『ざれごと。』2004.12.07

 
 ある冬の日の、のどかな静寂。
 暖房の効いたリビングに、淹れたばかりのコーヒーの香りが漂う。

 窓の外は、空が真っ青に晴れ渡り、その光が地上をおおう雪の白に反射して、まぶしいほどだ。
 そのせいで室内も常より若干明るく感じられる。
 季節がら、低い位置にある太陽の光が、直接室内に差し込むため、室温も上がっている。
 住人達は季節感の無い軽装でくつろいでいた。
 ソファに足を組んで座り、淡々と本を読む八戒は、厚手の綿シャツにジーンズをはき、スリッパを履いた足には靴下もつけていない。
 それを斜めに見ながら、卓を挟んだ反対側で、食卓椅子の背をまたぐようにして逆に座っている赤い髪の青年は、半そでのTシャツに、綿パンをはいているのみで、スリッパさえ履いていなかった。
 卓の上にはコーヒーの満たされたカップがふたつ。
 何の物音もない、のどかな静寂。

 それを打ち破るように投げかけられた言葉は、けして大きな声ではなかったのだが、内容が突飛だった事もあり、八戒は思わず本から目を離して言葉を発した人物の赤い目を見返した。

 「なあ、俺のこと、好き?」



    ――― ざれごと。 ―――



 いすの背で組まれた両腕に斜めに乗せられた頭部のままに、赤い瞳は流し目に笑みをたたえて八戒を見つめている。

 「――何を」

 言いながら八戒は本に目を戻し、表情を変えずに続けた。

 「言い出すんですか、唐突に。」
 「だからあ、」

 その表情はかすかに笑みを含んでいるのだが、声は一切笑いを含んでいない。

 「・・・・・好き?」
 「嫌いだったら、一緒に住んでませんよね。」

 ページをめくる手も止めずに、淡々と返す八戒。
 紅髪の青年は、腕に乗せていた頭部を、勢い良く立ち上げた。
 筋肉質の首から肩へかけてのラインが、薄いTシャツ一枚を通して露になる。

 「じゃなくてさあ・・・・」
 「何ですか? 絡んできますね。」

 遮るように応えた八戒は、体勢も変えず、本から目を離しもしない。
 と、気配が動くのが感じられた。 
 椅子から立ち上がり、卓を回ってソファに近づく男の腰が、本に落とした目の端に映る。

 「っつーか・・・・・」

 どさっと音を立てて、ソファの横に座るのを感じ、さすがに八戒は本から目だけを離す。
 横目で見ると、赤い瞳が自分を見つめていた。 かすかに笑みを含んだ視線。
 片腕で体重を支え、その肩によりかかるように傾げた頭部が、まっすぐこちらを向いている。
 紅い、張りのある、まっすぐな長い髪が、少し顔にかかって頬の傷を隠していた。

 八戒は小さくため息をついて、本に目を戻す。
 気にしたら負けだとばかり、手にした書物に没頭しようとする。
 だが、本の内容など、頭には入らなくなっていた。

 痛いほどの視線。
 体の右側に、それを感じる。
 さっきの体勢のままで、あの赤い瞳が自分を見つめているのだ、と思われた。
 視線は、言葉もなくただひたすらに注がれる。
 ソファのきしむ音がして、右側に座る男が体勢を変えたのが分かった。
 しかし、視線は変わらず、いや、より強く、八戒へと送られている。

 以前、八戒がもっと不安定だった時分に、彼から送られていた視線を感じていた事がある。
 だが、それはもっと、労わるような、気遣わしげなものだった。
 それに気づかぬふりをしながら、それでも安心感を得ていたところがあった。
 その優しい視線に、護られているように感じて、苛立ちを覚えたこともある。

 だが。
 目は口ほどに物を言うというが、今送られてくるものは、はっきりとした意思の封じ込められたものだ。
 顔の右側に感じる視線は、痛いというより熱いような感覚を、八戒にもたらす。
 単純な欲望とも違う、意思を伝えようとしている視線。
『好きだって言え。』 それだけを伝えてくる。
 またソファがきしみ、右側の気配が近くなる。

 ページをめくる手は止まっていたが、体勢は一切変えずに、意味のつかめないまま文字を目で追う八戒。
 知らず、かすかに赤らんでしまった頬を自覚し、眉根に軽くしわを寄せた。
 とうとう、焦れた八戒が、右側に顔を向けた。

 「何なんですか?」

 次の瞬間、顔を前方にむけて戻す。
 赤い瞳は笑みを湛えて、いつのまにか至近距離までせまっており、顔を向けたことで、キスをするような位置関係になってしまったのだ。
 赤面している、と自覚しながら、体を少しそらそうとした瞬間、右の耳に熱い息がかかり、左肩に伸ばされた腕が八戒の動きを止める。

