『ベース・カラー』2004.09.18

 


 深夜。

 窓の外は、一度解けかけた地面を、新たに降り始めた雪が白く彩りつつある。

 住人はベッドの中で眠れぬわが身を持て余していた。

 思い詰めると、とことんまで自分を追いつめる性癖のある、翠の瞳を持つ青年は、睡魔に嫌われた夜を、幾夜も過ごしていた。

 ドアの開け閉めされる物音とともに、もう片方の住人が帰宅した。

 足音は、眠れぬ夜を持て余す同居人の部屋へ直行する。

 それと知って、ベッドの中の住人は敢えて寝具に深く潜り込んだ。

 ドアが開かれ、暫しの躊躇いと共にベッドへと歩を進める紅髪の若者は、当然の様に恋人の傍らに腰を落とす。

 纏う様に彼を包む冷気と共に差し出される手が、寝具から僅かに覗く黒髪に伸ばされた。

 褐色の冷え切った手で寝具を剥がそうとするのを、その手に触れることで阻止した八戒は、布団から眼だけを出し、言葉もなく悟浄を見詰める。

 出会った瞳は会話する。 紅は欲望を、翠は沈黙を、それぞれ相手に伝えた。

 それぞれに意味を感じとった二人は、身じろぎもしない。

 やがて、拒絶とも異なる翠の瞳の意志の強さに負け、悟浄は小さな溜め息と共に恋人の寝室を後にした。

 若干の苛立ちと戸惑いを友として。



 そんな日が、幾日も続いていた。







―― ベース・カラー ――



    Fifty-fifty







 悪夢を見てしまう事が、まだ、しばしばある。

 特に雨の日は危険だ。 花喃を失った瞬間からあの、変化の時までをノンストップで体感する羽目になりかねない。

 でも、悟浄のぬくもりを感じていれば、それは避けられる。

 そうと気付いて、彼は雨の日に僕を一人にしなくなった。

 そんな事、悟浄は口に出さないけれど。



 冬は好きだ。 雨が降らないから。 

 雪には、見たくない物を覆い隠してくれる、そんな優しさがある。



 燃えるような色の髪を持った男は、そんな雪に似て、さりげなく優しい。

 僕は彼の、そんな優しさに応える術を知らない。

 体を重ねれば、刹那的に僕は救われる。 けれど、そうして僕は、甘えを捨てられなくなるだろう。

 それでは何の解決にもならない。

 彼の負担を軽減する事が出来る訳ではない。

 僕は彼の、重荷でいる事に、もう、耐えられなくなって来ている。 





               ―――――――――――――



 このところ、三蔵はしばしば悟浄と八戒の家を訪れる。 用件があっての来訪もあるが、気晴らしに立ち寄ることも少なくない。 今回は、目的あっての来訪の様だった。

「猿の食費だ。 受け取れ。」

 と、言う言葉と共に差し出された封筒の、あまりの厚さに、中を検めもせず、八戒は言った。

「ちょっと待って下さい、三蔵。 いくら悟空でも、こんなには食べませんよ!」

「・・・・・・・・」

 知らん、とばかりに、宙を見て紫煙を吐き出す最高僧に、八戒は言葉を続ける。

「報酬が欲しくてやっている訳でも無いですし。」

 八戒に読み書きを教えてもらう、と、云う名目で、悟空がこの家に通い始めてから、ひと月が経とうとしていた。

 だが、張り切って用意したテキストを持ち出すやいなや、いち早く姿を消す金眼の少年に、溜め息をつく毎日。 当人は森の中で近在の子供達と遊んでいる様で、学習の名目は有名無実と化していた。 

