話が、思考が、情景が、飛び交っている。
 加熱する脳内に、微かな拒否の感情があり、だがそれを黙って見ていろと言う声が感情より僅かに強く響いている。
 無意識の内にセーターを握り締めたまま、なす術なく、じっとしていると、無秩序だったそれらが、徐々に時系列に沿って整理されて行くのが分かった。 それをまた、抗う事無く、一つづつ受け入れていく。
 そうやって、端から見れば、ただぼおっとしているようにしか見えない状態で時を過ごす内、このところずうっと頭の中に漂っていた靄のような物が、除々に晴れて行くのが分かる。
 やがて釈然としないままほおって置いた行き所の無い強い感情が、どこに向かっている、どんな物だったのかが理解されるに至り、悟浄は目を閉じて、腹の底から息を吐いた。

 ―――俺はあいつに惚れてんだ。 だからあんなに、あいつが気になったんだ。

 そう認識する事で、たった今までふわふわと頼りなかった自分の足元が、しっかりと硬い地面であると実感する事が出来たような気がした。

 ―――八戒は・俺の・恋人だ。

 それは事実である、と実感する事が出来る。 今までの、あやふやな感覚は全く無かった。
 だが、それでは終わらない。
 そこからまた、悟浄は考える。
 今の状態はどう言う事なのか。 何故こうなったのか。
 どこで自分は間違えたのか。
 どの時点から、八戒を理解し損ねたのか。

 悟浄的には、ありえないくらいアタマを使った。
 その疲労度は、ハードな肉体労働を休み無く続けるより遥かに高い。
 それでも考える事をやめなかった。
 今やめたら二度と戻らない、自分自身の時間。
 そんな強迫観念が、彼を追いたてていた。

 ―――そうだ、賭けをした。 俺が負けたら催眠術の実験台になるとか言って・・・・
      俺が勝ったけど、実験台にはなるって言って・・・・
      ・・・・・俺が勝った時はどうするんだった?

 『デート』と言う単語が浮かぶ。

 ―――そうだ、あの時。 デートした女がいた。
      たしか、香蘭とか・・・・

 秘密の恋人。 香蘭と言う名の、背の高い美女。

 ―――・・・違う・・・。

 その記憶に違和感を感じ、悟浄は瞼をきつく閉じて眉をしかめる。
 瞼の奥に火花が散り、頭の芯に痛みが走るのに耐えていると、記憶に反する情景が脳裏に映った。

 鬘を取って、黒髪が現れる。 上げていた前髪がはらりと落ちる。
 化粧に彩られた、妖艶な碧の瞳。
『そんなに違いますか。 いつもの僕と。』
『声出さなきゃ、どっかのキレイなおねーちゃんかも。』
『それは今日で一番、嬉しいお知らせです。 安心しました。』
『でも鬘とったら、やっぱ八戒ってカンジする。 俺、コッチの方がイイな。』

 ―――あれは八戒だ。

 遠くから聞こえるような、現実感の無い、八戒の声。
『疲れを取ってあげましょうか?』
『悟浄、眠くなってきたでしょう。』
『もう、眼をあけていられない。』

 ―――・・・催眠術って・・・
      そうか・・・・・八戒・・・・!

 眼を開き、頭を抱えて髪をかきむしる。 吐き気がこみ上げる。

 ―――なんでだ?
      ナンでそんな事する?

 まだあやふやな記憶をひも解く。 頭の芯がずきずきと痛む。 
 それに耐えて考えつづけ、やがて以前八戒が言っていた言葉を思い浮かべるに至り、やっと一つ、得心した。

『悟浄に好きな人が出来て―――家庭を持ったとしても――――友人として傍に居られれば、と思っていますので・・・。』

 ストンと腹に収まる思いに徒労感を感じ、悟浄はその時始めて、汗をびっしょりとかいている自分に気付いた。
 さらに疲れきっているのを自覚して、それまで頭を抱えて座っていたベッドに身を倒すと、たった今受け入れた事実を思い、唸り声をあげる。

 ―――本物の馬鹿だ、あいつ。
      ちょっと考えりゃ、分かるだろーが!
      無理なんだよ、いまさら只のトモダチになるなんざ・・・

 そこまで考えて思い至った真実と思しきものは、悟浄に谷底へ叩き落されたような墜落感を与えた。

 ―――そっか、だから
      俺に、恋人じゃない、と、思い込ませようとしたんだ。

 胃の中にずしんと落ちてきた、鉛のカタマリ。
 それが胃の内容物を押し出し、悟浄はしたたかに吐いた。
 自分の吐しゃ物を目にした次の瞬間、頭にかあっと血が上り、悟浄は汗みずくのままベッドから跳ね起きる。
 何をどうしようという具体的な意思も無く、八戒の元へ行こうとして、ドアを開ける寸前に自制が働いた。

 ―――ちょっと待て、俺!
      落ち着け!
      もうちっと考えろ!

