『きめごと。 ― 聖バレンタインデーの悲劇 ―』2005.02.13

 


 未だ雪が残る路地に立つ梅の木の、つぼみが膨らみ始めた頃。

 悟浄は、生まれて初めてのウキウキ気分を味わっていた。
 自慢じゃないが『俺ってモテモテ』な彼は、毎年二月半ばに大量のチョコレートをゲットするのであるが、さして甘い物を好まない彼にとってこのイベントは特に意味が無く、集まってしまったチョコレートも、その大半が近在の子供の胃袋に納まるのが昨年までの状況であった。

 しかし、今年は違う。
 生まれて初めて知った、本気の恋。
 最愛の恋人が出来た今年は、チョコレートにも意味がある。
 今まで欲しいなどと思ったことの無い『本命チョコ』が、今年ばかりはものすんごく欲しい悟浄なのである。




                    きめごと。

               ― 聖バレンタインデーの悲劇 ―




 だが、ひとつ問題があった。
 自分もそうなのだが、黒髪と碧の瞳を持つ彼の恋人も、時節に合わせたイベントごとにはとんと興味を持たない性質で、それが災いした先の年越しには、もう一日初売りが遅ければ丸一日絶食を余儀なくされるところであったほど難儀をした。
 事ほど左様に世間の動きに疎い八戒である。
 彼がこれほどまでに欲しているチョコレートも、もしかして彼の認識していないところかも知れない。
 そこで、悟浄はそれとなくコナをかけてみることにした。
 時あたかも一月の終わり。 冬の日としてはうららかといえる天気の良い日の事であった。

「なあ、八戒。 二月十四日って、ナンの日か知ってる?」
「え? 何ですいきなり?」
「やっぱし。」

 機転の利いた自分を褒めたい気持ちである。

「バレンタインデーだよ。 知ってんだろ?」
「ああ、ありますよね、そう言うの。 悟浄はさぞかしたくさん貰うんでしょうね、毎年。」
「ンな事言って、お前も結構貰ってんじゃねぇの、実は?」
「いいえぇ。 僕は生徒達から貰ったくらいで。 ゼンゼンですよ。」
「ウソつけ。」
「何で僕がそんな事で嘘つくんです?」

 他意無い笑顔で、朗らかに答える恋人を見て、マジらしい、と認識した悟浄は、ニヤケつつ言葉を継ぐ。

「ンでも、今年は貰えんじゃねぇの? モテてんだろ、八百屋とかに。」
「いわゆる義理チョコですよね、そう言うのって。 悟浄はいわゆる本命チョコがたくさん来るんじゃないですか?」
「でも俺、『今まで』『本命』なんて『居なかった』から、近所のガキどもにやっちまってた。 甘いモンなんざ、そんな食わねぇし。」

 要所要所で語気を強めての発言は、無論、八戒に自分の欲求を知らせるためである。

「ええ? それって失礼なんじゃないんですか?」
「ナンで?」
「だって、心のこもった物もあるんでしょう?」
「あのさ、いくらこもってようが、こっちに伝わんねぇんじゃ意味無えだろ? そーゆーのが伝わってくりゃ、俺だってキチンと対処するぜ? その気が無けりゃハッキリ断るだろうし、応える気がありゃ、甘くたって食うだろうしよ。」
「はあ。」
「んじゃなきゃ、貰ったもんどうしようが俺の勝手だろ?」
「なるほど。 まあ、一理あります。」

 会話が途切れ、その話はここまでになったのであるが、なんとなく流されてしまった感もあり、悟浄は不安を抱いてしまった。
 思えば、付き合い始めて半年を過ぎ、ここまでの日々のなかで、恋人からプレゼントなど貰った事は無い。(実は自分も贈った事など無いのであるが、それはこの場合、ひとまず置かれている)
 その代わりに日々受け取るのは、キツイ言葉と冷たい仕打ち。 八戒は、常に白々しいと言いたくなるような笑顔を崩さず、優しげな物言いをするくせに、可愛げない事おびただしい恋人である。 そんな彼からチョコを貰えたら!
 我ながら思いもよらない程、彼を好きである自分の心には疑う余地も無いが、八戒からは愛の言葉を聞いた事も無ければ、積極的に求められた事も無い。 悟浄が求めれば、たいがいは受け入れるものの、時としてきっちりと拒否の姿勢を現す八戒である。
 八戒がOKならフルタイムオッケー!な悟浄とは、目で見えるほどハッキリと温度差があった。
 恋人からの厳命で、誰にも秘密な関係を維持しているが故に、時として不安を感じてしまう悟浄。
 であるからして、今回彼から心のこもったチョコレートを貰えるのであれば、それは悟浄にとっては、信じ難いほどの喜びなのであった。

 ―――八戒、チョコくれっかな? 八戒からのチョコなら、どんなにクソ甘くても完食するもんね〜。
 ・・・いや待て俺。
 八戒ってば料理上手だから、手作りチョコとか作ってくれっかも。 甘い物が苦手だって言ってあっから、ビターな味わいのオリジナルチョコとか。 いや、薫り高い洋酒を効かせた大人の味わいかも。 イヤイヤ、ドカンとチョコレートケーキとか焼いてくれっかもしんねー! ・・・イヤイヤイヤ、八戒が心をこめて贈ってくれるンなら、例え五円チョコだろーがチロルチョコだろーが、きっとすんげえ嬉しい。 嬉しいに決まってる。 つーか、絶対嬉しい!
 でも、やっぱ手作りだよなぁ。 美味いだろうなぁ。
 あー、早く食いてぇ、八戒の作ったチョコ!

