『とあるひそかな もめごと。-1−』2004.12.25

 

 ほっとけねぇ、と思っちまった、だけなんだよ。
 無意識にそうなってたんだな。
 つっても、俺ごときにナニが出来る? って感じでサ。 やれることなんざ、たかが知れてるし。
 んでも、自覚してから、一応自制もしてた。 どうせ、ヒトゴトだろ? ほっとけよ!っつってる自分も居るんだけど、どーにも。

 求めても与えられないモノを、それでもひたすら追い求めて、追いすがって、ソレしか見えてねぇガキみてぇな、情けねぇ眼。
 寂しくて、辛くて、そんな感情がバレバレなのに、知らん顔して突っ張って、平気なフリして。

 ―――ああ、そうか。

 ココまで考えて、やっと気付く自分が、つくづくバカだと思い知る。

 ・・・そうか。 似てんだ、あいつに。
 俺って・・・・クソ!
 ・・・しょーもねぇ。








 ――― とあるひそかな もめごと。 ―――






 このところ、沙悟浄は珍しく思い悩んでいた。
 同居中の恋人も彼自身も、世の中の動きやイベント事には無頓着な性質(たち)で、昨年はクリスマスも正月も何もせずに終わってしまったのだが、彼はそれを少し後悔していたのだ。 昨年は彼にとって記念すべき、本当の意味での『家族』を手に入れた年だったのに、何の思い出もない。
 わざとらしい祝い事などは別に必要無いが、記念となるべき何か、を残しておくべきでは無かったのか?
 そこで今年は、恋人らしく、クリスマスにプレゼントでも、と思い至ったのが、十二月の始め。
 ところが、いざ何か贈ろうと考え始めると、何を選べば良いのか、がわからない(というより、見当もつかない)という、ばかげた状態に立ち至っていた。
 もとより、人からモノを貰うことはあっても、贈ったことなど皆無な男である。 まして、自分で物質的な何かに執着したことが無いので、何かを贈られて嬉しいと感じた経験すら無い。
 元来、人当たりだけは悪くないので、贈り物を受け取れば、笑顔の一つも見せて『ありがとよ』くらいは返しているのだが、誰に、いつ、何を貰ったか、などの記憶は一切留めていなかった。 故に誰かの『贈り物』は、訳のわからない、何故ここにあるのか説明のつかない物、としてしか存在せず、いつの間にやらゴミ箱か、誰か他の人の手に渡ると言う、末路を辿っていた。

 そんな男であるから、人に物を贈ろうとした時の戸惑いぶりは凄まじかった。
 贈られて、嬉しい物。
 ・・・・・思いつかない。 頭をかきむしろうが、ベッドを蹴ろうが、木の枝を折ろうが、思いつかない物は思いつかない。 ストレスが溜まって、生業である賭博にも悪影響を及ぼし始めた。
 これはマズイと自覚するが、どうしてもピンと来る物が思い浮かばないのだ。

 八戒は、自分よりは多少、モノへの思い入れが、あるように見える。
 例えばカーテンの色と他のインテリアの色を揃えようとするところ。
 例えば食器でも、不揃いなものは、今使われておらず、八戒の手によっていずこかへ仕舞い込まれて居るらしい事。
 他にも、いつの間にやら八戒の部屋に壁一面の本棚が置かれ、それにどんどん本が増えていっている事実。
 でもそれは、八戒自身のこだわりの中で選ばれたものであって、その『こだわり』が、いかような物なのか、悟浄には思い及びもつかない世界である。 本を贈るわけにはいかない。
 どうせ贈るなら、いつも身近に置く物か、日常的に使う物が良いと考えてはいる。 だがなにせ、全く分からないと思った時点で、一度切れてしまった男である。 下手な考え休むに似たり、とは彼のためにある言葉かもしれない。
 それでも、悶々としているだけでは始まらない、と思い至って町に出ると、商店街を歩き回って目に付くものを一々検討する、と言う手段に出た。