 「なあ、俺のこと」

 右耳に熱いぬめりが動くのを感じた。

 「!」
 「好き?」

 ビクッと反応する体を自覚し、目を伏せる。
 耳をいたぶるぬめりは、最初耳朶を甘く噛んでいたが、耳のきわを舐り始めた。
 カフスをしていない方の耳は、耳殻も官能を呼び、吐息と共に耳の穴に差し込まれた舌が、そこを責めてくる。
 ここは、弱い。

 「やめ・・・・こんな、明るい・・・・」
 「俺のこと、好き?」

 耳を離れ、首筋に移動した唇が言葉をつむぐ。
 肩を押さえていた手は、今は黒髪を梳くようにして頭を押さえている。 

 「だから・・・・・!」
 
 実力で排除するしかないと思いきわめた八戒は、頭部をいたぶる腕をつかもうとして逆に手首を押さえられてしまった。
 背をそらして距離を保とうとするも、乗り上げるように身を寄せてきた紅髪の青年の方が、一瞬早い。

 「好き?」
 「悟・・・・・」

 唇をふさぐ事で言葉を封じられて、さらに赤い瞳の持ち主の、熱に浮かされた様な、執拗な口付けを施される。
 快感と、それに伴う熱に浮かされる事自体は、嫌いじゃない。 むしろ必要だと感じる時があるくらいだ。
 ただ窓から室内にまで降り注ぐ陽光と、それを反射する白銀の光が部屋の中まで入り込み、いつにない明るさをもたらしているこのリビングで、これ以上の行為はいやだった。
 口付けには応えつつ、手での愛撫には抗う。
 それでも角度を変えてむさぼるような口付けは濃厚に続き、その間に骨ばった手がシャツのボタンをはずして、素肌に触れ始める。 八戒は肌の上をうごめく手を押さえ、強引に唇を離した。

 「悟浄! こんな明るい中で、僕は嫌ですからね!」
 「なあ、好き?」
 「しつこい!」

 かまわず、はだけた胸の尖りに唇を寄せる男に八戒は憤り、肩を押して体を離そうとするが、一瞬早く背の中ほどに回されていた褐色の腕が、それを許しはしなかった。

 「やめ・・・・・」

 舌で舐られて、胸の尖りに強い快感が走る。 思わず嬌声が漏れそうになって、八戒は口をつぐんだ。
 自分の意思をまるっきり無視された形で、行為に流されるのは八戒の本意ではない。 
 まして今日、この男はおかしい。
 朝から何か考えている風で、口数が少なかったのだが、先ほどから口にするのは、三つの単語だけだ。

 『俺の』
 『事』
 『好き』

 この男の熱に流されていた時期は、確かにあった。
 でもそれは、八戒が自分で善しとして受け入れたものだった。
 付き合い始めて一年近く。
 そんな風にがむしゃらにお互いを求める時期は終わったと思っていたし、
 実際このところは行為自体も穏やかで、回数も減っていた。

 ―――なのに
 ―――訳がわからない!

 体を固定されたまま片方の胸を舌先でねぶられ、もう片方を指先で弄られて、湧き上がってきてしまう快感を悟られまいと、意地になって声をかみ殺していた八戒だったが、執拗な愛撫は止まず、限界が近くなっている。

 (冗談じゃない!)

 ずっと手にしたままだった本に気づき、その背で眼下の赤い頭に思いきり打撃を加えた。

 「っッ・・・・・!」

 ようやく止んだ愛撫に、八戒が大きくため息をもらし、荒くなってしまった息を整えていると、目の前に赤い瞳がせりあがって来た。 片手を登頂部にあて、片目を瞑って痛みをこらえている。

 「なあ、言えよ。」
 「何なんですか、さっきから!」
 「俺のこと、好きだろ?」

 言いながら、筋肉質の腕が再び八戒の身を抱き寄せた。 もう片方の手で本を奪ってそこらに投げ捨てる。
 首筋から鎖骨にかけて、むしゃぶりつくように舌が這い回り、快感が走る。