 妄想は誇大化し、現実とは全く係わり無く、八戒が手作りチョコを作るのは、悟浄にとって既定の事実となり始めていた。 一時、感じていた一抹の不安も忘れて、今や悟浄はその日を心待ちにするばかりである。


 当日。
 悟浄は珍しく早く起きて、

「今日は早く帰っから。」

 と言い置いて、昼前から外出した。
 八戒がチョコレートを手作りするなら、家に居ちゃマズイだろう、と、彼なりに気を回したつもりである。
 半日をブラブラと過ごすうち、義理本命の判別は難しいものの、結構な量のチョコを受け取ってしまった悟浄は、しかしそれをキチンと認識することすら出来ないウキウキ気分である。 顔はにやけて、しまりの無い事おびただしいが、本人に全く自覚は無い。 心の中は妄想でイッパイである。

 今日家に帰ったら、きっと八戒は俺にチョコをくれる。
 なんて言って受け取ろう。
 いんや、言葉ナンカ要らねぇ、しっかりガッチリ抱きしめてやろー!

 などと相変わらずの状態で、夕方には家路を辿った。
 なんの事は無い。 待ちきれなかったのである。

「お帰りなさい。 ホントに早かったですね。」

 二人のスウィートホームに、期待していたような甘い香りは漂っていなかった。 すっかり妄想の世界に浸っていた悟浄は、僅かながらパニックに陥いる。

 ―――あれ? 手作りはしなかったワケ? ナンでナンで? あれあれ?

 心中穏やかでない悟浄の混乱をよそに、八戒は笑顔で言葉をつないでいた。

「晩御飯を食べてから改めて賭場に出ます? ・・・っていうか、すごい量ですねえ。 そのチョコレート、全部貰ったんですか? すごいですねぇ。 ホントにモテモテなんですね、悟浄って。」

 笑顔で言う八戒の言葉の、半分も理解していない悟浄は、再び妄想を逞しくする。

 ・・・・・そうか、買ったんだ。
 そうだよな、いくら料理が上手いからって、そこまで乙女じゃねぇよな、コイツ。 つか、どっちかっつーと可愛げ無い系だから、照れ隠しみたいにぶっきらぼうにチョコを渡してくるかも。 そーだそーだ、その方がコイツらしいじゃん!

 無理矢理に自分を納得させて落ち着きを取り戻した悟浄は、紅い瞳に期待を込めて八戒を見る。
 その視線を感じとって、八戒は不思議そうに恋人を見返した。

「なんです?」
「――お前は?」
「貴方に数で勝とうなんて思ってませんからご心配なく。 まあ、買い物してたらいくつかは頂きましたけど。」

 じれったくなって、とうとう悟浄はハッキリと口にした。

「じゃなくて、俺に!」
「誰が?」
「お前が!」
「は?」

 きょとんとして固まる八戒を見る、悟浄もパニックを起こしていた。 今まで既定の事実として思い描いていたものが、轟音を立てて崩れて行く。 いわゆるアタマまっしろ状態である。
 ややしばらくして、笑顔を取り戻した八戒は、腕を組んで片手をあごに添えながら、悟浄に問う。

「ねえ、悟浄。 バレンタインデーって、どう言う日か、知ってます?」
「んだ、いきなり!」

 ―――つか、こっちのセリフだし!

「元々は聖バレンタインが貧しい人に施しをしたという逸話から始まった習わしらしいですが、そう言う事ではなくて、お菓子屋さんの陰謀から始まった、今この時代に一般的に認識されているバレンタインデーの意味ですよ。 知ってますか?」
「―――って、女のコが好きな相手にチョコ渡したり告ったりする日だろ!」
「・・・・・なるほど、だいたい正確に把握してるんですね。 なら、どうしてそんな曲解を・・・・・」
「ナニが言いてぇんだよ!」
「分かりませんか?」
「だからナニが!」

 八戒はいっとき眉間に指先を当てていたが、やがて小さくため息をつき、悟浄をまっすぐに見つめた。

「じゃあ悟浄、スミマセンが、もう一度さっき答えてくれたバレンタインデーの意味を復唱してもらえます?」
「なんだよ。」
「いいから、さあ。」
「・・・・・女のコが好きな相手に告ったりチョコ渡したり・・・・・」
「はいそこまで。 主語のところをもう一度。」
「? ・・・女のコ?」

 我が意を得たり、と笑顔になった八戒は、再び悟浄に問うた。

「僕、女性に見えます?」
「いや、野郎だな。」
「でしょう?」
「・・・・・・え?」
「まあ、良いです。 どうしても欲しいなら、僕が今日貰ったので良ければ分けてあげますけど、そんなにたくさんあるのに、その上まだ欲しいんですか?」
「ええっ!?」
「―――っていうか、夕飯は食べるんですか食べないんですか。 賭場にこれから出るのかどうかも返事もらってませんよ?」
「ええええええっ!!!」




 次の朝、例年通りチョコの分け前に預かろうと群がる子供達の中に、
 妙に憔悴した悟浄の姿があったことは、言うまでも無い。




《 END  ――きめごと。 ―聖バレンタインデーの悲劇―― 》




 あはは・・・・・・
 別に悟浄に恨みがあるわけではないんですが、八戒なら多分こういうだろーな、と思ってしまって。
 ・・・・スミマセン。



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