 それと意識して町を歩くと、どこもかしこもクリスマス一色になっている。
 これまで、こういった物とは無縁の生活を営んできていた為、彼にとってクリスマスとは、酒場の飾りが派手になり、乱痴気騒ぎが許される時、という程の認識しか無かったのだが、どうしてこうして世の中は、健全にクリスマスの雰囲気を醸し出しているではないか。
 自分でさえそんな認識を持つのだから、八戒に至っては、毎日買い物に出ていることもあり、それなりにクリスマスの意味なり何なりを感じているのだろう。 まあ、それが前向きの物であるとは言い切り難いが。
 とりあえず、手近なところから店を物色し始めた。

 雑貨店。
 ・・・食器、ねぇ。 確か前に皿の色がどうとか、器を選べば料理もどうとか言ってたような気がするなぁ・・・。 なんて言ってたかなぁ・・・。 やべぇ、思い出せねぇ。 下手なモン選んだら、人の話聞いてんのか、とかいって、逆ギレすっかも。 ・・・やめとこ。

 宝飾店。
 プレゼントの王道と言えば、やっぱアクセでしょう! こーゆーモンならいつも身につけてくれそーだし・・・いや、ちょっと待て。 俺が一番好きな八戒って、耳のカフス以外、なにも身に付けてない八戒だったりしねぇ?
 ・・・ダメだ。 俺的にチャラチャラした八戒なんざ、見たくねぇ。 ・・・却下。

 服屋。
 お、このTシャツ良いんじゃね? って、違うって、八戒だって!
 つーか、ムリ。 俺の趣味で選んだら、絶対、あいつ、着ねぇ! 大前提で、既にノー!

 家具店。
 なんぼなんでも、家具は無理だよなぁ。
 ゴメンナサイ、冷やかしじゃネーよ?

 お、スゲエ、なにココ?
 鍋だの包丁だの、調理道具ばっか置いてんだ。 へー、こういう店もあんのね。
 でもなぁ、こんなん買ったって、使うかもしんねぇけど、これからもっと料理に励め、つってるみたいで、やらしくね? そーゆーコトじゃ無いんだよなあ。

 寝具店。
 シーツだのベッドカバーだのって、二人で使うもんだよなあ。 あいつが自分で大切に使ってくれるモンがイイんだよ。 だから、ここは違う。

 骨董品店。
 ナンだココ?
 ダメ。 こんなモン家にあったら、俺がヤダ。 サイナラ。

 酒店。
 イイ酒、買ってやったら、単純に喜ぶだろうな。 あいつ酒好きだし。
 んでもなぁ。 出来るなら、残るモン贈りたいしなぁ。
 ・・・どうしても思いつかなかったら、酒にしよう。

 明らかに女性向、子供向けな店を避け、食料品系を抜かすと、そこそこ広い商店街だが、選ぶ店は意外に少なかった。 どの店に入っても、ピンとこないまま、ため息をついた悟浄の目に、眼鏡店の看板が映った。
 なるほどその手があったか、と店内に足を踏み入れる。

「いらっしゃいませ」

 柔らかい声が彼を出迎えた。 店内は明るく清潔で、三方にガラスケースが置かれ、その中に眼鏡やその周辺グッズなどが、見易く配置されている。 眼鏡屋といえば、眼鏡だけを置いているのかと思っていたが、グッズだけじゃなく、何やら大袈裟な機械などが奥の壁際に置いてあり、単なる商店という雰囲気ではない。
 清潔感ある店内の様子とあいまって、ちょっと病院のような印象を、悟浄は受けた。
 声をかけて来た店員は、女性のわりに長身で、細い銀色のフレームの眼鏡をかけている。 その声同様、柔らかな印象の笑顔で、客を出迎えた。 聡明そうな広い額の下の弓形の眉も、優しい印象だ。
 額を縁取る栗色の柔らかそうな髪は、ゆるいウェーブがあり、後ろでゆるく結ばれているようだった。 それも優しい印象を裏切らない。
 今、店には彼女しかいないようで、さして広くない店の中で、悟浄は所在無さを感じた。
 眼鏡など、買った事は無い。 こういう店に入るのは初めてだった。

