――― とあるひそかな もめごと。 2 ―――
年も押し迫った、十二月三十日。
「起きて下さい、悟浄! 出掛けますよ!」
「んな・・・なに?」
「良いから、早く!!」
昨年は、初売りの日まで買い物が出来ない事に気付かず、この時期に買い物をしなかった。 結果、あわや餓死するかと思われるほど、食料に窮した覚えのある八戒である。 今年は同じ轍を踏むまいと、昼過ぎに悟浄を叩き起こして、買出しに出かけたのであった。
「なあ八戒、俺、腹減ってんだけど・・・・・・」
「買い物が終わったら、何か食べさせてあげますよ。」
「って、いつ終わんの。」
起き抜けを、訳の分からないまま引っ張り出された悟浄は、まだハッキリしない頭で、自分はあくまで『たくさん持てる荷物持ち』として連れて来られたのだ、と判断する。 しかも朝食も与えられず、あっちの店こっちの店と引っ張りまわされ、両腕に抱えた荷物が、どんどん重量を増してゆく。 常なら怒り出してもおかしくない状態であるが、今日ばかりは、何故かそうはならないのであった。
「さて、一休みしましょうか。」
「は、天の助け。」
買い物を始めてから、小一時間も経っている。 普通に考えれば、
「俺が何したっての!?」
と、食って掛かってもおかしくない状況に置かれている悟浄だが、現実には、コーヒーを飲む八戒の向い側で遅い朝食をとりながら、にやけてしまう顔を抑えられずにいた。
理由は、恋人の目元を飾るモノクルである。
受け取ったその場から、八戒はモノクルを身に付けている。 度数も合っていたようで、プレゼントは喜ばれているらしい。 珍しく照れた顔をして『大当たり』と言ったのだから、当然そうなのだろう。 悟浄としても、大満足なのである。
そのモノクルを身に付けた八戒と、初めて一緒に出掛けた、記念すべき日が今日なのであった。
(やっぱ、超似合ってるよな! 俺ってサスガ! つーか、みんな見てくれよ! うちの八戒って、美人っしょ!)
可能であれば、そう触れ回りたい心持ちである。
一方、内心の浮かれ気分が、全身からにじみ出ている悟浄を見る八戒も、上機嫌である。
機嫌の良い悟浄は、常よりさらに御しやすいので、それも計算のうちとばかり、今日のように、実は酷い扱いをしていたりするのだが、被害者たるべき当人に、その自覚は無いようである。
(良いんじゃないですか? 本人が幸せなら。)
と、若干黒いものの漂う笑顔で、八戒は恋人を見つめた。
さて、年越しするにあたって、昨年と違う事がもうひとつ、ある。
今年は悟空も一緒に過ごす事になったのだ。
年末年始のこの時期、多忙を極める三蔵が、
「野郎二人の正月じゃあ、さぞむさ苦しいだろう。 野猿を一匹、貸してやる。」
と、例によって偉そうに言って寄越したのだ。
前年の同時期、悟空によって三蔵がなんらかの被害を蒙ったのであろう事は、(主客顛倒した物言いながら)『依頼』して来た時の三蔵の表情から知れた。
昨年はどう過ごしたのかと尋ねると、何か思い出したらしく、その顔がみるみる苦虫を噛み潰したような苦渋を滲ませたのだ。 よほど嫌な思いをしたらしい。
ともあれ、悟空が居るのだから、食料はかなり必要になる。 買い物がここまで大量になってしまった所以である。
大量になるのは致し方ないとしても、いかに馬鹿力とはいえ、悟浄の腕は二本しかない。 おのずと持ちうる荷物の量も限られてくる。
無論、八戒も荷物を持ってはいる。 ただし、重いものは自主的に悟浄が引き受けている為、重荷による苦渋はもっぱら悟浄ひとりが感じていた。
だがそこは、カッコつけたがりの悟浄のこと、帰宅までツラッとして耐えてやるつもりだったのだが、買い物を再開してから二十分も経ったころ、とうとう音を上げた。
「八戒! も、ムリだって!」