 「・・・だから!」
 「なあ、好き?」

 左耳にたどり着いた唇が、舌で愛撫しながら言葉をつむぐ。

 「離して下さい。 実力行使に出ますよ。」

 極力押さえた、冷静な声で言うと、手を左耳に伸ばしてカフスに触れる。
 それと知って反射的に体は離れたが、次の瞬間、赤い瞳に不敵な笑みが浮かんだ。

 「ソレもイイかも。 猫目の八戒ともシテみたかったし?」
 「耳、無いんですか? それとも理解力が足りないのかな?
  僕は拒否してるんですよ。」

 つまらなそうに歪んだ顔をまた至近距離に近づけ、イラついた光をのぼせた赤い瞳が八戒を見つめる。

 「なんで言わねぇの?  言えよ。 一言だぜ?」
 「訳の分からない事に流されるのは、ゴメンです!」

 赤い瞳に懇願の色が見えた。

 「ひとことでいいんだよ、お前の口から聞きたい。」
 「・・・こんなのは、嫌いですよ。」

 八戒の声は、冷たいほどに落ち着いている。

 「『たぶん』がついてないヤツが、聞きたい。」

 言いながら、赤い瞳に熱が浮かぶ。

 「何の事です。」
 「―――自覚、ねぇの?」
 「だから、なんなんですかって聞いてるじゃないですか。」

 とうとう、悟浄が声を荒げた。

 「だってお前、言って無ぇだろ!」
 「だから何を?」
 「告った時から、一回も言ってねぇぞ! 俺のこと、好きだって!!」

 睨み付ける赤い瞳に、威厳のかけらも無い。

 「あん時だって、『たぶん』って付けたじゃねぇかよ!」

 あきれた様に目を丸くした八戒は、しばし言葉も出なかったが、やや緩んだ手首の束縛を力任せにはずすと、至近距離の赤い瞳をにらみ返した。
 冷静な声で、問い掛ける。

 「言わなきゃ分からないんですか、貴方は?」
 「分かるけど! でも、聞きてぇんだよ!」

 「・・・・・・・馬鹿。」

 「っ! バカたぁナンだ! このイシアタマ!」
 「失敬な。 悟浄こそ、それだけの事なら、素直に聞けば済む話じゃないですか。」
 「お前な!」
 「何です?」

 八戒の両肩をソファに押さえつけ、苛立ちも露な赤い瞳で、押し殺したような低い声が続ける。

 「今まで何回、俺が『惚れてる』とか『好き』とか『幸せ』とか、恥ずかしげも無く言った?
  そんで何回『お前は?』って聞いたと思ってんだよ!」
 「・・・・・・?」
 「そのたんびに、『はいはい』とか『そうですねえ』とか『かも、です』とか、
  そーゆー事しか言わねぇのは誰だよ! さんざん素直に聞いてんだよ、コッチは!」
 「あ・・・そうでしたっけ?」

 自覚が無かったため、即答できずに記憶の糸をたどる八戒の目の前を、赤い髪がよぎる。
 と思った次の瞬間、筋肉質な褐色の腕が、彼をきつく抱きしめていた。
 その腕の持ち主が、耳元で囁く。

 「それにお前って、オトコ俺が始めてじゃなかったろ。」







 「はいぃぃぃぃぃぃぃぃ???」

 予想外の言葉に、空白になった意識を取り戻して、八戒は珍しくも奇声を上げた。

 「俺、オトコは八戒しか知らねぇけど、始めっからあんなに感じるもんじゃ無ぇよな?」
 「・・・・・あの・・・・・」
 「お前、最初の時モーローとしてたくせに、三回もイッたじゃねぇか。」

 低い、ハスキーな声に真剣な響きを感じ、内容の意外さもあって、八戒は言うべき言葉を失っていた。

 「いや、それは・・・・」
 「なんつーか、ずっと聞きたかったんだよ、ホントは! 聞かなかったけど。
  だって、そりゃそうだろーと思うぜ、俺も。
  お前、美人だしヤバイし・・・・十九まで姉貴以外ナンも無いなんて、ありえねぇ。
  オンナは無くても、オトコはあったんだろ?
  一年たっても言えねぇコトバって、そーとーな、なんかあったんだろーなって思うぜ?
  馬鹿な俺でも! そんなこと思ったりはした!
  けど! 聞いちゃ駄目なんだろーなとか、言いたくなったら言うだろ、とか思ってたけど!
  けど、俺、お前の事、ナンでも知ってたいんだよ!
  お前からフツーに言ってくれるの待ってたけど、けど!
  けどナンカ、コトバだけでもすんげえ、欲しくなっちまったの!
  悪かったな、馬鹿で!」
 「・・・・・・・・・はあ。」

 「・・・・・・・ナンだよ。」
 「かねてから、言動に脈絡が無いとは思ってましたけど、ここまでとは。」
 「ナンだ、そりゃ。」

 赤くなって、抱きしめた腕を解いた男は、緑の瞳が冷たくなっているのに気づき、背筋に冷たいものを感じていた。
 腕から解放された八戒は、眼鏡をはずすと鼻の付け根をもみながら、心底疲れた様に声を漏らす。