「サングラスでも、お探しですか?」
「え? なんでそう思うの?」
「だってお客さん、普段、眼鏡をかけてる方じゃないでしょう? それくらいは、わかりますよ。」

 笑顔のまま、柔らかい声が、意外とテキパキとしたいい方と、ハッキリした発声で答える。

「いんや、じゃなくてプレゼントをサ、探してんのよ。 なんか、イイの無いかな―って。 冷やかしじゃねぇけど、買わないかもよ?」
「恋人に?」
「・・・つーか、ダチ。 色々世話かけてっから、ナンカ、って思ったんだけど、わかんなくなって来ちまって。」
「その方は眼鏡を?」
「うん、片っぽだけ悪いの。 でも、フツーの眼鏡かけてんなー。」
「女性?」
「イヤ、野郎。」
「でしたら、眼鏡スタンドやケースなどはいかがです? 革細工や銀細工のものなど、男性向けのデザインもありますよ?」
「フーン、どんなの?」

 店員が色々見せてくれるが、八戒にはゴツ過ぎると感じたり、ジジくせぇ、としか思えなかったり、繊細過ぎるデザインはなんだか嫌味のようでためらわれたり。

「わり。 でもなんか、ピンと来ねぇわ。」
「大事な方なんですね?」

 柔らかい声が、きっぱりとした声音で言った。 それでも優しい印象はぬぐえない。
 図星をさされた悟浄の方が、内心の狼狽を隠して、少しきつい目線で返す。

「はん? なんで?」
「どうしても、納得いく物を選びたいみたい。 凄く真剣でしたよ?」
「そォ?」

 それには答えず、柔らかい笑顔を見せながら、店員は続けた。

「まだお時間あるようでしたら、裏から何点かお持ちしますので、かけてお待ちになりませんか? もうちょっとシンプルなタイプがあるんです。」
「・・・ン、じゃ、頼むわ。」

 勧められた椅子に腰掛け、待つ間、見るともなしにガラスケースの中に視線をさまよわせていた。
 ふと、目に付いたものがあった。
 なんとも不思議な形をしている。 しかもその造形が、なんとなくキレイに見えた。
 箱を抱えて裏から出てきた店員に、思わず質問する。

「なあ、おねーさん。 これ、ナニ?」

 物問い顔だった店員は、指差す先に目をやって、我が意を得たり、と笑顔になった。

「ああ、片目だけ悪いって、言ってましたよね? なら、これはぴったりですよ。」
「だから、ナンなのよ、コレ。」
「モノクルです。 片目用の眼鏡ですよ。」
「へぇ・・・。」

 モノクルから目を離さない悟浄に、店員がさらに声をかける。

「出しますか? 近くで見ます?」
「あ、うん、頼む。」
「ただし、結構、値は張りますよ? 特注品ですから。」
「ンなのは、イイんだ。」

 ビロードを張られた浅い箱に、大事そうにそれは載せられて、悟浄の目の前に差し出される。

「これって、度、入るの?」
「そりゃあ、眼鏡ですから。」
「あー、でも俺、度数とか知らねぇや。」
「ご本人に来てもらうのが一番早いんですけど、もし内緒なら、今、使ってる眼鏡から、度数を測ることは出来ますよ?」
「マジで? スゲエ。」
「ただ、あまりレンズが厚くなるとモノクルは無理なので、先に度数を測った方が良いかも知れません。」
「分かった。 これ、ちょっと隠しといて。 明日でも奴の眼鏡、持って来っから。」
「かしこまりました。 では、こちらにお名前と連絡先をお願い致します。」
「おうよ。」
「ちなみにお値段ですが・・・。」