重量ではなく、質量が限界である。 袋物が、肩といわず腕と言わず、人間クリスマスツリーの様に悟浄を飾っている。 その腕の上に箱物が 目元まで隠すほどの高さで積み上げられていた。 どこをどう工夫しようが、これ以上何か持ったら絶対落とす!と、主張する悟浄に、八戒も頷かざるを得ない。
「どうやら、そのようですね。 じゃ、それだけ持って、悟浄は先に帰ってて下さい。 あとはそんなに重い物も無いし、僕一人で大丈夫ですから。」
「わ―った! お先な!」
「落とさないよう、気をつけて。」
「おー。」
もはや振り返ることすら容易ではない状態の悟浄が、行き交う人を避けながら家路についたのを見送って、八戒は買い物を続けた。 残りの店を回って買い足すと、何か忘れた物は無いかと商店街に視線をさまよわせ、買い物内容を反芻する。
そこで八戒は、ふと思いついて、悪戯っぽい笑顔を浮かべ、眼鏡店へと足を向けた。
「いらっしゃいませ。 ・・・あら。」
「こんにちは。」
「やっぱり、あなただったんですね、八戒さん。」
目元にセットされたモノクルに目を止めて、李二理は親しげに声をかけた。
「バレバレですよね、でも僕はクリスマスまで知らなかったので。 貴女は知ってて黙ってたんでしょう?」
底を見せない爽やかな笑顔で八戒が問えば、同じく真意を見せない柔らかな笑顔で二理が返す。
「連絡先が同じだったので、多分そうだろうとは思っていたんですが、確信が持て無い事を口にするのは、主義じゃないので。 ・・・と、いっても、度数を測るために持ってきた眼鏡で、確信しましたけどね。 うちで修理した眼鏡でしたから。」
実はこの二人、この町に居を定めて直ぐに、八戒が眼鏡の修理を依頼して以来の知り合いである。
タイプが似ているからか、うまが合い、買い物途中に立ち寄っては、お茶を飲みながら世間話をするほどの仲であった。
とは云っても、この町に眼鏡店は一つしかないので、この店を八戒が知らぬはずが無いのは、少し考えればわかる事である。 それに気付かなかった悟浄のほうが抜けている、とも言えた。
「彼は何か言ってましたか?」
「とても大事なお友達に贈りたい、と言って、真剣に探してらっしゃいましたよ。 いい人ですね。 ・・・少し、ガサツですけど。」
「ええ、まあ確かに。 でも許容範囲内だったでしょう?」
二理は自分と八戒のお茶を、お盆ごとガラスケースの上に置き、席を勧める。
「良き友人は、得がたい宝と言いますものね。 少し羨ましかったです。」
「・・・・・喜んでいいのかな。」
笑顔に複雑な表情を含ませて見せる八戒に、李二理はくすくすと笑って続ける。
「支払いはキャッシュだったんですが、お酒のシミや口紅の汚れのついた、しわくちゃのお札がたくさん混じってました。 なんとなく、生活が窺えましたけど、心も伝わりましたよ。」
「あはは、彼らしいですねえ。」
湯呑に口をつけながら、少し窺うように八戒を見て、二理が聞いた。
「同居してらっしゃる?」
「はい。」
「ではあの方が『彼』なんですね?」
「ええ。 ・・・・?」
彼女らしからぬ物言いに、八戒は違和感を感じ、目で疑問を呈す。
「ごめんなさい、不躾ですね。 なんとなく、イメージが繋がらなくて。」
「ああ、よく言われます。 けど彼、あんなナリしてますけど、中身はそうでもないんですよ。」
以前から、八戒はよく同居人の話をしていた。 それは微笑ましいエピソードだったり、爆笑ネタだったりしたのだが、世間話の範囲の事である。 八戒も深く彼の人となりを語っていた訳ではなかった。
二理の持つ、八戒の同居人の『彼』のイメージは、実際の悟浄と、かなり違っていたようだ。
「ひょんな縁で、知り合いましてね。 同居する事になったのも、なんとなく、なんです。」
「頭痛も肩こりも、彼には言ってないんですね。」