 無視を続ける三蔵に、八戒はさらに続ける。

「悟空は殆ど外で遊んでいますし、碌に字も覚えてくれません。 ・・・・・だから、僕は、何もしていないんです。 こんな大金、頂く謂れがありませ・・・・・・」

「喧しい! 黙って受け取りやがれ!」

 言葉と共に火のついたまま飛んで来たタバコを避けながら、悟浄が肩を抱く様にして耳元に口を寄せ、

「イイんじゃね? 貰っときゃ。」

 微かに笑いを含んだ低い声で言う。

「ヤツは、手間もヒマもかけらんねーから、金かけようとしてるだけだぜ? それで気が済むんなら、却って功徳ってモンだ。」

「・・・・・・功徳なんざ、粋な言葉を知ってるじゃねえか、河童。」

 ――チャ、と耳元で響く、不穏な金属音に振り向いた悟浄は、顔面に向けられた銃口を見て、それを手で払いながら激昂した。

「てめ! この、キチガイ坊主! 照れ屋サンにも程があんだろ!! 大体、河童たぁ誰の事だ!?」

「ほう?自分を呼ばれたという自覚はあるようだな。 ・・・・下らん事、吹き込んでんじゃねぇ! このエロ河童!」

               ――――――――――――――





 ―――またひとつ、教えられた。

 三蔵が怒ると言う事は、悟浄の言った事は図星なのだろう。 それに気付かず、僕は自分の正義を主張してしまう。

 僕が思い悩む様な事を、悟浄は『イイんじゃね?』の一言で吹き飛ばす。

 ―――僕なんかより、悟浄はずっと大人だ。

 知識はあっても、世間を知らない僕。 人の心をさりげなくフォローする悟浄。

 生活する技術はあっても、生きようとする強さの無い僕。 自分の意思で生きていってる悟浄。

 僕が持っている物は、無くても生きて行けるもので、悟浄が持っているのは生きて行くのに必要な物だ。

 僕が、今、生きているという事実も、これから生きて行こうと思える様になったのも、全て悟浄が呉れた物だ。

 ―――僕は悟浄に貰うばかり、与えられてばかり。 一方的に助けられてばかり。







               ――――――――――――――



「だいたい貴様、寄ると触ると八戒にベタベタしてんじゃねぇ! 教育上、拙いだろうが!」

「ほっとけ! サルの前じゃ、やっちゃいねーよ! 自分がヒトリで寂しいからって、やっかんでんじゃねぇ!」

「誰が寂しい一人寝だ!? てめぇ、サカリ付けんのは女だけにしとけ! はた迷惑なんだよ!!」

「はぁ〜ん、やっぱヒトリって、さびし〜んだ、チェリーちゃん?」

「・・・・・・・・・・・殺す。」

 やがて銃弾の飛び始めた居間で、世間ずれしていない自分を反省する別世界の住人は、翠の瞳に憂鬱を湛えて思索の深みに嵌まってゆく。 暫し経って、小競り合いに飽きたデカイ図体の子供二人は、どちらからとも無く、違う世界で反省の旅を続ける、黒髪の若者に眼をやった。

「てめえ、本気なのか?」

 顎で八戒を指しながら三蔵が問うと、

「ま・・・・・・ね。」

 少し照れたように、悟浄が答える。

「苦労するぞ、あれは。」

 貴様に理解できるのか、こいつが? と、言外に含ませて問う三蔵に、

「そんな気がして来てる、最近。」

 そう、答えながら、・・・・でも、しょーがねーじゃん、と、紅い瞳が苦笑する。

(惚れてんだから、俺が。)



 日暮れ時に戻ってきた悟空を伴って、ハリセンを振り回しながら三蔵が帰宅し、家は本来の住人二人だけになる。 だが、思考の旅を続ける八戒との間には、碌な会話も無く、己を律しかねて自室に閉じこもった悟浄は、図らずも八戒同様、思考の迷宮に囚われていた。



 作夜半からしんしんと降り積もっていた雪は、落日と共に降り止み、柔らかい雪はあらゆる物音をのみこんで響かせない。 新雪に覆われた夜は、静寂に包まれる夜でもある。

 暖かい部屋の中に居ながら、悟浄の心胆は窓の外の景色のように冷え込んでいた。

 今の彼にとってこの静寂は、拷問でさえあった。 イヤでも考え込むムードになってしまう。

 (―――ったく、ぐじぐじ悩むのは、八戒の専売特許だろーが! ナニやってんだ?俺!)

