『食卓向上委員会』2004.11.21

  

「・・・・・・なあ、これって、ナニ?」
 夕餉の席で、素朴な疑問を口にしたのは、悟浄。
 
 ギャンブルを生業としている赤髪の若者は、このところ調子が良かったのでゲンをかつぎ、毎日四時前から、賭場へ出向いていた。
 ツキ始めた日のリズムを保とうとしたのである。
 それ自体はよくある事で、ただ今回は始まる時間が常より早かった為、起きて人間(妖怪)として機能している時間が、正味三時間ほどしか無かった。 ゆえに、悟浄はここ十日ほど、夕食を自宅で摂っていなかったのだ。
 だが今日は、昨日と同様に出かけたものの、最初の勝負でケチがつき、ツキもこれまでと早々に帰って来たのである。 朝からそぼ降るような雨模様だったので、雨の日を苦手とする恋人が心配になった、という理由もあった。
 突然帰宅した悟浄を見て、さして強くない雨だったので今日は帰らないと思っていた八戒が慌てて、
「急いで用意しますね。」
 と、言いながら整えた食卓。 久々の手料理に嬉々として座った悟浄が、思わず口にした疑問である。

 サラダにスープ。 豚肉のソテー。 
 そして、視覚に違和感を与える物体が、真ん中に鎮座していた。
 茶褐色の、岩のような塊。 大きさは、悟浄のこぶしより少し小さいくらい。 それが、籐のかごに数個、盛られている。
 食物には見えない。 かといって、食卓を飾るアイテムにしては彩りに欠ける。
 そして、気付けば主食にあたる食材が、卓上には無かった。
 (まさか・・・・・)
 嫌な予感を打ち消しながら、悟浄はおずおずと目の前で笑顔を湛える同居人に尋ねたのだった。



       ――― 食卓向上委員会 ―――


「パンです。」
 何の屈託も無く、いたって自然な口調で、八戒は答えた。
「パン・・・・・・?」
「そう、パンです。」
「そうは見えねんダケド・・・・・・・?」
「いいえ、パンです。 原材料は間違いなく。」
 笑顔を湛えた八戒は、むしろ毅然とした口調で言い切り、さらに言葉を続ける。
「今日は雨で、悟空も来なかったんですよ。 僕、ヒマで。」
「?」
 いきなり何を言い出すのかと、悟浄は息を呑んで続きを待つ。
「前に、『なべで出来るパンの作り方』を本で読んだんですよね。 それを思い出しながら、作ってみたんです。
 思ったより硬くなっちゃいましたけど、間違いなくパンですから、安心して食べてください。」
「・・・・って、お前、自分で食ってみた?」
「はい。 僕には無理でしたけど、悟浄の歯なら食べられます。 どうぞ、召し上がれ。」
 あくまで笑顔で言い切る八戒は、スープとサラダを口にしながら手振りをつけて悟浄に勧めた。
 (自分で食えねぇモンを、ヒトに食わすか?)
 内心呟きながら、悟浄は一つ、手にとって眺める。
 パンと言うにはずっしりとした重さと、見た目に違わぬ岩のような感触。
「なあ、パンって、もっとふわっとしてねぇ? ふつー。」
「そうなんですけど、家にイースト菌が無かったので、種無しパンにしてみたんです。」
  (注:種無しパンは、通常平べったく形成される物である。)
 試しにこぶしで殴ってみると思いのほか脆く、八戒がパンと称する物体は五〜六個の塊に砕けた。
  (注:あくまで悟浄だから可能なのである。 良い子はマネしちゃいけません。)
 かけらを一つ、手にとって更に眺めると、しかめっ面で口に放り込む。 思いがけず口中に広がる香ばしさ。
 (食えねぇコトは無ぇな。)
 と、感じた悟浄が咀嚼を始めると、嬉しそうに八戒が尋ねた。
「美味しいですか?」
「んん、悪くねぇよ、意外にも。 すっげぇ固いクッキーの、甘くないヤツってカンジ?」
 バリバリと音を立てて食す悟浄に、目を細めて愛しそうに八戒が言った。
「良かった。 バターをたっぷり使ったからかな? 今度はもう少し柔らかいのも作りますね、悟浄。」
「ん、ソノ方が良いな。 あ、これ、スープに浸すとお前でも食えるぜ。」
「あ、本当ですね。 悟浄、さすがです。」
 そう言うと、かごの中のパン(と、称する物)を悟浄に手渡す。 受け取った悟浄が事も無げに砕いてゆく。
 思いつきで不細工なパンを作り、平然と食卓に供す男と、常人なら口にしないであろう食物を平然と平らげる男。
 ある意味お似合いの二人である。
 だが、小麦粉とバターと塩で出来た物体を砕き続ける男は、ふと、疑問を感じた。
 (ちょっと待て。 なんでコンナコトに慣れてんだ、俺?)
 そぼふる雨の中、森の中の小さな一軒家で、それなりな団欒が営まれていくのであった。