「あはは、伝えたところで症状が緩和されるわけでも無いですしね。 あれで意外に心配性なので、面倒くさいのもありますけど。」
くすくすと笑いながら、二理も答える。
「そんな感じがしましたよ? 眼鏡の度数を測った時も・・・・」
早朝に酔って店の前に座り込み、ドアを叩きながら大声をあげていた話を披露する。 特に、『バレないように』必死だった様子が受けて、二人はひとしきり笑った。
その日、悟浄が酒を買ってきた時点で、何かを企んでいる、と気付いた八戒だったが、その目が子供のように『わくわく』を表していたので、悪だくみではあるまい、と放置しておいた事も、八戒は伝える。 それにしてもあの服装のセンスは如何なものかと付け加えると、二理も声をあげて笑った。
いたずら好きで、素直じゃないくせに、内実はわかりやすく、カッコつけたがりなのになりきれてない。 シニカルな大人の物言いをするかと思えば、実は素朴で優しい人。 いい年をして、子供みたいな男。
そうしたイメージと、先日まのあたりにした、赤い髪と目を持つ、長身の青年の精悍な姿が、李二理の中で徐々に重なっていった。
「ところで、お兄さんは?」
「相変わらずです。」
「・・・そうですか。 ああ、長居をしてしまいました。 僕はこの辺で。」
「またいつでもどうぞ。 今度はぜひお二人で。」
「いいえ、ここは僕だけの場所にしておきます。 だから、悟浄には内緒にしときますよ。」
「それも楽しそうですね。」
「でしょう?」
少し意地の悪い笑顔を交し合い、八戒は店を出た。
李二理は、悟浄と全く違った意味で、八戒の安らぎであった。 漏れ聞いた境遇が、なんとなく似ていたからか、彼女には自分と近い物を感じるのだ。 お互いに底を見せないタイプなので、距離感のとり方も、八戒的に絶妙で、心地よい。
多分、彼女も同じ様な事を感じていて、だから八戒にお茶を勧めたりしたのだろう。 そして、滅多に他人には言わない話もこぼしてしまったのだろう。
その話を聞いたことで、八戒の方も彼女に単なる友人以上の物を感じていた。 恋愛感情とは少し違う、肉親に対するような感情を、八戒は李二理に対して持っている。
だが、それがこれから変化していくものとは思えなかった。
昨年と違い、余裕を持って迎えた新年。
今年は一人増えた為、ことさら賑やかに過ごす羽目になった。
三十一日の昼過ぎ、山のような荷物を持参して、悟空はやって来た。
持ってきた荷物の大半は、三蔵の指示で誂えられた料理で、どれも日保ちする物だったのだが、一月二日の昼の時点で、そのような気配りは杞憂に終わりそうな勢いのもと、今まさに食い尽くされようとしている。 八戒が用意した食材も、無駄にならずに済みそうだった。
そもそも、この家に来て勉強をしなくても良い、というのが、悟空的には至福の状態なのだ。 それだけで悟空のテンションは上がり、常より落ち着かない状態になっている。
その上、悟浄は暇を持て余すと悟空で遊び始めるので、嫌でも家は賑やかになってしまっていた。
その度に外に出ろと言い渡す八戒だったが、あまりに度重なるので、さすがに面倒になってきたほどに、良くも悪くも落ち着かない正月となる。
時に、既に親しくなっている近所の子供達と遊びに出るが、家に戻れば、やはり食欲に走り、それをからかう悟浄と小競り合いを繰り返す。 食っちゃ寝、起きちゃ遊ぶ、を絵に描いたように過ごす悟空。 とにかく就寝時以外、片時もじっとしていない。 その様子に呆れた八戒が、疑問を口にした。
「去年もお寺で、こんな風に過ごしてたんですか、悟空?」
「こんなに食うモンは無かったぞ。」
「バカかこの猿わぁ! そーゆーコト聞いてんじゃねぇだろうがよ!」
「バカ猿言うな! んじゃ、なに聞いてるっつーんだよ!」