 一つ屋根の下に、想う相手が居るという事は、時として残酷である。

 手を伸ばせば届く距離に居ながら、触れる事が叶わない。

 ―――ここのところ、八戒は所構わず考え込んでいた。

 こうなると、何も耳に入らなくなるので、碌に会話も交わしていない。

 嫌われてると言う訳でも、怒っているからでも無い様なのに、八戒は“オコトワリモード”を全身で表している。

 知らず、溜め息をつく悟浄。

 なにせ、彼にとっては“初めて知った真実の愛”で、ある。

(実のところは、性体験に比べ、恋愛体験が皆無に等しかった、と云うだけの事なのだが。)

 何故、彼に“オコトワリ”されているのか、見当もつかない。

 何か解っている風の、意味ありげな視線を寄越した三蔵からも、答えは得られなかった。



 愛しい“彼”を抱きたい。



 いっその事、強引に襲ってしまおうか、とも考えたが、後の事を考えると、それもためらわれ、思考は堂々巡りを続ける。

 いったん怒った八戒は、(悟浄的に)相当怖いのである。



「くそ!」

 飲み干してしまったビールの缶を手に、次の一本を求めて部屋を出た。。

 居間へ続くドアを開けると、誰も居ないのにテレビが付けっぱなしになっている。

 常の八戒なら、ありえない事だったが、考えすぎて頭が加熱している悟浄は不自然を感じもせず、八戒が居ない事に却ってホッとして、冷蔵庫から一本取り出すとソファに座って呑み始めた。

 だが、場所を変えようが、テレビがついていようが、泥沼と化した思考は止め処なく悟浄を苛む。

 自室と同じ様な時間が続く事に耐えられず、無理やり思考を別方向にむける。  

(どケチ坊主! ハゲでサディストでキチガイで生臭坊主のクセに! ナンか知ってンなら、教えやがれ!)

 生来、曖昧な空気をいなせない性格である。

 明らかな八つ当たりに思考をシフトさせてみても効果は無く、欲求不満もあいまって、苛々が募る。

 イライラすると、タバコが増える。

「悟浄!」

 声のした方に顔を向けると、タオルを手にした、風呂上りの八戒が傍らに立っていた。

 濡れた髪の下に覗く翠の瞳が、珍しく苛ついた色を見せている。

「だから、いつも言ってるじゃないですか、空き缶を灰皿にしないで下さいって!」

「んあ?」

 いきなりの怒声に間の抜けた返事をした悟浄は、八戒の手元にさっき飲み干したビールの缶を見た。

 二、三本の吸殻が差込まれて、缶の上部には灰が散乱している。

 全くの無意識で、した事だった。

 ・・・・・なぜか、見慣れた形。

(―――そうだ、こいつがここに来るまで、灰皿なんてシャレたモン、家には無かったんだ。)