 悟浄はまたベッドに戻り、倒れこむように横たわって、両手で頭をかかえた。
 かつてないほどに労働を強制された悟浄の頭脳は、ずきずきと痛みを訴えており、ただ宙を見ていただけだった赤い瞳も充血して、眼全体が赤くなっている。 胃は未だむかつきを訴え、胸の辺りを鷲づかみにしながら荒い呼吸を整えようとして、果たせない。
 それでも冷静であれと自分に言い聞かせ、悟浄は思考を進めた。

 ―――今、リビングに行って抱きしめたってキスしたって、それでとりあえず元通りになったって、
      あいつはそのうち、きっと同じ事を考える。
      どうにかして『オトモダチ』になろうとする。
      そうだよ。
      あいつはそういう奴だ。
      おい、自分!
      ・・・・思い出せ! 俺のモットー!

 『来るのはOK、去るのもOK。』

 ―――俺って、去るものは追わない、んじゃなかったっけ?
      すがって、行かないでくれとか、言うつもりか?
      ・・・ありえねぇだろ?

 だが。
 自分以上に、八戒を理解できる奴は、絶対にいない。 三蔵ですら、誤解してる部分がある。
 自分にあいつが必要なように、あいつにも自分が必要なはずだ。
 悟浄には、その確信があった。

 ―――八戒は、何度だって俺に惚れる。 俺だって何度でも惚れなおしてやる。
      俺達が離れられるもんか。

 考えすぎて疲労の滲んだ顔で、悟浄は自分に言い聞かせる。

 ―――OK。 待っててやるよ。
      目が覚めて、俺のトコに戻ってくるまで、待っててやる。
      大体が、今まで追いかけすぎたんだ。
      コッチから追いかけるなんざ、した事ねぇから、加減がわかんなかった。

 思い起こすに、悟浄は自分の気持ちが強すぎて、更に言えば、それまでそんな感情を抱いた事が無かったが故に、また、自分の想いを受け入れられた喜びに打ち勝てず、自分の抱く恋心ゆえの行動を、一切、抑制しなかった。
 それがこの結果を招いたと言うなら、逆もまた真なり。
 だが。

 ―――賭けだな、こりゃ。
      負けたら、そーとーイタイ、賭けだ。

 自嘲と共に、悟浄は決意を固めたのであった。 


 それから三ヶ月ほどしてもたらされた、旅に出ると言う三蔵からの申し渡し(というか、命令。)は、その時の悟浄にとって、渡りに船の申し出だった。
 例えそれが

『旅支度をしてここで待ってろ』

 という、不遜極まる俺様な言いまわしであっても、その旅がどこへ行く旅なのか、とか、どれだけ続くのか、とか、何故呼ばれたのか、とか、そう言う説明が一切無い、理不尽な物であっても、悟浄には三蔵が天使に見えた。
 一つ屋根の下、毎日八戒を見て、毎日声を聞いて、一切触れないという、拷問に近い状況。 性欲の処理は、女性相手にソコソコこなしていたのではあるが、それと八戒とは、悟浄の中で別物である。
 故に、生理的な限界を感じていたその時の悟浄にとって、それは天の助けとも言うべき話だったのだ。
 旅支度と言っても、元々が、根無し草である。 どうしても持って行かなければならない物など、彼は何一つ持っていなかった。 それでも、最低限の生活用品と着替えを収めた手荷物の一番底に、悟浄はあのセーターを入れて、この旅に出たのであった。

 それからは、少し距離を持って八戒を見ていた。
 三蔵と悟空の存在が、悟浄を楽にしていた、というのもある。
 八戒を見ながら、彼はずっと待っていた。

 ―――気付け。
      俺じゃなきゃ、ダメだって
      早く気付けよ!


         .........................................................