また小競り合いが始まるかと、慌てて八戒が言いなおす。
「お寺では、外に出られなかったんじゃないんですか?」
「うん、三蔵が、部屋から出んな!っつーからさあ!」
「つっても、どーせ、おとなしくこもっちゃ居なかったんだろ?」
「ちょっと外出て、ひとり雪合戦やってただけだよ! それなのに、サンゾーの奴、怒るから。」
「ひとり雪合戦?」
「聞いたことねぇぞ、どんなんだ、ソレ?」
去年と言えば、初雪が積もった時に、雪が苦手だと言っていた事もあったな、と二人は、同時に思い浮かべていた。
「雪、いっぱい、つもってる木があんだろ? それに、雪玉ぶっつけて、んで、枝から雪が落ちてくんのをかぶんの。」
「んだ、そりゃ?」
「遠くからぶっけて、雪が落ちてくんのに間に合わなかったら、負け。」
「あはは、普通、間に合いませんよねえ。」
「つーか、わざわざ雪かぶるって、どーなのよ、ソレ?」
「なんか、どさどさーってくんのが、キモチ良いんだよ!」
この、まっすぐで逞しい心を持った金眼の少年は、そうやってひとつひとつ、自分を成長させている。 苦手だった雪も、早い段階で楽しめるようになっていたようだ。
最初の頃、あんなに苦しんでいた勉強も、このごろでは唸り声を漏らす事も無く、淡々とこなせるようになってきている。 無論、『勉強好き』にまでは、なっていないようだが。
「そんで、記録コーシンしてたら、なんか、ハゲの人がモロに雪かぶっちゃって。 俺、雪かぶろーと思って、思いきり走ってたから、ぶつかっちゃってさ。」
「ハゲって・・・・・。 お坊さんでしょう?」
「うん、ムラサキと金の、すっげーハデな袈裟、着てた。」
「紫・・・・、それ、かなり高位のお坊さんですよ。」
「そんで、サンゾーがすっげー怒ってさあ!」
なんでだよ!と憤慨してみせる悟空を見て、八戒は僅かながら三蔵に対して同情を覚えた。
年末年始、法要が目白押しで多忙な日々の中、多分三蔵としては忍耐力の限りを尽くして、丁重に扱っていたであろう高僧。 その頭上に雪を落とした上に体当たりしたのが、事もあろうに三蔵の被保護者である悟空と言うのは、立場的にかなりマズイ状態であったに違いない。 もっとも、この悟空に『部屋でじっとしていろ』と命ずること自体が間違っているのだから、三蔵自身の責任も皆無ではない。
「そりゃ、怒るでしょう。 三蔵じゃなくても。」
「はーん、で、今年はこっちに追い出されたワケだ。」
身も蓋も無い悟浄の言いまわしに、悟空は憤慨する。
「追い出されたんじゃねえよ! 『遊びに行っていいぞ』って、言ったんだ、三蔵は!」
「てい良く追い出されてんじゃねぇかよ、わかんねーのか、バカ猿が!」
「バカ猿言うな!」
「はいはい、それ以上は外でやってくださいね。」
今日、何回目かのセリフを吐きながら、二人を戸外へと追いやると、食器を片付け、簡単に掃除をする。
それでも、悟空が居るから賑やかなんだ、と八戒は思う事にした。
悟浄と二人なら、きっと普段と変わらぬ、のどかな正月になっていただろう。 まあ、それも捨てがたい部分はあるのだが、かえりみるに、孤児院でも、花喃と暮していた時も、親戚が集まっての賑やかな正月など、迎えたことは無かったのだから、たまにはこういうのも良いのかもしれない。
言うなれば悟空は『手のかかる親戚の子供』状態で、いわゆる正月気分――疲れるけど、楽しい、年に一度のお祭り気分――を味わせてくれているのだ、と考える事にしたのだ。
三蔵に面倒を押し付けられたと考えるより、その方が精神衛生上、良さそうだった。
しかし、悟空が親戚の子供なら、悟浄はなんだろう? 一家の主と考えるには、ノリが軽すぎる。
・・・反抗期を終えたばかりの息子・・・? と、思ってしまって、一瞬寒気を感じた。 そう設定してしまうと、・・・・自分は母親か?