 「思い込みも、激しかったんですね・・・・・・。」

 おとなしく横に座りなおした紅髪の青年に流し目をくれ、つぶやくように言葉を続ける。

 「『ありえねえ』んですか? 僕みたいな人間は?」

 冷え切った視線に、赤い瞳がかすかにおびえた。

 「貴方の常識で考えないでくれます? なんで僕がそんな過去を持ってなくちゃいけないんですか・・・。」
 「・・・・・・・違うの?」
 「当たり前です。 ヒトを淫乱みたいに言わないで下さい。」

 ひざに肘をつき、ひたいを覆うようにした両手で上体を支え、うつむいた姿勢のまま、八戒は続ける。

 「でも・・・・・・・お前、あんなに感じてたし・・・」
 「だから、それは・・・・って言うか、覚えてなくて良いです、そんなの。」
 「いや、納得いかねぇ! すんげえ色っぽかったし!」

 「・・・・・・・・悟浄がよっぽど上手だったんじゃないですか?」
 「は?」
 「意識が半分飛んでたのも、僕みたいなヒトには幸い・・・かどうか分かりませんけど、したかも、ですし。」
 「え?」
 「それにあの時は、誰かに救って欲しい、みたいな状態で。 まともじゃ無かったと自分でも思いますし。
  まあ、救われる資格が無いとも思ってましたけど。」
 「・・・・・・」

 額だけを覆っていた手は、いつしか顔全体を覆っていた。
 赤い瞳が、髪と手の隙間から見えている、僅かな横顔を注視する。

 「・・・・・・・・貴方が、ずっと僕を見てたのは、知ってましたから。
  もちろん、その頃は好きと言うより、心配で見てるっていう感じでしたけど。」
 「あ・・・・」
 「貴方が優しい人だって、分かってましたから。
  だから、・・・・・・その誰かが、
  ・・・・・・貴方なら良いな、
  と、
  ・・・・・・・思っていましたよ?」
 「・・・?」

 隙間から見える、僅かな皮膚が赤く染まっている。

 「・・・・・だから、・・・・もう、わかりませんか?」

 黒髪の隙間から見える耳が赤い。

 「だからつまり僕の方が先に貴方を好きになってたんです。」
 「えっ      」





 「えええええええっ! ウソだろー!
  なら、どうして『たぶん』なんて付けたんだよ!」

 顔を覆った手をはずさずに、ため息混じりに答える声が、紅髪の若者の耳に届く。

 「そんなの、決まってるじゃないですか。」
 「決まってるって、なんだよ! わかんねぇよ!」
 「負けたくなかったんです。」

 「・・・・・・・・・ぇ?」

 「先に好きになった方が負け、とか、良く言いますよね?」
 「あのね・・・・・」

 顔を覆っていた手を腕組みに変えて、ソファの背に体を預けると、天井を見ながら八戒は続けた。

 「でも、あんな思い込みまでして、それを口に出せないなんて・・・ね?
  今日の貴方の言動で、僕の方が勝ってるってハッキリしましたから、もう、良いです。
  言っちゃいました。 だから、この話しはこれで終わり、です。」

 「終わりって・・・・・・」
 「何か不都合でも?」
 「ああ、分かってたよ、お前がそーゆーヤツだって事は!」


 やけ気味に勢い良く立ち上がり、さっき放り投げた本を手に取った恋人を笑顔で見ながら、八戒はけして言葉に出さない思いを心のうちで確認する。
 『幸せになっちゃいけない』と、どこかで思っていたのだろう、と。 たぶん、そうだ、と。
 言われるまで、気が付かなかった。 その言葉を口にしていなかったなどとは。
 無自覚なままに、好きと言われて好きと返すのが、おこがましいと思ってたようなふしはあるな、などと自己分析もしてみる。 自分の事だ、その可能性は高い、と。

 きっと、悟浄は納得しただろう。
 僕が負けず嫌いだって事で。
 それで良い。
 これからもずっと、そう思っていてもらおう。
 それで、良い。

 思いを口にする代わりに、立ち上がり、恋人に流し目をくれる。

 「コーヒー、淹れなおしますね。 冷めちゃいましたから。」

 温度の低い緑の瞳に戦々恐々としながら、ぎこちない笑みで答える悟浄は、キッチンへ消える八戒の後姿を見ながら、絶対に聞こえないように、小声でこぼす。

 「やっぱ俺、勝てねぇわ、コイツには。」

 暖房の効いたリビングに、コーヒーの香りが流れ始めた。
 ある冬の日の、のどかな静寂。


 
   END《ざれごと》






 ベースカラーより前、ですね。 時間的には。 ・・・・・はあ・・・・・。

 甘々を、書きたかった・・・・・・。
 なのに、痴話げんかになってしまった・・・・・・・。
 なぜだろう・・・・・・。
 うちの八戒が強情っぱりなのと、うちの悟浄がちょっと抜けてるのがいけない。
 そうだそうだ私は悪くない・・・・・・・・(逃避)




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