 町に入ったのは十ニ日ぶりだった。
 焚火から離れた森の中で交わした会話以降、まともに悟浄と話す事も無く、更にその後、妖怪との小競り合いもあり、かなりの疲労を感じていた八戒は、宿に泊まれるのが単純に嬉しかった。
 他の三人も、久し振りにベッドで眠れる、まともな食事が摂れる、という思いから、その頬は心なしか緩んでいる。
 当然、まずは宿探し、となる筈のところを、

「腹減った!」

 と、うるさい悟空の為にとりあえず食堂に入る。 注文を聞きに来た従業員に、いつもの通りメニューを上から順に読み上げ始めた八戒に、

「俺、ビールな。」

 とだけ言って煙草を咥えた悟浄は、そのまま三蔵へと視線を移す。 それを受け止めた三蔵が、当たり前に自分の煙草の火口を、悟浄の煙草の先に近づけた。 至近に迫った三蔵に、悟浄は他の二人に聞こえない程度の声で、伝える。

「今日、あいつと同室。」

 片眉を上げて見返す三蔵に、流し目をくれて、悟浄はもう一度言った。

「OK?」

 返事の代わりに、その顔に煙を吹きつけて、何事も無かったかのように三蔵は姿勢を戻す。 悟浄もそ知らぬ顔で、声を張り上げた。

「ビールまだぁ?」

 食事を終え、元気を取り戻した一行は、さほど時間を費やす事無く、適度に居心地の良さそうな宿に、ツインの部屋を二つ取る事が出来た。
 フロントで手続きをする八戒と、ロビーの椅子にどっかと座り込んで動かない三蔵を残して、悟浄と悟空がジープへ荷物を取りに行く為、いったん宿を出る。 ここまではいつもの事だ。 だが今回は、ここから少し違った。
 ゆらりと立ちあがった三蔵が、

「八戒、鍵を寄越せ。」

 と、言う。
 常なら全てを八戒に任せ、微動だにしない最高僧が、自ら動くと言うのだ。 珍しい事もあるものだ、と思いながら、なんの不思議も感じずに、八戒が鍵の一つを手渡して、

「二階の、205号室です。」

 と、言うと、悟空に命じて荷物を持たせ、すたすたと二階へ上がって行く。

「なーんで、あいつはトコトン働かねぇんだ? 八戒、あのボーズ甘やかしといても、ロクな事になんねぇぞ。」
「まあ、しょうがないですよ。 彼はこの旅のリーダーだし・・・。」
「リーダーって、率先して働くもんなんじゃねぇの? お前の方が、よっぽどリーダーだよ。」

 と、言いながら、手を出す。
 当たり前にその手に鍵を載せながら、八戒は言った。

「小間使いですよ、僕の立場は。」
「強権発動する小間使い? いねぇよ、ンな奴。」

 とハナで笑って返すと、二人で二階への階段を上がって行く。 階段を上りきって、廊下に立った二人に、三蔵と悟空が同じ部屋に入っていくのが見えた。
 荷物を入れさせているのだと思った八戒が部屋の前まで行くと、中から施錠の音が聞こえた。
 当たり前に三蔵と自分は同室、と考えていた八戒は、その音の意味に気付き、身体から血の気が引くのを感じた。
 悟浄と二人部屋? このタイミングで? 冗談じゃない!