それ以上の考えを封じることにして、窓の外を見やると、二人は互いに罵声を飛ばし合いながら、雪合戦に興じている。 やれやれ・・・。
ため息をついていると、ばたん!とドアが乱暴に開かれる音に、どたどたと足音が続いて聞こえてきた。 騒々しく笑っているような荒い息も聞こえる。
「俺の勝ちィ!」
「つか、逃げんな!」
「悟浄の方がいっぱい雪玉当たってんじゃん、負け犬野郎だー!」
「ンだと、コラ!」
雪まみれになった二人が帰ってきた。
すぐに入浴を命じ、着替えを用意する。 我ながら、やってる事は手のかかる息子を世話する母親と同じじゃないか、と先ほどの考えがまた思い浮かび、慌てて打ち消す。 自覚してしまうのは、避けるべき命題だ。
半裸のまま、五分と経たずにシャワーから戻った悟空の、濡れたままの髪に気付いて、八戒はタオルでがしがしと拭いてやる。 一、ニ分遅れて、悟浄も姿を現した。
頭を拭いたタオルを取り去ると、八戒を間近で見つめながら、悟空が、不思議そうにしている。
「どーした、サル! 八戒がどうかしたか?」
「・・・八戒、ヘンなメガネしてる。」
思いきりこけた悟浄が、一瞬で体勢を戻して、悟空に言いかかる。
「おっせーんだよ、てめーは! 三日経ってから気付いてんじゃねぇ!」
「あはは、変、ですか。 ・・・似合いませんか?」
「んーん、ナンカ、ミョーに似合ってンじゃん! 前より八戒ってカンジ!」
「だろ、似合うだろ! 俺のプレゼントなんだぜぇ。 ざまーみろ!」
「ざまあって、誰に向かっての悪態ですか。」
「なあ、ぷれぜんとって、ナンだ?」
しまった! という空気が、室内に走り、急に用事を思い出した悟浄が、出掛けると声高に宣言した。
このところ、勉強に慣れて来たこともあってか、悟空は知識欲が甚だ旺盛になっている。 分からない単語を耳にすると、理解できるまで質問を繰り返すのだ。
頭上にはてなマークを飛ばす金目の少年は、理解力が足りない訳ではないのだが、とにかく基礎知識が極端に少ないので、説明には相当の労力を要する。
学ぶ姿勢が出来かかっているのだ、と判断している八戒は、出来うる限りきちんと説明してやろうと努めているのだが、その説明が、悟浄は苦手だった。
自分で説明するのが苦手なだけではなく、それを聞いているだけでイライラするらしい。
丁寧に理解させようとする、八戒の話の腰を折って、
「だーかーら、こういうコトなんだよ!」
と、一刀両断したがるので、八戒から口出し無用を宣言されていた。
なので、悟空が質問モードに入ると、逃げ出すのは常の事だ。 同じ部屋に居ると、どうしても耳に入ってしまうので、そういう時は外出する事にしているらしい。
苦笑を浮かべながら説明を始める八戒をしりめに、悟浄はあても無く外に出た。
この時期、酒場は休みだ。 賭場は開いているが、普段出入りしないようなトーシローが多くて、雰囲気が悪い。
かといって、正月早々顔を出せるような友人の家など無い。 いわゆる家族ぐるみのお付き合い、でもしていなければ、この時期、家まで乗り込める物ではないし、そういうべたべたした付き合いは、悟浄の交友関係の中に無かった。
まして、ひとりで寂しく正月を過ごしている奴に付き合うのもぞっとしない。 こっちは、小一時間も潰す事ができれば、それで良いのだ。 どっぷり入りこむつもりも無いとなれば、君子危うきに近寄らず、と言ったところだろう。
(うひゃー、行くトコねぇわ。 どーしよ。)