 かかれた金額に、内心汗をかきつつ、悟浄はにやりと笑って見せる。
 八戒の事をとやかく言う彼も、実のところ内心の動きを素直に表に出さない事の方が多いのだ。
 ある意味、似た者同士の二人である。

「こちらは通常のレンズの場合です。 レンズによっては、価格が若干変わりますから。」
「オッケー。 んでも、俺、これに決めた。」
「まずは眼鏡を持って来て下さい。」
「ああ、明日な。」



 八戒は、眼鏡を二つ持っている。
 と、いっても、どちらも似たようなデザインで、悟浄には見分けがつかなかった。 たぶん、いつもかけている方が、視力にあっているのだろうと見当をつける。
 しかし、どうすれば八戒に知られずに、眼鏡を持ち出す事が出来るのか。 寝ている時と入浴時以外、八戒は常に眼鏡とともにあるのだ。 家路を辿りながら、悟浄はその方法を考えあぐねて、まっすぐ帰る事が出来ず、なじみの酒場でいっとき過ごしてから、帰宅した。
 品物選びにも思わぬ時間がかかっていたようだ。 家に着くと、もう空には星が瞬いていた。

「お帰りなさい。 夕飯は?」

 いつも通りの八戒。 だが、いつもよりほんの少し、声に力が無いように思えた。

「食ってねぇけど、酒、買ってきた。 美味いの見っけたから。」

 言いながら、ビールの中ビンほどの大きさの徳利を、掲げて見せる。

「市販の物じゃ無いみたいですね。 どんなお酒なんです?」
「樽から分けてもらったんだ。 ちょっと呑んだら、美味かったんだよ。 お前、好きだろ?」
「どれどれ・・・。」

 酒好きの八戒は、栓をとって香りを確かめると、目を丸くした。

「これ、本物の古酒(クースー)じゃないですか。 高かったでしょ?」
「だから、コレっぽっちな。」
「これは、酒を殺さないつまみを作らなきゃ、ですね。 ちょっと待っててください、直ぐ作りますから。」
「ああ、別に急がなくてイイよ。 それより、どした?」

 完璧な笑顔で、振り向きざまに八戒が答える。

「何が?」
「なんか、あった? 元気なさげ。」
「別に、何も?」

 聞いたところで素直に答える訳も無いのだが、悟浄は一応、聞いてみる。 案の定の返事に、少し苛立ちを覚えた。 なんだって、コイツは俺にまで体裁つけようとすんだ?

「ナンでも無いなら、いいさ、別に。 俺、風呂の用意する。 入るだろ?」
「・・・ええ。 悟浄も?」

 俺は普段、風呂よりシャワー派だ。

「一緒に入ろっかなー、ナンテな。」
「どこまで本気なんだか。」

 云い捨ててキッチンに姿を消した黒髪の恋人を目で追いながら、今日、呑みながら組み立てた作戦を、頭の中で反芻する。
 とにかく、一番の問題は、眠りの浅い八戒を如何に熟睡させるか、と云う事だ。 しかも、寝坊させなければならない。 さらに自分は、朝早くから眼鏡を持って店へ行き、八戒が目覚める前に帰宅せねばならない。
 厳しい条件だ。 まず、徹夜は覚悟する。 同じ条件で就寝して、八戒より先に目覚める自信は皆無だったのだ。
 眼鏡店が何時からの営業なのかを聞き忘れたが、とりあえず早くから行って、営業時間外だろうがナンだろうが、度数を計測してもらうしか無い。
 と、言う訳で、風呂は熟睡作戦の一環である。
 風呂の準備をしてリビングに戻ると、ちょうど八戒が食卓を整えたところだった。