 打って変わって晴れ渡った翌日。
 快晴と見て洗濯を済ませた八戒と、珍しくちゃんと朝に起きた悟浄は、ノックも無く乱暴に開けられたドアの音に静寂を破られる。
「おっはよー! メシはぁ?」
 元気イッパイに声を張り上げて、やって来たのは悟空だ。
 本来、八戒に読み書きを習うために通って来ている悟空ではあるが、実質遊びに来ていると言って良い。
 今日も今日とて、当たり前のように出された(悟空にとっては二度目の)朝食を、当たり前のように平らげると、食器を片付ける八戒の目を盗み、外へ遊びに出て行こうとする。
 ところが、いつもは係わりを持とうとしない悟浄が、今日に限って妨害してきた。
「ちょおっと待て、サル!」
 言いながら、今しも駆け出ようとしていた悟空の襟首を玄関先でつかむ。
「ナニすんだよ! 悟浄!」
「ナニじゃねぇよ、アホ猿。 勉強しろ、勉強!」
 じたばたと抵抗する悟空を押さえつけ、八戒が笑顔で待つリビングに連行して行く。
 結局、悟空は抵抗の甲斐なく、勉強の準備が万端整えられた食卓に、ムリヤリ付かされてしまった。
「くっそぉ! 覚えてろよ!」
「なぁ〜んのコトかな?」
 牙をむき出して怒る悟空を事も無げにいなす赤毛の若者に、黒髪の若者が笑顔を向けた。
「ありがとうございます、悟浄。 でも、どうした風の吹き回しですか? いつもは『イイんじゃね』とか言って笑ってるのに?」
 省みれば、この時間に悟浄が起きている事自体が、常に無い事である。
 不思議に思って尋ねた八戒に、悟浄は真面目な顔で答えた。
「いや、そう云う態度はコイツの為になんねーな、と思って・・・・・さ。」
「なんだよ、それ!」
 噛み付きそうな勢いで立ち上がる悟空を、八戒がたしなめる。
「悟浄の言う通りですよ、悟空。 結局は貴方の為になる事なんです。 三蔵だってそれを望んでいるから、ここに通わせてくれているんじゃないですか。」 
 三蔵の名前を出され、しゅんとする悟空に漢字のテキストを渡し、勉強を始める八戒に声をかけて、悟浄が立ち上がった。
「俺、ちょっくら出てくるわ。 すぐ戻るし。」
「あ、はい。」
 午前中に、悟浄が一人で外出する事など、滅多に無い。 思えば今日の悟浄は、常に無い事ばかりしている。
「どうしたんでしょうね、悟浄は?」
「しらねーよ、もー!」
 妙に静まり返ったリビングで、?マークを頭上に飛ばす八戒と、頭を抱えて漢字と格闘する悟空が、かみ合わない会話を交わしていた。