人通りの無い商店街をうろうろしてみたが、どの店も当然閉まっている。
家へ帰ったところで、あの鬱陶しい『説明会』は、まだ終わっていないだろう。 所在無く道端にしゃがみ込んでタバコをふかし始めた悟浄は、道の反対側に、ポツリと赤い色を見つけた。
真っ白に彩られた雪道にある真紅が気になって、近寄った悟浄が見たのは一輪の花であった。
この商店の中の、いずれかの娘が髪に飾っていたのであろうか。 茎は短く切られ、濃い緑の葉が一枚、細いワイヤーで止めつけられている。
立ったまま、しばしそれを見つめていた悟浄は、小さくため息を漏らすと、花を拾い上げた。
「しゃーねぇなー」
つぶやくと、家のある方角とは別の、東側にある小山を目指して歩き始めた。
道端に放置された赤い花は、彼に思い出させたのだ。
過去に、種類は全く違うが、やはり赤い花を贈ろうとした女性が居た事を。 そして、手ひどく拒否された事を。
「美人にフラれた事って、あんまねぇから、忘れらんねぇ。 ・・・・っつーだけだ。」
低い声でひとりごちながら辿りついたのは、小山の中腹にある墓地であった。
兄を追って放浪していた彼が、この町に戻った理由のひとつが、この墓である。 『母さん』と呼んだ女性の眠る墓。 とはいえ、戻ってきてから五年経つと言うのに、彼がここに来たのはこれでニ回目だった。 町に戻って半年も過ぎた頃、墓参りと言うには短すぎる時間を過ごし、直ぐに立ち去った事があるのみだ。
目当ての墓は、卒塔婆が一本立っているだけの、粗末な物だった。 悟浄はおもむろに先ほど拾った花を墓の前に置くと、沈黙を保ったまま、三十秒もせずにそこを立ち去った。
自分を殺そうとし、今も癒えぬ傷を負わせた人。 大好きだった兄を罪人にしてしまったその人に、彼はどうしても憎む気持ちを持てなかった。 かといって、『好き』なのかと言えば、それも違う。 チクリと細い針で刺したときのような、鋭いけれど微かな痛みと、反吐が出るような生ぬるい甘さを併せ持つ、不思議な感情。 だが、それをどう言い表すのかは、知らない。
墓の前に置かれた赤い花は、寒椿であったのだが、本人にその知識は無い。 ましてそれが故人に手向けるべき花では無いという事も、無論、悟浄は知らなかった。
墓地は山の中腹にあり、帰り道は下り坂になる。 所々に町を見下ろせるポイントがあり、眺めは悪くない上に、町からはそこそこ距離があるので、閑静な環境である。 そのためこの辺りには、施療院だの老人ホームだのケアハウスだの何かの病院だの、といった施設が、結構ある。 坂道を下る道すがら、それらがぽつんぽつんと姿を現した。
「どーにも、しんきくせぇな。」
白い息を吐きながら声をもらした時、まっすぐ降りる道の先に、人影がひとつ、見えた。
どうやらそこらにある施設から出てきたらしい。 人影は、だがそのまま動かず、出てきた建物を見ているようだった。 女性のようだ。 ずんずんと歩を進める悟浄との距離が縮まり、その風体がハッキリしてくる。 キャメルのハーフコートに、柔らかそうな栗色のクセ毛。 女性にしてはすらりと背が高い。
やがて近づく足音に気付いたのか、その人物はちらと悟浄に目をやり、慌てたように坂を降り始めた。
「ン?」
人影が、既存の人物と重なったように思い、女性の顔と名前は、自動的にインプットされてしまう悟浄は、しばし考えて答えを導き出した。
「二理ちゃん?」
あの眼鏡屋の店員だ、と認識するが、その頃には曲がり道の先に進んだ人影は見えなくなっていた。
