『独り言』2004.11.05

 
 他人との係わりを、極力排して生きてきた。
 今まで、他人がどうあろうと、僕には全く関係ない事だった。
 余計な話には聞く耳持たない態度を維持してきた。 自然、雑多な物事は僕の耳に入らなくなる。
 だから、そんな事、知らなかった。
 知らなかったから、言えたんだ。

 血の色だ、なんて。 酷い事。


                  ―― 独り言 ――
                    Monologue



 家の前の銀杏やブナがすっかり紅葉している。
 だいぶ葉が落ちて裸に近い木もあるけど、その枝の風情も嫌いじゃないし。(特に、銀杏のシンメトリーな樹容は気に入っている)
 天気の良い日は、秋の抜けるように深い青空が背景に見え、中々に綺麗な物だ。

 けど、今日みたいに強い雨の日は、夜の近さもあいまって、古くなった水彩画みたいにくすんで見える。
 晴れた日には、軽やかな音を立てる落ち葉も、汚らしいゴミの様にしか見えなくなり、気分は鬱々として晴れない。
 ―――気分が晴れないのは、落ち葉の所為だけじゃ無い。
 それは、わかってる。
 このところ、晴天が続いていた為か、毎晩の様に“お約束”だった悪夢から解放されていた。
 それが、この雨だ。 五時を過ぎた頃に降り始めて、急に勢いを増した、強い雨。
 嫌な感じがしていた。 予感、とまでは言えない程度の、嫌な、感じ。
 どしゃ降りの雨。
 雪になる寸前の雨は氷みたいに冷たくて、あの“悪夢”の中で、コールタールのように粘って、僕の動きを鈍くさせる闇にも似た、敵意を感じてしまう。
 多分、雨には罪は無い。
 僕の記憶する最悪の日が、たまたま強い雨の日だった、と、言うだけの事だ。
 解ってる。 それも、わかってる。

 悟浄と一緒に住むようになって、・・・・彼の温もりに救われて。
 それからまだ、ふた月と経っていない。
 なのに・・・・・・僕は彼に、どこかで縋ってしまう。 今日、彼が居ないのは、決して責められる事じゃないのに、責めてしまいそうになる。
 何故ここに居ないのか、と。
 何故こんな日に一人にするのか、と。
 とんでもない話だ。

 僕は、人に頼る事をしてきていないから。
 だから、頼り方を知らない。
 その所為で、結果的に、悟浄に無駄な負担を強いてしまっている。 平気な顔をして見せても、彼はいとも簡単に見破る。
 僕の虚勢を。
 本当は、全然平気ではない事。 一人で居るのを実は怖がっている事。
 ・・・・・・実は彼をとても必要としている事。
 僕が口に出さずに、自分の中だけで終わらせようとする事を、彼は推察して、先回りする。
 彼も口に出さずに、行動で僕に見せる。
 そうして、僕を叱る。
『このバカ!』
 と。
『ナンで言わねんだよ!』
 と。

 ・・・彼は、狡い。
 自分は何も言わないくせに、僕には言葉にしろと言う。
 僕は彼を、何も知らない。
 どうでも良い事しか知らない。
 彼がどんな子供だったのかを知らない。
 どうやって、あんな優しい人になったのかを知らない。
 自分の事しか考えられない、エゴイスト。 それが、僕だ。
 僕がどうやって、今の僕になったのかを、彼は知っている。 僕が教えたから。
 そして今、彼の全てを知っていたいと僕のエゴが言う。 彼の気持ちに係わり無く、僕の安寧の為に。

 所詮、僕は、そういう奴だ。


 とりとめなく考え続けている内に、夜が更けてしまっていた。
 雨は激しく降り続いている。
 悟浄は帰って来ない。
 大丈夫、と、自分に言い聞かせ、眠りに就こうと考える。 眠らずに悟浄を待ってなどいたら、また心配をかけるし・・・・・・いや、違う。 僕は自分にさえ、体裁をつけようとする。
 実際の思いはと言えば、今更だけど、なるべく弱みは見せたくない。 そんな所だ。
 ―――この思考経路は、・・・・・我ながら度し難い。