「ご苦労様です。 さあ、頂きましょう。」
「とりあえず、カンパイしよ?」
「って、何に?」
「この場合、美味い酒に、でイイんじゃね?」
「ですね。」

 常よりテンションの高い悟浄が、今日は会話を弾ませる。 八戒も酒の美味を堪能しつつ、上機嫌である。 悟浄は最初の一口だけ古酒を味わったが、二杯目からはいつものようにビールに切り替えた。

「俺ァ、もういいや。」
「そんな、貴方も呑みましょうよ。」
「お前のが美味そうに呑むから、全部やる。」
「確かに僕の方が味わってますけど。 貴方の呑み方じゃ、このお酒がもったいないかも。」

 酒のせいか、すこし滑らかになった口で、八戒が毒を吐く。
 悟浄的には、作戦通りである。
 八戒に呑ませても酔うことは無いが、悟浄にとっては(若干だが)御しやすくなるのだ。 いつもの鉄面皮満開状態では、自分の思い通りの進行など、望むべくもない。
 酒を呑みつくし、いつもより少しだけ柔らかくなった八戒を誘って、入浴。
 その場からちょっかい出して、なし崩しにベッドへ持ちこみ、途中から本気になってしまって、マジでイかせた三回目。 八戒は深い眠りに落ち、けだるさを感じながら悟浄は身支度を整えると、枕もとの眼鏡を持ち、夜中に家を出た。
 朝まで家に居たら、絶対に眼鏡は持ち出せないだろう。 このまま寝てしまったら、自分が八戒より先に起きる訳がない。 朝起きて、いったん顔を合わせたら、シラをきり通す自信が無かったのもある。 以上の理由により、悟浄はこの作戦を実行せざるを得なかったのだ。
 なにせ、眼鏡店からの帰途も、酒場で作戦を立てている時も、考えることといえば、『きっと、イヤ絶対、似合う!』だったのだ。 ナンとしても、今日見た、あの『モノクル』という物を身に付けた八戒を、早く見たい。 そんな感情が、自分の顔を緩ませているのが分かる。 自ずとにやける悟浄の表情に、あの八戒が不信を抱かないわけが無いではないか。

 家を出たのは良いが、夜中の事でもあり、他に行く所も無かったので、悟浄は朝までなじみの酒場で過ごす事にした。
 時、おりしもクリスマス前。
 酒場は妙に盛り上がっており、その中に迷い込んだ体の悟浄も、したたか呑んでしまう。
 懐の眼鏡を大事に守りながら、早朝、町を通勤の人々が行き交う頃に、悟浄は千鳥足をもつれさせながら、眼鏡店の前に辿りついた。 ノブに手をかけ、ドアを開けようとしたが、当然の如く、施錠されている。

「ンだよ、寝てんのかぁ?」

 独りごちて乱暴にドアを叩いた。 何の反応も無い。
 朝の七時過ぎである。 コンビニでもない商店が、営業しているはずも無いのだが、夜通し呑んで気の大きくなっている悟浄に、常識的な理屈は通じない。 さらにドアを叩いて、大声をあげた。

「おーい、眼鏡持ってきたぞー! 開けてくれよ!」

 営業時間外かもしれない、と考えてはいた悟浄だったが、誰も居ないとは思っていなかった。 昨日の雰囲気から、なんとなく、あの店員はここに住んでいるものと思いこんでいたのだ。

「おい、早く開けろってば! コレ持って早く帰らないと、バレちまうだろーが!」

 もしかして、ココには誰も住んでいないのか、と思い至って、悟浄はドアを背にずるずると座り込んだ。
 道行く人が、奇異の目を向ける中、斜めにうつむいて、ドアにもたれ掛かる様に体重をかける。 自分を支えるドアを裏拳で力無く叩き、語り掛けるように、言った。

「マジ、開けろって。」
「酔ってますね。」

 聞き覚えのある声に反応して顔を上げると、昨日の店員が、無表情に立っていた。 キャメルのハーフコートを羽織って、黒いショルダーバッグを肩にかけている。 グレンチェックのスカートに、足元は黒いロングブーツ。 ひとめで通勤してきたのだと知れた。