彼女が立ち止まっていた門の前に立ち、奥にある建物に目をやる。
雪で覆われた広い前庭に、人が二人並んで歩けるほどの幅で除雪された道が通っている。 その先に、真四角、と形容したくなるような、そっけない造形の建物があった。
二階建ての、平らな壁面には、規則正しく窓が並び、そのすべてに鉄格子が張られている。 一階の中心にあるドアも、重く頑丈そうな物だ。 白く塗られていたのであろう壁は、雪の白銀の中でこすけて見え、あちこちにひび割れが走っていた。
どことなく、訪れる者を拒絶するような荒涼とした雰囲気が漂っている。
どういう場所か、と悟浄は、いかめしい造りの、大仰な門を見上げた。
「―――精神病院?」
二理の降りていった道を見ると、さっき上ってきた悟浄の物と、たった今、彼女が残した物しか足跡は見当たらなかった。 少なくとも、ここ一時間くらいは、雪は降っていない。
それ以上の時間、彼女はこの建物の中に居たと言う事だ。
―――何の用で?
「つーか、別に関係ねぇし。」
思い浮かんだ疑問を、声を出して打ち消して、悟浄も再び坂を降り始めた。
二理に追いついてしまわぬように、ことさらゆっくりと歩を進める。
もう、あのくそくだらねぇ『説明会』も終わっただろう、と、家へ帰ることに意識を向けながら。
正月休みが終わり、商店も初売りを始める日、悟空は寺へ帰っていった。
あれほど大量に揃えていた食材も、底をつこうとしている。
「さすが悟空、ですねえ。」
「ったく、こんだけ食ってんのに、なんで成長しねぇんだ、あのバカ猿は。 全部クソになってるってか?」
感心ばかりもしていられないので、二人は買出しに出掛けることにした。 極限まで食料に窮した昨年と違い、今年は初売りの風情を感じる事もできる。 結局二人は、食料品をそろえるのみで無く、そぞろ歩いて、それなりに買い物を楽しんだ。
その最中で、何か求めたらしい八戒が、家に着いてから悟浄に小さな包みを手渡した。
「なにコレ?」
「お年玉です。」
開いてみると、それは大判のバンダナだった。 色とりどりに五〜六枚はある。
「悟浄、髪を掻き揚げるクセがあるでしょう? 鬱陶しいなら、これで抑えちゃったらどうです?」
「抑えるって、どうやんの? やってよ。」
うるさい小猿も去り、久々に二人きりの部屋である。 悟浄が目の色に欲を滲ませて、八戒を見つめる。
(むやみに色っぽいですねえ。 こういう目つきは。)
若干、心拍数が上がったのを自覚しながら心中は見せず、八戒は器用にバンダナをたたみながら言った。
「良いですよ。 ちょっと低くなって下さい。」
無言のまま、にやりと笑うと、悟浄は食卓椅子をテーブルに背を向ける形に置きなおし、それに座って、変わらぬ目つきで八戒を見上げた。
八戒も無言で、その額に四センチ程の幅でたたんだバンダナの中心を当て、頭の後ろでキュッと縛る。 覆い被さるように髪に手をやり、後ろ髪をそれにかぶせた。
骨ばった手が、腰を支えるように添えられたのを感じながらも気付かぬフリをして、八戒は体をまっすぐに戻した。 腰を抑えられているので、少し身を反らせるような形だ。
「いくぶん、スッキリして見えますけど、どうです?」
「な、イイだろ?」
飢えたような紅い瞳で、少しハスキーな低い声が囁く。 腰に添えられた手が、抱きつくように回された。
「昼間から、なに言ってんです。」
「今日はナニも予定、無いよな。」
クスクスと笑いながら、八戒は機嫌良く答えた。
「ダメですよ。 僕、これから出掛けますから。」