 そう考えた途端、理不尽な怒りがこみ上げてきた。

「毎日同じこと言わせないで下さいね! すぐ横に灰皿があるのに、何故あえて空き缶に・・・」

「っせーなぁ!!」

 声を荒げた悟浄は、いきなり立ち上がって八戒から空き缶を乱暴に奪うと、大袈裟にそこでタバコをもみ消そうとした。

 まだ充分な長さのあったタバコはポキンと折れて床に落ちる。

 更に苛ついて、地団太を踏むように落ちたタバコを消すと、窓に駆け寄り、大きく開け放って、そこから缶を放り投げた。

 冷気が部屋に侵入する。 悟浄はつかつかと、八戒に向かった。

 風呂上りの八戒は、悟浄と共に近付く冷気に鳥肌を立てる。 間髪いれず両の二の腕を強くつかまれ、猫背気味になっている悟浄を僅かにみおろす形になった。

 悟浄は少し上目遣いになって、常よりキツイ視線を八戒に向ける。

「てめぇ、なぁにが面白くねぇのか知らねぇけどサ。 ・・・人に当たってんじゃねぇよ!」

 低い声。 本人に自覚は無いが、こういう声は結構ドスが効いている。

「何を訳の解らない事を・・・・・・! 怒ってるのは、そっちじゃないですか!!」 

「そっちこそ、ナンで俺を無視すんだよ!? なんも言わなきゃ、解ンねぇんだよ!」

「無視なんかしてません! いきなり何です!?」

 口では勝てないと熟知している。 しかも、考え過ぎた所為で、何を言いたいかが自分でもハッキリしない。

「だ〜〜〜! もう、いい!!」

 これ以上続けるのは徒労だと判断し、一方的に口論の決着を付けると、肩を怒らせて居間を出て行った。

 なかば呆然と見送る八戒。 盛大な音を立てて閉まる玄関の音を耳にし、吐息と共に肩を落とす。

 床に見える、悟浄が踏み潰したタバコの残骸が、彼の胸を詰まらせた。



               ―――――――――――――





 天気の良い日なら夕日を望める小高い丘の、天辺に立つ楡の大木。

 今はすっかり雪化粧に覆われてるけど、この木の根っこがイイ具合に盛り上がっていて、座り心地が良い。

 ここは八戒の気に入りの場所だ。

 ・・・・・家の周りにこんなロケーションがあるなんざ、ゼンッゼン知らなかった。

 この木が楡だって事も・・・・知らなかった。

 ・・・・木漏れ日がキレイだなんて、感じたコトも無かった。

 暮らし始めて、最初に買い物した時、帰ってから食卓にアレ、置いて、あいつが言ったんだ。

 『今度から、吸殻はここですよ?』

 今となっちゃ、居間だけじゃなく、俺の部屋にもキッチンにもトイレにも灰皿がある。

 ソファだって、本棚だって、家には無かった。

 家具は備え付け、テレビだって鍋だって貰いモンだ。

 カーテンは洗うモンだって事も知らなかった。 汚れたって、ほっといてた。

 ―――あいつは、すっかり俺の中に入り込んじまってる。 生活にも。 ・・・・ココロん中にも。

 たかだか半年やそこらで、この影響力はナンだ?

 毎日おンなじよーなニコニコ顔で、ナニ考えてんだか解りゃしねぇ。

 ンだけど、機嫌が悪いとか、落ち込んでるとかは、ナンとなく、感じちまうんだよ? ・・・ンなの、ほっとけっかよ?