「んだよ、ココに住んでンじゃ無かったのかよ。」
「そんなことは、お伝えしてなかったと思いますが、お客様。」
「その通り! 俺が勝手に思い込んでたの! アホ丸出しだわ。」
「酔ってますね?」

 店員は無表情のまま、もう一度同じ事を言った。

「わりぃかよ。」
「営業妨害です。 犯罪ですよ。」
「しょーがねーんだよ! バレない様にって考えたら、コレしかやり方浮かばなくてさ!」
「とにかくお入りください。 そこに座り込まれちゃ、困るんです。 よろけて物を壊したりしないで下さいね。」
「ンなタチ悪かねぇよ。」
「充分悪いですよ、印象は。」

 言いながらドアを開け、悟浄をいざなう。 中に入ると、ガラスケースに沿って置いてある椅子に座れと命ぜられ、諾としてそれに従う。 悟浄は懐から眼鏡を大事そうに取り出し、ガラスケースの向こう側の店員に差し出した。

「お預かりします。」

 客に向ける笑顔を見せてそれを受け取ると、いったん置いてコートとバッグを裏に仕舞いに行く。 直ぐに戻って、ガラスケースの奥の壁際に並んでいる、なにやらたいそうな機械の一つに八戒の眼鏡をセットし、計測を始めた。
 昨日は白衣を羽織っていたので気付かなかったが、コートを脱いだだけの、セーターとスカート姿の店員は、すらりとした長身に似合わず、くびれたウエストをしていた。 機械に向かう後姿から、ウエストからヒップにかけてのきれいなラインが露わになっている。

「スタイルいいね、おね―さん。 今度呑みにでも行かね?」
「お酒は飲みませんから。」
「あ、そ。」

 女性と二人きりになったら、一応誘うのが礼儀だと心得る悟浄の言葉はいかにも軽くて、他にもいなし様がありそうなものだったが、店員は随分とにべも無い言い方をした。
 沈黙が流れる。 朝の光が差し込んで、漂白されたように全体が白っぽく感じられる清潔な空間と、流れる静謐な空気が、悟浄にはなんとなく居心地悪く、他意無く言葉をつないだ。

「ここって、おねーさん一人でやってんの?」
「いえ、兄と二人で。 それと私は李二理と言う名ですから。」
「二理ちゃんね。」
「チャン付けされる年ではありません。」

 にべもない言い方は続く。 話題がぶちぶちと途切れるのにめげず、悟浄は話の接ぎ穂を探した。 ガラスケースに目をやって、昨日モノクルが置いてあった場所に他の高そうな眼鏡が置かれているのに気付く。

「ちゃんと隠しといてくれたんだ。」
「え? ああ、そう言えばおかしな物で、お客さんが帰ってから暫くして、あれが欲しいと言う方が来店なさったんですよ。」
「へえ、んじゃ、隠しといてもらって正解?」
「クリスマスだからでしょうか? 何ヶ月も置いてあった物なのに、一日に二人も欲しいと言う方が現れるとは思いもしませんでした。 一応、キャンセルが出たら、連絡する事になってますけど。」
「ぜってー、しねぇ。 もう決めたもん、俺。」 
「はい、お待たせしました。」

 その言葉に顔を上げると、何時の間にか身体を起こした李二理は、営業用の表情で、悟浄に向かっていた。

「え、もうイイの?」
「はい、ただ、かなり度は強いですね。 反対側は殆ど素通しでしたし、これでは頭痛や肩こりが出ているでしょう?」
「いや、そーゆーの口に出す奴じゃねぇから、わかンねーけど。」
「レンズは、モノクルにも問題無いと思います。 十日ほど、見ていただければ。」
「んじゃ、間に合うんだ。」
「クリスマスですか? ええ、今日が十二日ですから、ぎりぎりですが大丈夫ですね。」
「やった! な、キレイに包んだりとかも、頼める?」
「もちろん、サービスで致しますよ。 カードはお付けになりますか?」
「カード?」
「メッセージを書いて、プレゼントに付けるんです。」
「げ。」
「げ?」
「・・・なんか、こっ恥ずかしくね?」
「口に出せない言葉でも、文字になら出来るかも知れません。」
「・・・・・・・・・だな。」