 雨音から、少しでも気を逸らせようと、テレビを点けた。 なるべく賑やかで雨音を遮るほど騒がしく、余計な事を考えずに済む様に下らない番組を選ぶ。
 先週、買って来たばかりのソファに腰かけ、毛布を纏う。 今日は、ここで寝よう。
 戸棚から取り出してある、純度の高い焼酎をグラスに注ぎ、口に含んだ。 無駄と思いつつ、何かに縋りたかった。 ・・・・・こんな時は、酔えない体質が恨めしい。 顔も見たことの無い父親か母親が、酒に強かったのだろうか? 花喃はそんなに強くは無かったのに。
 今まで、酒に酔って楽しい気分になった事など無い。(ちなみに二日酔いの経験も無い)
 楽しい相手と過ごす“時”を心地よく感じた事はあるけど。 でも、そんな風に思える相手と呑んだ事自体、片手に余る程しか無い。
 そういう人間関係を拒んで来たのだから、当たり前だけど。
 それで良いと思って来たし、花喃以外に僕を理解するヒトなんて、必要じゃ無かった。 それは、彼女と再会する前から。
 何年も会っていなくても、どんなに離れて居ても、僕達は通じていた。 会えば、それで解り合えると知って居た。 彼女は僕の半身だったのだから、それは自明の事であり、僕にとっては疑う余地も無い既定の事実だった。 ・・・・実際、再会した時、彼女も同じ様に考えていたのを知っても、深い悦びこそあれ、何の不思議も感じなかった。

 彼女は僕の、姉であり、恋人であり、母親であり、被保護者でもあった。

 悟浄は、僕の、なんだろう?
 友人であり、恋人である。 ・・・・それだけ?
 ――――いや、違う。

 きっと、彼に会わなければ、僕は自分を保っていない。
 精神的な意味で、僕は彼の存在に、かなり依存してしまっている。
 ―――護られたいわけじゃない。 それは、決して。
 ただ、ソコに居て欲しいだけだ。 でも、ソコに居なければ困る。 傍に居て、声を聞いたり、触れたり出来る位置関係に居なければならない人。
 そこまで考えて、思わず赤面した。
 なんて、我が儘!
 どれだけ自分本位になれば気が済むのだ? 僕という男は! 自分で抑えていなければ、彼の優しさに甘えて、僕の欲求は際限なく膨れ上がってしまいそうだ。
 なんだかんだ言いながら、僕は彼に甘えてる。 甘え方も知らない癖に・・・・・だめだ、どんどん思考が自虐的になっている。
 タバコの香りのしない、この部屋がいけないんだ。
 ソファの前の卓には、灰皿と買い置きのタバコが置かれていた。 この家は、悟浄が落ち着く場所から手の届くところに、必ずタバコと灰皿が置いてある。 ・・・なのに、彼は時に空き缶などを灰皿にしてしまう。 何度言っても、直らない、悪い癖だ。

 溜め息を大きく吐き出し、ソファに横になって眼を瞑る。 ・・・睡魔は訪れない。
 テレビや電気がが点いている事とは関係ないと思う。 僕の思考が螺旋を描いている所為だ。 少しづつずれているようで、実は同じ所をぐるぐる回ってるだけ。
 自分を責め、悟浄を責め、環境を責め。 この状況が、何かの帰結であると納得したいのだろうか?
 そんな事、出来る訳無いのに。
 ・・・・・考えすぎて、頭の中心が熱を持ったように疼く。 

 三蔵の命で、月に一回は、医師の診断を受けている。
 どうやら僕は、急激な体質変化(つまり、人間→妖怪)の為に、一種の自家中毒状態になっているらしい。
 マイナス思考は元々だけど、この泥沼状態は、そう云う事も関係しているのかもしれない。
 以前は、ここまで思考に囚われずに済んでいた。 考えてもしようが無い事は、切り捨てる事が出来た。 そうでなければ、親に捨てられた子供一人、唯一の肉親とも離されて、狂わずに居られるものか。
 それ位、ギリギリだった、子供の頃。
 その頃より、更に悪化しているとは、自分はなんと哀れな奴だ?
 成長せずに後退し、前に進めず足元を穿り返してばかり。 そうまでして穿った穴を、一体どうする心算なのか。

 ・・・・またも自虐へと進みつつある思考に歯止めを掛けるべく、辺りを見回すと、買い置きのタバコが目に入った。
 毛布から手を伸ばし、我ながら器用に一本だけ手にすると、同じく卓上に放置してあるライターで火を点けた。 
 香りがしないなら、香らせれば良い。 そう考え、思い切り煙を吸い込む。 タバコを吸った事が無いわけでは無かったのだが、久しぶりでもあり、しかもハイライトはきつ過ぎて、盛大に咳き込む羽目になった。
 己の短絡思考を呪う。
 咳は中々止まらず、取り敢えず卓上に有った焼酎を呷ったが状況に変化は無い。 咳き込み続けて顔に熱が昇って来る。 終いには涙まで出てきた。
 その時。
 騒々しい物音が、玄関から聞こえてきた。 悟浄が帰ってきたんだ。
「悪い八戒、遅くなって! 穴倉に閉じこもってたもんだから、雨降ってるって気付かなくて・・・・・・」