 それから小一時間ほど経って。
 食卓でノートと格闘する悟空の横で、八戒がコーヒーを飲みながら悟空の手元を見つめていた。。
 外出から三十分ほどで戻って来た悟浄は、しばらく悟空をかまっていたが、八戒にたしなめられ、今は自室に入っている。
 暖房を入れるには、まだ少し早い季節だが風は冷たく、窓は締め切られていた。
 リビングは悟空の出すうめき声以外、物音一つしない。
「悟空、声を出さないと出来ませんか?」
 うめき声の原因は明らかにペンとノートにある。
「なんだよぉ! 声くらい、イイじゃん!! ちゃんとやってんだからさあ!」
 机に向っている事が余程の苦痛らしく、悟空は苛ついた声を張り上げる。
 その時、遠慮がちなノックの音が聞こえてきた。
「? 誰でしょうね?」
 立って玄関に向おうとする八戒を遮るように自室から飛び出した悟浄が、
「イイよ、俺、出っから! お前、勉強見てやってんだろ!」
 言い置いてさっさと客を出迎えた。
「本当に、今日の悟浄は不思議と協力的ですねえ。」
 なにか釈然としない物を感じながら八戒が再び席に着こうとすると、玄関から悟浄の声が響いた。
「おい八戒、お前に用だってよ! 花屋のねーちゃん!」
「あ、はい。」
 花屋は歩いて十五分も掛からないところにあり、八戒は依頼された時だけ手伝いに行っていた。 頼まれるのは、主に人手が足りなくなる時であるが、男手の必要な時などにも呼ばれている。
 たいがい事前に要請が来るのだが、急な事情で、今からすぐ来てくれと言われた事が過去にもあった。
「悪いんだけど、八戒ちゃん、今からすぐ来てくれない? どうしてもあたし、これから二時間くらい、行かなきゃならない所があって・・・・」
「すぐ、ですか・・・・?」
 せっかく悟空が勉強をしているのに、と、この場を離れるのに抵抗を感じた八戒が、言葉を濁すのを見て、慌てたように悟浄が横から口を出した。
「行ってやれば? サルは俺が見てるからさ。」
「でも・・・・」
「お願い、八戒ちゃん! 急で、ほんとに悪いけど!」
 花屋の娘に重ねて言われ、ため息をつく。
「・・・そうですか? ・・・・・・・じゃあ悟浄、お願いしますね。」
 引っかかるものが無い訳ではなかったが、八戒は悟空に二時間分の指示を与えると、花屋へと急いだ。

 八戒が、確かに花屋への道をとったのを窓から確かめて、
「行ったな。」
 と一人ごちた悟浄は、唸りながら漢字と格闘する悟空の目の前に座った。
「そこ、すわんな。」
 裏切り者を責める目でにらみ付ける金色の双眸を、真正面から見返した赤い瞳が笑みを浮かべている。
「コラ、落ち着けよ! 今日のは理由があんだから。」
「うるさい、聞きたくない、黙れ!」
 同じ字を十回づつ書くという、八戒から与えられた苦行をこなしながら、悟空は声を荒げた。
「お前さ、ここに来たら、八戒と二人で昼飯食うだろ?」
「だからナンだよ!」
 怒鳴り声を張り上げて、悟空は正面に座る赤いアタマに向ってペンを投げた。
「悟浄の裏切り者! 勉強なんざ、しなくても生きてけるって言ったじゃんかよ! もう、てめえの言う事ナンカ聞かねえぞ!」
 顔を真っ赤にしてここまでの鬱憤を悟浄にぶつける。
「イイから落ち着けって! 昼飯だよ! 八戒と二人で食うだろ?」
「それがナンだよっっ!」
「とんでもねぇモン、出てきた事、ねぇか?」
「ある! ・・・・・あ」
 思わず叫んだ悟空は、慌てたように口に両手を当てた。
「口止めとか、されてんだ?」
「言わねえぞ! ゼッタイ言わねえ!」
 叫びながら両手を耳に当てた悟空の片手を、悟浄は力任せに外した。 開いた耳に顔を近付け、囁く。
「『悟浄には内緒ですよ』とか?」
「うるさいウルサイ! 大抵はすっげーウマイんだから、ほっとけよ!」
 悟浄の手を振り解き、逆上した悟空は語るに落ちる。
 なぜこんなにも悟空が狼狽するのか、悟浄には良くわかった。
 というより、悟浄にしか分らない、と言った方が良いだろう。
 八戒の恐ろしさを骨身にしみて分っているのが、現時点ではこの二人のみ、なのだから。
 本当に怒った時の、八戒がいかに怖いか。
 笑顔を消して無表情の仮面をかぶった八戒の、えもいわれぬ恐ろしさは、その場に居た者にしか理解できない物だ。 なにしろ、シャレでも冗談でもない本物の殺気を伴う、非常に重い沈黙が、物凄い圧迫感を持って迫るのだ。 感じられる殺気は、本気の物では無いのかもしれない。
 だが、意識して殺気だけを相手に伝える事が出来るという事自体、恐ろしい。
 それを見た事があるという一事をもって、実は強固な連帯感が、この二人の間にはあった。
「ゼッタイばれねぇ様にすっから! ばれたら俺もやべぇし!」
「ウソだ! バレねーわけねーじゃん!」
 いくら巧妙に隠し通そうとしても、八戒には絶対にばれる。 それが、悟空の認識だ。
 勘が鋭いのか、隠し事や嘘の切れ端をすぐに見つけて、巧妙な誘導尋問で攻め倒される。
 八戒との約束を破ったとしたら、絶対に隠し通す事など出来ない。
『悟浄には内緒、ですよ?』
『約束ですよ、悟空。』
 ニッコリ笑ってそう言った八戒が脳裏に浮かび、悟空は激しく頭を左右に振る。
「今回は大丈夫だよ! ・・・てか、もしバレたら、“慶陳楼”の肉まん、好きなだけ食わしてやる!」」
 悟空の表情が変わった。 “慶陳楼”は、肉まんで店を大きくした、と評判の点心屋だ。
 無論、悟空の大好物でもある。
「・・・・マジで?」
 八戒を怒らせる恐怖と、肉まんの誘惑の狭間で葛藤する悟空。
 オチたな、と見た悟浄が言葉を続けた。
「俺もさあ、結構、ヘンなもん食わされてんだよ。」
「マジで? だって俺、悟浄には良いもん食わせて、俺が実験台になってるって思ってた。」
「て事は、けっこう食わされてるってコト?」
「三日にいっぺん位かな? 全部食うけど、けっこう辛かったコト、あるぜ。」
「作った日にてめぇが来なけりゃ、俺が食わされてンだよ。」
「んじゃ、悟浄に食わせるモンの為の実験じゃ無いんだったら、」
 金目を丸く見開いて、悟空は心底、不思議そうに言った。
「何であんなモン作ってんだ? 八戒って」