 俺の欲だけで動いて、後でもっと面倒くせぇ事になりゃしねぇかと思うと、ナンにも出来ねぇし。

 ・・・・・・・カッコ悪りぃ、俺。

 イイだけ振り回されてんじゃん。



「悟浄?」

 振り向くと、爽やかと言ってイイ笑顔を湛えた翠の瞳を見つけた。 防寒具を完璧に装備してる。

「寒いでしょう。 風邪、ひいちゃいますよ?」

「・・・・ナニしに来たんだよ。 てめぇこそ、風呂上りのクセに。」

「あはは、こんなとこに座ってたら、家出少年と間違われちゃいますよ?」

「ンなワケねぇだろ! しけたツラしやがって。」

「おや、顔に出てますか?」

「出てねぇ。 ・・・・・ったく、解りにくいんだよ、てめぇは!」

「困りましたねぇ。」

 そりゃ、こっちのセリフだ! ・・・・心の中で悪態を吐きながら立ち上がると、

「・・・・・・・・帰ンぞ!」 

 先に家路を辿る。 数歩遅れて、八戒もついて歩き始めた。





               ――――――――――――――





 やはり、風呂上りの身に、この気温は寒い。 完全防備して来た心算だったけど。

 ああ、悟浄にマフラーを持って来たのに、渡しそびれてしまった。

 ジャケットひとつ着ていないんだから、絶対寒いはずなのに。

 きゅっきゅと雪を踏みしめる足音以外、何の物音も無い空間。

 ―――今、言ってしまおうか。

 このところ、胸に詰まっていた事。

 僕が黙ってるから、彼は怒ってしまったのだから。

 家まで、たいした距離では無い。 早足で歩く悟浄のペースなら、すぐに着いてしまうだろう。

 ・・・・・そうなったら、言えなくなるかもしれない。

 数歩先を行く、肩を怒らせた背中に声をかけた。

「・・・・悟浄?」

「ナンだよ。」

「ひとつ、聞いて良いですか?」

「だから、ナンだよ。」

「・・・・僕は、ずっと居て、良いんですかね?」

「はぁ?」

 歩みを止めて振り向く悟浄と、目を合わせられなかったので、そのまま僕は歩き続けた。

「・・・・・だって、雨の日は悟浄、外出しないじゃないですか。」

「イヤ、そりゃ・・・・・・・・え?」

「いつも、悟浄に助けられてばかりで。 負担をかけてばかりで。 気を使わせて・・・・・いつも。」

 歩き続けていたら、悟浄を追い越してしまった。

「何も、返せる物もないし。 迷惑掛けてばかりなら、いっそ、離れたほうが良いのかなあ、なんて考えたり・・・・。」

「ナニ言ってんの?」

「なにって・・・・・」

「ンなこと、考えてたのかよ?」

 すぐ傍で声がした。 歩き続ける僕に、悟浄が追いついたんだ。 声の方に顔を向けると、赤い瞳がこっちを見てる。

「バカ!」

 大声でひとこと。 ・・・・・あんまりだ。

「だぁ〜〜〜! も、寒いからンなとこ突っ立ってんのよそうぜ!!」 

 僕の腕をつかむと、ぐいぐい引っ張りながら大股で進む。 家は目前に迫っていた。

「ちょっ、悟浄! 馬鹿力でつかまないで下さい! 痛いんですから!」

 家のドアを開けながら、低い声で悟浄が呟いた。

「ばぁーか。 こっちのがもっと痛てーんだよ。」

 その声が、泣いてる様に少し、震えてた。





               ―――――――――――――





 玄関に入ると、ふわっと暖気に包まれた。 体が一気にほぐれるカンジ。

 自覚無かったけど、やっぱ、寒かったのね、俺。

 つかんでた八戒の腕、離して、ずんずん居間まで歩いた。

 あんまり腹立って、ナニ言ったら良いか解んねぇ。

 ドスンとソファに座って、振り返ると、八戒がやっと入ってきた。。

 立ったまま。

 完全防備の防寒具も全部、着けたまま。

 おまけに手にはマフラーまで持って。

 翠の目が不安げに揺れてる。 よせよ、似合わねぇ、そんなツラ。

 お前は、ニッコリ笑って嫌味言ってりゃイイんだよ!

「悟浄、何をそんなに怒ってるんですか?」

「わっっかんねぇの? お前!」

 遠慮がちな問いに、悟浄はソファに座ったまま、大声で答え、翠の瞳は大きく見開かれた。 紅の視線が、切なそうな怒っている様な色を湛えて、八戒を捉える。



「だって、死んでないってだけだったんだぜ? お前と会った頃の俺って?」



 ―――ソファも本棚も灰皿も、無かった。 俺が生きてる証なんか、残したく無かった。



「それがナンで、今、生きてるって、思ってんだよ?」



 ―――生きることナンざ、反吐が出るほどカンタン。 そう、思ってた。



「大事なモンなんざ、無かった俺がよ?」



 ―――愛情なんか無くたって生きて行けるって。



「ナンでわかんねーの? 大事なモンが出来たからじゃん?」



 ―――自分が許せなかった。 産まれて来た事、それ自体が罪だと。



「三蔵やらサルやら、・・・・・お前やら」



 ―――髪と眼が、俺に与えられた罪の象徴だと。 ・・・・・その意識は、まだ残ってるけど。



「あ〜〜〜〜、もう! そんな事、ナンで俺に言わせんの?」



 ―――お前はコレを血の色だって言ったじゃねーか!



「悟・・・じょ・・・、そんなつもりじゃ・・・・」

「ワガママなんだよ、てめーわ!」



 ―――そんな、俺によく似た・・・・・!