 急に言葉を切った様子に不審を感じ、玄関へ通じるドアに眼をやると、濡れそぼった悟浄が立っていた。
「お前・・・・・・。」
 その眼の色に、自覚した。
 ―――最悪のタイミングだ。
 点けっぱなしのテレビ。 ソファの上の毛布。 手にしたタバコと焼酎。 赤らんで、涙ぐんだ僕。 しかも、何故か咳が止まってるし。
 僕を見詰めて、暗紅色の瞳が、揺れる。

 誤解してる。
 絶対、悟浄は誤解してる。
 予期する事すら出来なかった、最悪の状態!

「・・・・おかえりなさい、悟浄。」
 平常の声を出そうとしたのだけれど。 ・・・・・拙い。 さっきまで咳き込んでた所為で、声が変だ。 ちょっと掠れて、泣いてた様に取られない事も無い。

 案の定、思い詰めた眼をして、悟浄が僕を抱きしめた。
「悪い。 悪かった。 二度とこういう日にお前、一人にしないから・・・・!」

 ・・・・・ホッとしてる自分が居る。
 状況はどうあれ、悟浄の髪から香るタバコの匂いと、その腕の温もりが、出口の無い迷宮を彷徨っていた僕にとって、突破口であった事だけは、間違い無い。
 だけど、このままで行くと、いつものパターンで、・・・“始まって”しまう、だろう。
 流されるのも、どうかと思う自分が居て、状況をどう説明したものかと思案していると、悟浄は僕を抱く腕の力を緩めることなく、若干息を荒げて首筋に舌を這わせ始めた。 拙い、“始まって”しまう。
「・・・・悟浄? あの、ですね・・・・・・・っ・・・」
 問答無用で、悟浄の舌は這い回り始める。 鎖骨から肩口へ。 自然な手つきで僕の服をはだけ、わき腹や胸に手が伸びてゆく。 耳元にも息が掛かり、これには思わず反応してしまった。
「あっ・・・・・・・・・ちょっ・・・待っ・・・・」
 言葉を発しようとしたが、唇を塞がれ、意見も状況説明も封じられた状態が続く。
 長く執拗な口付けに、いつしか僕も応えてしまっていた。
 お互いの舌を絡ませ、それぞれの舌は歯列を探り、上顎や頬の窪みに彷徨う。 幾度と無く、合わせる唇の角度を変え、お互いの口中を探りあう。 
 そのさなかにも、悟浄の手はごく自然に手順を踏んでゆく。
 慣れた手には雑作も無く、僕は快感を覚えてしまい・・・・・・
 ―――結局、そのまま流されてしまった。



 ・・・・・・頂上を何度か極め、汗にまみれた体に、悟浄の手によって毛布が掛けられた。
 もう、言葉を発する余力も無い。
 思考自体が朦朧として、筋道だった考えが浮かばない。
 まして、こうなってしまっては、誤解もなにも、どうでも良くなっていた。
「なあ、八戒」
「・・・・・・・はい?」
 悟浄が、僕の目を見詰めてる。 骨ばった手が、僕の髪を梳いていた。
「悪い夢って、どんなの見てンの?いつも。」
「・・・・あの日・・・の、・・・・事、ですよ。」
 眠気が強く僕を襲い、言葉が途切れとぎれになってしまう。
「―――雨の日?」
「・・・・・・花喃が、死んで。 ・・・・・僕が、変わる所まで。」
 体がふわふわして、今にも眠ってしまいそう。 こんな事も、抵抗無く話せる。
「・・・体が、変わって行くのが、・・・とても・・・・・不快で。 ・・・・痛み・・・じゃない・・・・気持ちの悪い感じが、全身に・・・」
「ふーん、そう云うモンなんだ? 俺ナンざ、生まれた時からコレだからなぁ。 わかんねーや。」
 ぼんやりした頭に、チカッと疑問の灯が瞬いた。
 ・・・・え?
 ・・・・・・今、なんて、言った?
「・・・ンだよ、ナニ見てんだよ?」
 疑問が、素直に口をつく。
「・・・・・悟浄って、・・・・・・・・・・妖怪だったんですか?」
 髪を梳く、悟浄の手が止まった。
「はぁ? ナニ言ってんの? ・・・てか、今までナンだと思ってた?」
「・・・・馬鹿力のヒト。」
「ンなワケ、ねーだろーが!」
「・・・でも、姿は・・・・」
 悟浄の手が僕から離れ、代わりにタバコを手にすると、火を点けた。
「オヤジが妖怪で、母親が人間だったの!」
 天井に向けて、紫煙を吹き上げる。
「・・・悟浄って、お母さん似・・・・・なんですか」
「知らねーよ! 見たことねぇもん。 っつーか、そーゆー事じゃねぇだろ?」
 意味が良く解らなかった。
「・・・・・・・父子家庭、育ち?」
「・・・マジで言ってる? それとも寝惚けてんの?」
 僕は、今にも眠りに引き込まれそうな頭で、必死に言葉を理解しようとする。
 あんなに知りたかった、悟浄の事。 今、彼は語ろうとしている。
「母親は、オヤジの愛人だったの。 オヤジにはオクサンが居て、それが俺の母さん。」
 碌に相槌も打たない僕に、独り言のように訥々と悟浄は語る。
「あと、兄貴が居て、こっちは母さんの子供だから、パーフェクトに妖怪だったのよね〜。」
 あまりの表情の無さに、却って内心の痛みを見たようで、僕は彼に手を伸ばす。
 体の奥にまだ鈍い痛みがあって、思うように体を起こせない。
 労わる様に体を寄せてきた悟浄は、僕の腕の中に身を落ち着かせた。
「ああ、そっか。 お前知らねんだ。 だからマジボケになってんだろ?」
 独り言は続く。