 昨夜。
 悟浄は考えた。
 どう考えても尋常じゃない代物を、自分は何故フツーに食したのか。
 まだマシだったからだ。
 昨日の“パン”は、見てくれこそ悪いが、食える物だった。(注:普通の人には食べられないって!)
 以前出てきた“トムヤムクン”は、匂いで既にダメだった。 その時は、エスニック料理の本を前に読んだと言っていた。 同じ本に載っていたという“生春巻き”も、キツかった。 餃子の皮みたいな物で包んだ、にらとえび。
 食ったけど。
 何故か腹も壊さず、元気にしてるけど。
 通常の食事が美味いだけに、しばしば出てくる“とんでもないモン”がキツイのだ。
 何とかできない物かと考え、今日は朝から『八戒を驚かせるビックリパーティーの相談を悟空としたいから』などと言って、花屋の娘に協力を要請したのだった。
 大体、見た事も食った事も無いものを、うろ覚えで作ろうとするのが間違っている。
 と、言いたいが、言えない。

 まだ、恋人として成り立つ以前の事だ。
 一緒に暮らし始めてしばらくして、朝帰りをした時、食卓で眠っていた八戒。
 俺が帰宅した気配で目覚め、一言、呟いた。
『僕の作ったものより、美味しい物が食べられますもんね、お店に行けば。』
 俺の目の前で、冷め切った食物をゴミ箱に捨て、
『良いんです。 僕が勝手にしてることですから。』
 ・・・・・それ以前にも朝帰りした事は、一度ならず、あった。
 食卓上の冷め切った“夕食だったもの”を無視して寝床に入った事が、幾度と無くあった。
 昼過ぎて目覚めたとき、跡形無いそれを、気に留めてもいなかった。
 ―――捨ててたのかよ。 今迄も。 ・・・・全部?
 ―――今みたいな、カオして?
 ―――涙も乾ききった様な、目をして?