「三蔵? 開けてください、お話が・・・。」
「は、八戒? 助けて・・・」
「悟空?」
「喧しい。 黙って言われた通りにしてろ。」
「はぁーい。」

 不満げな悟空の返事がドアごしに聞こえ、八戒は訳が分からずに、それでも悟浄との同室を避けたくて、続けて言った。

「あの、三蔵? 入れてもらえませんか?」
「忙しい。 後にしろ。」
「おーい、八戒。」

 隣りの部屋から顔を出して、にやけた悟浄が八戒を呼んだ。

「なにやってんの、ンなトコで。 入れば?」
「悟浄・・・?」

 今までにもこういう事はあった。
 疲れが溜まった時などに、三蔵はしばしば、悟空にマッサージをさせるのである。 今日は食事も既に終えているので、三蔵はこのまま眠るつもりなのであろう。
 それにしても、このタイミングはマズイ。 とはいえ、こうなったら三蔵は、動きはすまい。
 それは、わかりきったことで。
 八戒は一つため息を漏らすと、諦めて隣室のドアを開けた。
 部屋に入ると、悟浄は既にシャワーを浴びているようで、浴室から水音が聞こえている。 もう一つ息を吐いて、空いている方のベッドに自分の荷物を置いた。
 この部屋を空けるには、酒場で情報収集と言う選択肢もあるのだが、そうなるとこの小さい町では、たぶん、悟浄と鉢合わせてしまう。 なにより、今日は疲れていた。 こうなったら、早く寝てしまおう、と八戒は決め、荷物を解く事に専念し始めた。
 八戒の激しい疲労は、十日以上に渡って野宿をしていた事から来るものでは無い。
 数日前に、悟浄と交わした会話が、彼を心底疲れさせていたのだ。
 自分のしていた事を、悟浄が知っていたと言う衝撃もさる事ながら、その後に悟浄が言ったコトバが、必要以上に彼を消耗させていたのだ。

『俺にしとけば?』

 しかも、彼はしつこく食い下がって来た。

 ―――何故だ?

 ドアの開く音が聞こえ、悟浄が浴室から、髪を拭きつつ出てきた。

「ふー、サッパリした。 八戒、湯、溜めといたから、いつでも入れるぜ。」
「・・・・。」

 見るとも無しにそれに視線を向け、八戒は一つ息を吐く。 それに気付いた悟浄が問い返してきた。

「ナンだよ、言いたい事でもあんの?」
「・・・なにか企んでませんか?」
「ナニを?」

 真正面から聞かれ、自分が言った言葉の意味を考えると、吹きあがるような羞恥がその身を覆い、八戒は身体ごと悟浄に背を向けた。 そのままつぶやくように言う。

「この間の・・・。」
「ああ、森ン中でな。 別になにも企んじゃいねぇよ。 ただ」

 背後から聞こえる悟浄の声が、思いのほか至近である事に気付いて八戒が身を硬くすると、唐突に柔らかく暖かい物が、うなじに触れた。

「こんなコトは考えてたけど。」

 柔らかい物はぬめりを伴っており、耳元で聞こえる声と、背後から二の腕に触れた手が、それは唇であると八戒に教えていた。

「どうして・・・・・?」

 二の腕に置かれていた腕は前に回され、後ろから抱きしめる形になる。 首筋を、唇が這った。

「あ・・・・」
「理由なんか、あるかよ。」
「ごじょ・・・。」
「なあ、今日もしたい? 酒場行って、オトコ探す?」

 首筋から離れた物が、耳へと移動する。

「やめましょう・・・」
「しようぜ?」

 熱い息が耳から入って、身体の芯に熱を生じさせた。

「だ・・・・」
「キスしてイイ?」

 耳元で響くハスキーな声が、生じた熱を煽る。

「・・・・・・」
「なあ、イイかって聞いてんだろ。」

 舌が耳を這う。 ビクンと反応して、思わず息を漏らす。

「は・・・ぁ・・・・・・」
「八戒、キス・・・」

 ―――もう、耐えられない。

 身体を反転させ、八戒は自分から悟浄の唇を求めた。
 ずっと求めていた物が、ここにある。
 既に箍は外れていた。
 それは、貪るように深く、長く、悟浄を繋ぎとめる。
 やがて求める者より激しく応える舌に、八戒の身体が過敏に反応し始めた。 そこに触れた悟浄が、低い声で言う。

「キスだけで、もうこんな、なんだ。」

 はあ、はあ、っはぁ・・・・

 服を脱がせる、慣れた手。
 再び合わさる、唇。
 剥かれた胸に唇と舌が、移動する。
 思わず上がる、声。

 ―――ああ、この指だ。
      誰とも、違う。
      この、唇だ。
      他の誰より、熱い。

 ―――・・・もう、どうでもいい・・・・。

 腹の傷に、愛しそうに触れる唇。
 それが動いて、わき腹の一部を強く吸う。
 耐えきれず、声が上がる。
 骨ばった指は、肌の上を這いまわり、体内の熱を煽る。
 唇と舌は、次々と声の上がるポイントを責めてくる。
 的確に。
 あまりにも、的確に。

「イイ声。 もっと聞かせて。」

 ・・・・・知ってる。 この指は、唇は。

 僕を・・・・・覚えてる。






 《 To Be Continued For 思慕のウラハラ 世迷いごと。 5 》





 ホントに長くて、スミマセン。 まだ続くんです。
 
 


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