 ―――その夜、僕は初めて、赤い髪と眼の、意味を知った。

「・・・おい、八戒? 寝たのか?」
 タヌキ寝入りを決め込んでいたけど、眠気は、すっかり醒めていた。
 あんなに眠くなっていたのに。

 だって、知らなかったとは言え、余りにも無神経だった自分の言葉を思い出したから。
 僕は、酷い事を、言ったんだ。

 新しい名前を得て、再会した時、悟浄の髪は短くなっていた。
 それは、僕が言った一言の所為ではないのか?

『悟浄さんのその髪と眼が僕には、血の様に見えたから。』

 どうしていいか判らなくて、タヌキ寝入り。

 悟浄は、ソファから離れると、濡れタオルを持って帰ってきて、僕の体を拭いてくれる。
 流石に寝たフリは続けられず、眼を開けると、赤い瞳が笑いを湛えて僕を見下ろす。
 ばれてる。
 他はどうか判らないけど、寝たフリしてた事だけは、確実にばれてる。
「ヘンな気、使ってんじゃねぇよ!」
「スミマセン・・・・」
 諸々含めて、意味は通じた。
「どうせ、自分で風呂まで行けねんだろ? 今、キレイにしてやっからじっとしてな。」
「・・・・・・・。」
「聞かれたくねぇ事なら、口に出しゃしねんだから。 俺が自分で言ってるって事は、お前に聞いて欲しいから言ってんだぜ?」
 体を拭きながら、悟浄は続ける。
「ソレを、寝られちゃあ、俺の立場ってモンが無いっしょ?」
 一言も無い。
「ほい、いっちょあがり!」
 と、立ち上がって、僕に再び毛布を掛けると、タオルを手に立ち去る。
 すぐに戻ってくると、毛布ごと僕を抱き上げた。 これでも結構でかい方だと思うし、重い筈なんだけど、悟浄は軽々と持ち上げる。 ・・・・やっぱり、馬鹿力。
 しかも、絶対タオルは洗ってない。
 別に良いけど。
「自分のベッドで一人で寝るか、俺ントコで一緒に寝るか。 どうする?」
「歩けますよ、自分で。」
 顔が火照ってるから、多分、赤くなってしまっていると思う。
「ウソつけ。」
「ホントですよ。 だから、下ろしてください。」
「なら、俺ントコに連れてくから、イヤなら自分で部屋に帰ンな。」
 笑い声で悟浄は言って、僕を自分の部屋に運び入れる。
 この進行は、もうワンラウンド目論んでいるな、と、思いつつ。
 雨音は激しく聞こえるし、さっきの悟浄の話で、自己嫌悪が一つ増えてしまった。
 確かに、今夜は自室で安眠出来るとは思えず。
 とことんまで、流されてしまおう、と。
 開き直った。




                      END



       “ベースカラー”を書く前に書きなぐったメモから、一本書けちゃったので。
   一人にしとくと、ぐちゃぐちゃになってんじゃないかなぁ、と、思って出来たオハナシでした。

            ナンか、私が書くと、睦言が甘くない。 ・・・何故だ?

           良かったら、感想など、聞かせて頂きタイ・・・・・・。
               どうか、ヨロシク



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