 あの頃と、今は違う。
 今は八戒も、悟浄が帰らないであろう日に、夕食は作らない。
 まだ、お互いのペースをつかめずに居た頃の、些細な出来事、なのだ。
 分ってはいるのだが、八戒の出すものを、拒めない自分がいる。 これは悟浄が一方的に背負ってしまった負い目だ。
 八戒も悪意があってやっている訳ではない。 多分、“天然”なんだという事が分ってきてはいるけれど。
 ・・・・・だからといって、あんなモノはなるべくなら食いたくない!


「何であんなモン作ってんだ? 八戒って。」
「―――ヒマ、だからだろ。」
「ヒマ?」
「だから、てめぇが勉強せずに遊びまくってやがるから、八戒がヒマになって余計な事思いついちまうんだよ!」
「俺のせいかよ!」
「遊びまくってても、昼飯は食いに戻ンだろ? てめぇは!」
「うっ・・・・。 そ・・・そうだけど。」
「いいか、サル! てめぇは、ここに来たら、キッチリ勉強しろ!」
「ええええええええっっっ!?」
「美味いもん、食いたくねぇのか、てめぇは!」
「食いたいけど、でも!」
「てめぇにモノ覚えさせようとしたら、ヒマなんざ出来るワケねぇからな! キッチリやれよ!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ウマイもん、食える?」
「おうよ、忙しかったら、余計な事考えねぇでチャッチャと作んだろ? なら、うめぇモン、出てくんぞ!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「お前の方が、ひでぇモン、食ってるみてぇだしな。」
「・・・・・・・わかった。 俺、がんばってみる!」
「その意気だ! ホントに欲しいモンを手に入れる為なら、ガマンも要るってコトよ!」
「で、悟浄は?」
「俺? ・・・俺は、奴がヒマになりそうになったら、連れ出したり用事頼んだり、する。 何も無くても、何とか見つけて、必ずする! お前と違って、コッチは毎日一緒だからな。 相当タイヘンそうだが、やってやるぜ。 お前がヘンなモンばっか食わされるんじゃ、カワイソウだからな。」
 実のところ、努力を要するのは悟空だけで、八戒と外出するのも用事を頼むのも、さほどの労力ではない。
 二人でいる時なら、時間をもてあます八戒を情事に引きずり込む、と言う手もある。
 だが、勿体をつけて難しい顔をしてみせた悟浄に、単純な決意を秘めて金目の少年は深く頷いた。
 どんな困難にも負けるもんか! 俺はきっとやり通してみせる!
 全ては美味しい食事の為に。


「このごろ悟空が、キチンと勉強してるんですよ。」
 一週間も経たないある日、夕食の席で、八戒が嬉しそうに言った。
「へー。 良かったんじゃねぇの? お前の熱意が伝わったとか?」
 美味い料理を食べながら、悟浄はそ知らぬふりで言葉を返す。
「この間、悟浄に留守番を頼んだ時以来、ですよ。 悟空に何か言ったんですか?」
「あー、あんまりぶーぶー言いやがるから『読み書きくらい出来ねぇと、三蔵の役に立つヒトになれねぇぞ』って、脅しといたけど。 ちったあ、考えたんじゃね?」
「三蔵の為に頑張ってるんですね・・・・。 可愛いじゃないですか。」 
 勉強中、リアルに四苦八苦する悟空の表情から、ウソや裏切りを見つけることは、如何に八戒でも出来なかったらしい。 どうやら肉まんは奢らずに済みそうだ、と悟浄は内心ほくそえむ。
「なあ、八戒。」
「はい。」
「お前、ナンカ忙しそうだけどさ、今度一日空いてる日ィあったら、温泉でも行かね?」
 きょとん、として、八戒が聞き返した。
「どうゆう風の吹き回しですか?」
「だって、温泉、好きなんだろ? 前に言ってたじゃねぇかよ、本とか見ながら。」
「それはそうですけど・・・・。 何か、企んでます?」
「別にィ? しっぽり暖まった、モモイロの八戒もイイかなぁとか、思ってねぇよ?」
「何を、言い出すんですか、全く。」
 少し赤くなって、箸の動きを早める八戒に、無邪気ともいえる笑顔で悟浄が強請る。
「行こうぜ? 泊まりでもいいし。」
「じゃあ、今度、お互い空いてる日にでも。」
 視点を器の中に落として、ぼそりと八戒は言った。
「上等。」