「聞いてねぇ! いつ決まったよ、そんなん!」
「さっき、酒屋さんで。 熨斗を書く約束をしました。」
「今すぐ?」
「もう少ししてからで良いんですけど。」
「んじゃ、ちょっとだけ、・・・な?」
「そんなの、不可能でしょ?」
「大丈夫だよ。」
強引に頭を引き寄せ、口付けをする。 次第に深くなろうとするそれに、軽く応えるのみでいなし、身を起こした八戒は、笑顔のまま、言った。
「で、どうです?」
「は?」
「貴方、返事してませんよ。 さっきの僕の質問。」
「なに?」
額に手を寄せ、バンダナに触れると、悟浄だけに分かる冷えた笑顔で、再び言った。
「『いくぶんスッキリして見えますけど、どうです』と言う質問。」
「・・・・悪くねぇ。」
笑顔の底に垣間見える冷気に内心おびえながら、欲望は欲望として自覚している状態で、悟浄は不機嫌に答えた。
「なら、良かった。 使ってくださいね。」
「はあ? 強制かよ!」
「僕もコレ、『末永く使います』から。 貴方『ともども』ね。」
モノクルに手を添えて、流し目を悟浄に向けながら、八戒が言う。 自分がプレゼントに添えたカードに書いた文面の、引用をしているのだと気付き、悟浄は即座に赤面した。
「あ」
「嫌だな。 かなり嬉しかったんですよ、僕は。 貴方も喜んでくれなくちゃ。」
「ばか、今ごろナニ言って・・・・」
「あのカード、一生取っときますね。 宝物にしちゃいます。」
「捨てろ! 今すぐ! つーか、文句まで覚えてんじゃねぇ!」
食って掛かって、襟首を乱暴につかんだ悟浄に、ついばむようなキスを返す。
「諦めた方が良いと思いますけど? 僕にあんな残る物を渡したのは貴方なんですから、事ある毎に僕は言いますよ。 ね、悟浄?」
「ンな事なくても、おめーにゃ勝てねぇだろ、俺ぁ。」
「嫌な言い方しますねえ。 あのカード、本当に嬉しかったのに。」
「くそ、今度はぜってー書かねぇ!」
「嬉しいって言ってるのに、どうしてですか?」
「この! 根性悪。」
言いながら、悟浄も軽い口付けを返した。
「根性悪いし、人使い荒いし、分かりにくいし、根は暗いし。 お前、イイトコねぇぞ。」
「おっしゃる通りです。 貴方いったい、僕のどこがそんなに良いんですか?」
「根性悪くて人使い荒くて根が暗いトコ。 それに、美人だし。」
「ま、良いでしょう。」
満足そうに笑顔で言うと、八戒は悟浄から身体を離した。
「おい・・・」
「もう、行かなくちゃ、なので。」
淡々と外出の用意を進める八戒に、悟浄は情けない声を出す。
「ンな、殺生な! こっちは盛りあがってンだっつーの!」
「だから、不可能だって言ったじゃないですか。」
「すっぽかしちまえよ、そんなん!」
コートを身に着けて、ドアの前で振り返り、
「そういうコト言えちゃうところ、好きですよ、悟浄。」
爽やかに言い放つと、八戒は出掛けていった。
「くそ!」
ひとり、リビングに立ちつくしながら、悟浄は忌々しげに椅子の脚を蹴る。
「どーすんだよ、この状態!」
部屋で悶々とするのも性に合わない。 おもむろにジャケットを羽織ると、鍵もかけずに外に出た。
《To Be Continued For とあるひそかな もめごと。3》
続きます。
ところで、悟浄の扱い、酷すぎないか?
悟浄ってば可愛いし、私は別に恨みも何も無いんですけどねぇ。 どーしてこうなるかなあ・・・
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