「悟浄・・・・・」

「俺はお前に惚れてんの! それで充分だろ!? これ以上、ナニが欲しいっての!?」



 ―――そう、きっと、あの瞬間から、惚れてた。



「悟浄! もう、良いです!!」

 八戒が、体ごとぶつかって来た。 その勢いで、俺、ソファに押し倒されちまった。

 奴の手が俺の背に回り、きつく抱きしめる。

「ごめんなさい・・・・・大好きなんです、貴方が。 ・・・・それだけ、なんです!」

 真紅の髪に顔を埋め、囁くように八戒は言った。



 ・・・キタ。 胸に、キタ。



 俺も抱きしめ返す。 ってか、倍返し?

「バカ。 まだ、髪濡れてんじゃん。」

 ちょっと苦しそうに息を詰めて、俺を見上げる八戒の唇に、俺の唇を合わせた。

 キモチのイッパイこもった口付け。

 

 ―――どれだけ口付けを交わせば、この胸の切なさは、伝えられる?

 ―――どれだけ愛撫を尽くせば、この想いの深さを刻み付ける事が出来る?

 ―――どれだけ体を重ねても、どうやったってひとつになんかなれねぇ。 ・・・ンな事、解ってる!

 ―――けど、そうせずに、いられねぇだろ!?

 ―――他のヤリ方、知ってるヤツが居るなら、教えてくれ!!

 ―――俺は、他のヤリ方なんざ、知らねぇんだから!

 ―――だから、こうするしかねえじゃねーか!!



 俺の、多分いつもより荒っぽい愛撫に、八戒はいつも以上に応える。

 体中に、紅い標しを刻み付けた。 弱い所を、執拗に攻め続けた。

 何度も、何度も、キスをした。 深い、でも甘くは無い、キス。 

 八戒が、ナニ言ったって、離さなかった。 ずっと一つで居たかった。

 八戒、いつもは押さえ気味の吐息なのに、俺の腕の中で、イイ声聞かせてくれた。

 そんなのに煽られて、俺も突っ走った。

 かなり、突っ走った。





               ――――――――――――――







 果て無いかと思われる程に互いの欲望をぶつかり合わせ、互いの熱を吸い尽くした二人は、心地よい疲労感と未だ鎮まりきらない熱の中に居た。

 体を離そうとする悟浄に、彼の腰を手で抑えることで意思を伝えた八戒は、恋人の体重を受け止める。

 恋人の肩越しに、顔を枕に埋める悟浄。 八戒はその、硬く張りのある真っ直ぐな紅い髪に、白く長い指を伸ばし、絡みつけるように弄びつつ、囁くように伝える。

「・・・・僕、好きです。 ・・・この髪。」

「・・・・・・・ん?」

 未だ整いきらない息の元、悟浄が返事を返す。 翠の瞳が見える位置まで、体を起こした。

「綺麗な、紅。 ・・・・この」

 そう、言いさして、八戒は指を今度は目元に添えた。

「・・・この瞳も好きです。」

「・・・・・・・ん。」

 悟浄の頬に掛かる白い手に、褐色の骨ばった手が重なった。

 はにかんだ様に潤む翠眼に、紅の瞳は吸い寄せられる。



 ―――うん、こいつがイイって言うんなら。

 ―――この髪と眼もイイかも。

 ―――そんな風に、思えるかも。



「悟浄?」

「・・・ん?」

「・・・・どうしたんですか? ・・・・・僕、何かヘンな事、言いました?」

「え?」

 褐色の手ごと移動して、白い指が頬に伝わる雫を優しくぬぐう。

「何を泣いているんです?」

 ―――泣いてる? 俺が? ・・・・・・・ナンで?