 ―――――――――――――


 このところ、八戒は何かと忙しいけれど充実した日々を送っていた。
 悟空が勉学に励むようになったのが、最近では一番の変化だ。
 彼は、けして物覚えが悪い方では無い様なのだが、いかんせん、基礎知識が常識はずれに無い。
 その為、基礎の基礎から教え込まなければならない。
 悟空の忍耐が長時間は続かない事も慮る八戒にとっては、気の長さを要求される仕事である。
 だが、悟空本人が、信じ難いほどの努力をしている。 あれだけ嫌悪していた『卓についてペンを持つ事』を、一時間リミット・インターバル三十分という時間配分で、延べ四時間ほど、毎日持続しているのだ。
 それが悟空にとって、涙ぐましいほどの努力と忍耐を要する、と知っている八戒のほうも、自然、力が入る。
 つきっきりで指導に当たる八戒と悟空の努力は、遅々としながらも成果を挙げはじめ、ついに悟空は、簡単な童話の本程度なら読めるようになった。
 八戒が宿題代わりに、日記をを書いてくるように言ったところ、大量の誤字脱字新字はあるものの、毎日キチンと書いてくる。(内容が、殆ど食べ物である辺り、悟空らしくて失笑ものなのだが。)
 その手紙から、三蔵との微笑ましい(!?)生活ぶりも窺われ、密かに三蔵の弱みを見たようで、八戒にとっては思いもかけず楽しい習慣となった。

 悟浄にも変化がある。
 悟空が来ている時は、彼の努力を尊重してか、何も言って来ないが、そうでない日は、温泉だ食事だと何かと八戒を連れ出すようになった。 今まで近寄ろうともしなかった本屋巡りに半日付き合ってくれたりもする。(この時は、かなりの疲れが悟浄に見えた。)
 以前はお互い、単独行動が多かっただけに、この急激な変化は不思議で仕方が無い。
 そうかと思うと、知り合いのつてから、八戒にバイトを紹介してくれたりもする様になった。
 地元人な上に結構目立つ悟浄には知己が多く、意外なところにコネクションがあるのを知ったのも、八戒にとっては収穫だった。
 一度行ったバイト先から、今度は八戒に直接『また、頼むよ。』と言われるのも、自分の仕事振りを認めてもらったようで、張り合いが出る。
 収入を得られるのは単純に嬉しく、知己が増えるのも喜ばしい事だ。
 充実はしている。 確かに。
 だが。
「自分の時間が、全く無い、というのは、いけませんね。」

 元々が、要領の良い男である。
 忙しい合間を縫って、自分の時間を作れるようになった。
 だが、こま切れな時間は使いにくい。
「何か、できませんかねえ、この時間を利用して。」
 僅かに空いた時間に、読書をしながらお茶を飲みつつ、八戒は思案する。
 そして八戒の中で、HOW TO本がマイブームとなった。
『余暇を使って、貴方もマジシャンに!』
 とか、
『貴方にもできる! 催眠術』
 とかいった類の、さわりだけちょこっと教えましょう、的な本である。
 暇つぶしには適度な軽薄さが心地良く、八戒はその手の本を集めだした。
 持ち前の器用さと要領のよさで、マジックや催眠術も体得してしまった八戒は、自分が特にマジシャンにも催眠術師にもなりたくなかったのに気付き、
「次はちょっと、実用的なものにしましょうか。」
 忙しい合間に、手当たり次第に買い込んだ大量のHOW TO本の山の中から、一冊を選んだ。
「これなら、いざという時の護身用にも良いですね。 武器など無くても戦えるのは、お手軽で便利です。」
『一日10分! 貴方にも出来る! 気孔術』

 かくして、二人の密かな努力は、一人の男を無敵にしたのであった。



 END








 またも、しょーもないものを書いてしまった。
 みようみまねで体得できる物なのか、一体!? と、思って出来た話です。 
 謎が多いですよね、八戒って。
 気孔術を体得するプロセスも書いてみたのですが、くどいので削除しました。 
 悟浄が“策士”なのが、自分的にはちょっと違うんですけど、ま、いいか。・・・・みたいな。




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