 意気揚揚と帰宅した悟浄は、まず眠っている八戒を確認した。 まだ八時にもなっていない。
 店員の無表情を思いだし、酒臭いであろう自分を自覚したので、とりあえずシャワーを浴びる。 濡れた髪を拭きながら眼鏡を枕元に戻すと、八戒の隣りに滑り込む。 みじろぎする八戒をいなして、悟浄はそのまま、深い、深い、眠りに落ちた。
 眠った悟浄を確認するように、笑みを浮かべる八戒に気付く事も無く。


 それからの十日間、悟浄は内的に酷く多忙だった。
 金を稼がねばならない。 モノクルは、それなりに高価だったので、事前に考えていた予算(単なる友人への贈り物としては、それでも破格の金額だったのだが)をはるかに上回ったのだ。
 早くから賭場へ出向き、目を皿のようにしてカモを探す。
 いつもはさほど無茶なゲームをしない悟浄なのだが、この時ばかりは荒稼ぎをした。
 そして、大問題が、もう一つ。
 カードに入れるメッセージを考えねばならない。
 文字を書くこと自体、滅多にない男である。 ましてこの場合、なにを書けと言うのだ。
 悟浄は早朝の二理と名乗った店員の無表情を思い浮かべ、これは嫌味か拷問かと無駄な思考をめぐらせて、十日目にやっと開き直った。

「コトバなんざ、気取ったってどーしよーもねぇわな。」

 ひとりごちて、短い文をカードに記したのだった。


 十二月24日、悟浄は昼過ぎにいったん家を出ると、ワインとケーキを買って帰宅した。
 何の飾りも施していない室内で、彼なりに料理などして、花屋の手伝いから戻る八戒を待つ。 クリスマスは花屋が多忙なため、例によって八戒は借り出されたのである。
 さて、料理と言っても、悟浄のやることである。 鶏肉を焼いた物と、適当にちぎった野菜を市販のドレッシングで和えたサラダを作っただけだ。 凝ったことをしても始まらない、主役はこのプレゼントだ、と自分に言い聞かせる。
 ワインを冷やし、ケーキの箱をテーブルの中央に置いて、カードを添えた小箱を、いつも八戒の座る席に置いてみる。 濃紺の包装紙に茶色のリボンで飾られた箱に、赤と緑の目立つカードが気恥ずかしく、悟浄は再び懐に仕舞い込んだ。
 ちょうどその時。
 鍵穴に鍵を差し込むくぐもった音がして、鍵が開いていることを確認したらしいもう一人の住人が、家に入って来た。