 自覚した途端、涙腺が壊れた。

 悟浄は、白い手をつかんだまま、まるで悪事を暴かれた罪人の様な性急さで、再び枕に顔を埋めた。

 言葉も、呻きさえ発する事無く、ひたすら枕が濡れるまま、静かに、静かに悟浄は泣いた。

「悟浄・・・・・・」

 八戒の、自由な方の片腕が、紅い髪ごしに背に回され、赤子をあやすように優しく撫でる。

 未だ解放されていない手が、痛い程の強さで握られていた。 こらえきれずに時折、痙攣のように背が僅かに上下する。

 その力と動きだけが、八戒に恋人の涙を感じさせた。

 こんな風に泣く人なのかと胸が熱くなり、背に回した腕には知らず力がこもる。

 誰の眼にも触れぬまま、それは留まる事を知らぬように流れ続けた。

 何の涙なのか、本人にも釈然としないまま。

 ・・・・・・・それは、安堵の涙だったのかもしれない。







 ―――悟浄の涙を見た事のある人なんて、きっと、そう何人も居ない。

 ―――でも、僕の前で(っていうか、腕の中で?)彼は、泣いてくれた。

 ―――それだけで、充分です。



 いつしか涙の治まった悟浄は、照れ隠しなのか、髪を顔の前に垂らす様にしたまま、タバコをふかし続けている。

 暖かい沈黙の中、彼の温もりを今までに無く身近に感じながら、八戒が呟くように言った。

「・・・・・・不思議ですねえ。」

「・・・ナニが?」

「だって、僕と悟浄って、正反対じゃないですか。」

「そぉーかぁ?」

「そおですよ。 ・・・だって、悟浄は大人で、僕は世間知らずで。」

「はん?」

 ―――瞳の色だって、悟浄は暖炉の熾き火の様な深い赤、僕は明るい翠。 ・・・・“補色” 正反対の色だ。

「僕、実は結構、腹黒いんですけど、悟浄って見た目と違って良い人じゃないですか。」

「どーゆーイミかな? 八戒チャン?」

 悟浄のセリフは無視され、夢見るような口調で、八戒は続ける。

「悟浄は色黒で僕は色白で・・・・・・悟浄は筋肉質、僕はひょろひょろ・・・」

「おめーがアタマ良くて知性派、俺がバカで肉体派ってか? ・・・・ったく!ナニ言ってんだろ、このヒト。」

「・・・・・・はい?」

 照れた様な、不貞腐れた様な口ぶりで、

「ばぁーか。 俺とお前はオンナジだよ。 正反対なんかじゃねー。」

 低く、悟浄は言った。

「でも・・・・」

「だってこの眼が・・・・この髪が、血の色に、見えたんだろ? 今はともかく、はじめはサ?」

「・・・・・・」

 髪で顔を隠したまま、タバコをふかしつつ、悟浄は続ける。

「根っこんトコが、オンナジ、なんだよ。 そんなコト言ったヤツ、お前だけだぜ?」

「・・・・・・・・え?」



 ―――あれ? そうなんだ。

 ―――なんだ、そうだったんだ。

 ―――なあんだ。



 くすくすと、笑いを漏らし始めた八戒に、気味の悪いものでも見るような視線を送る悟浄。

 その眼は、虹彩以外も赤くなったままだ。



「悟浄、鼻のアタマも、真っ赤ですよ。」

「・・・・・! この! 笑ってんじゃねぇ!」

 笑いを治めぬままに、八戒は悟浄の背に、再び腕を回した。

「大好きですよ、悟浄。」

「・・・・・うん。」



 お互いの背に回した腕に、力がこもる。

 夜は、更に深さを増した。







 

                     END









                   ああ、長い・・・・。

             最後まで読んで下さって、ありがとうございます。

         “補色”から始まった、イタイ頃の二人のお話は、これで完結です。

   この頃はかわいいけど、書いてるほうが恥ずかしくなりますんで、キツイ部分もあったりして。

   今回は、色々と詰め込みすぎてしまって、構成に苦労した割には、まとまり無くなってしまった。

                    反省しきりです。

         (でも、これ以上は、・・・・限界です・・・。 ああ、ヘタレな私。)



            今度からは、もうちょっと大人の二人を書きたい。

         ・・・・と、思っています。 ・・・思うだけは自由だしィ・・・みたいな。



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