「ただいま。 居るんですか、悟浄?」
「おう、おかえり。」
「珍しいですね、この時間に・・・って」

 コートを脱ぎながらリビングに入ってきた八戒は、テーブルを見て動きを止めた。

「・・・。 悟浄が用意してくれたんですか?」

 懐を意識して気がはやり、悟浄は不自然な笑いを浮かべて答える。

「クリスマスってヤツ、去年しなかったっしょ? コート置いて来いよ。」
「僕は、何も・・・・・」
「イイから早く!」

 戻ってきた八戒は、珍しく情けない顔を見せた。 席についていた悟浄が着席を促す。

「まあ、座れって。」
「悟浄・・・・・。 こういうのやりたかったなら、ひとこと言ってくれれば・・・。」
「てか、そうじゃねぇの! コレ渡したかっただけだから!」

 自虐に向かう雰囲気を見せ始めた八戒に慌てて、悟浄は懐から箱を取り出すと目の前に突き出した。

「え? これ・・・僕に?」
「他にダレがいんだよ! 早く受け取れって!」

 黙って受けとった八戒は、暫く悟浄と箱とを見比べていたが、添えられたカードに気付き、開いて中を読んだ。 目の回りが赤らみ、箱を持つ手がかすかに震える。 再び悟浄に戻した碧の瞳に、熱い戸惑いが浮かぶ。
 無意識に笑顔満面になっている悟浄を見て、かすかなため息と共に席についた。 丁寧に包装を開き始める。 わくわく、と顔に書いてあるような悟浄の様子に思わず笑って、

「何なんですか? これ。」

 と問うと、焦れたような悟浄の声が返って来た。

「イイから、開けてみ?」



「あ・・・・・・。」

 箱の中を見て、八戒は固まった。 やがて緩慢な動作でモノクルを取り出す。 慌てたように悟浄が口を開いた。

「―――どうかな? アリだったら、付けてみてくんない?」
「どうして分かったんですか?」
「ん?」

 うつむいてモノクルに目を落としたまま、八戒はかすかに震える声で続ける。

「僕、これが欲しくて、でも高価だったのでお金を貯めてたんです。 あの日、お金を持ってお店に行ったら、売れた後で。 ・・・・・買った人って、貴方だったんですか。」
「え、そーだったの?」

 素っ頓狂な声を出す悟浄に、くすっと笑って八戒が目を向けた。

「・・・・・知ってたんじゃ? っていうか、あの日、僕はかなり落ち込んだんですよ?」
「知らんかった・・・・。 んじゃ、やっぱ元気なかったんだ、あん時。」
「・・・・悟浄には、なぜかバレバレですね。」

 その日の会話を思い出す。 心配してくれた悟浄に、自分はむべ無き仕打ちをした、と思い起こし、心がチクリと痛んだ。 しかし一気にテンションの上がった悟浄はそれに気付かない。

「俺さ、ナンカ無いかと思って探し回って、でもゼンゼンわかんなくって、んでコレ見つけて、もうコレしかねぇって思って、衝動買いしちまったの。 でも、アタリだったワケね?」
「大当たりです。 ・・・・・その、悟浄」
「ん?」
「ありがとう。」
「―――・・・ぃゃ」

 赤面した悟浄が、八戒には可愛らしく見える。 そんな風に言ったら、きっと逆ギレしちゃうでしょうね、と八戒はひとり笑った。

「つーか、食おうぜ!」

 嬉しさのあまり、やけに盛りあがる悟浄がワインをあけ、ささやかな宴が始まった。
 やはり嬉しくて素の笑顔を見せる八戒も、ことさらに上機嫌だ。
 八戒は、プレゼントその物よりも、悟浄の気持ちが嬉しかった。 モノクルは自分で買おうとしていたくらいだから、いずれ手に入った物だ。 だが、およそ『文字を書く』という行為から程遠いところに居る悟浄が、おそらく四苦八苦してカードに記した文。

『オレともども、末永く使ってくれ』

 男っぽい、無骨な文字で記されたそれが、八戒にはとてつもなく嬉しかった。
 ごまかしでもノリでも無い、口から漏れる言葉より、もっと心を表すその言葉が、八戒の胸に沁みる。
 こういう気分に慣れていない彼は、ある意味、戸惑いさえ浮かべていた。

(いいのかな・・・。 こんなに幸せな気分になっても。)

 そんな風に、自問してしまうほどに。






 《To Be Continued For とあるひそかな もめごと。2》







 ゴメンナサイ。 続き物です。 四話くらいで終わる予定です。
 ひそかに、今まで書いた物が、結構伏線になるはず・・・・・。
 それにしても、クリスマスなのに、ハッピーになりきれない・・・うちの八戒って・・・・・。



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