『補色 The Red Side 〜a Fact〜  』2004.08.26






 CAUTION!     この作品には成人向け描写が含まれています。

 


 


 緒八戒という名を持つ者は、何者だろう?

 

 与えられた名は未だ違和感を持って僕の耳に響く。

 

人間であった者。 ・・・・・・人間ではない。 多分、妖怪?

 

・・・・でもそんな自覚も無い。 以前とは違う“違和感”を感じる位。

それは日常レベルで感じられる、些細な事だ。

例えば、以前ならとても持てなかっただろう重い物を持ててしまったり、怪我の回復が異常に早かったり。

 例えば、以前なら気づかなかったであろう空気の動きや、人の気配、視線を感じたり。

 

―――そう、視線。

僕にはちゃんと解っていた。

気遣わしげな赤い瞳が、時々遠慮がちに僕を見つめてるのを。 そういう時、僕が振り向くと彼は視線をそらす。

いつも真っ直ぐに人の目を見るくせに、その時はそらす。

「僕は気付いてますよ?」

そう、伝えてしまいたい衝動に駆られるときがある。

「そんなに心配しないで。僕には分かってるから。貴方が優しい人だって。」

―――言ってやろうか。・・・・・・いつか、言ってやろうか。



 補色 

The Red Side

a Fact




始めは贖罪の色だった。

深い赤。

 

地獄に落ちると―――落ちたと、目覚めて思った。見知らぬ場所.

体が重い。あちこちが酷く痛む。地獄なんだから、当然?

でもその割に寝具は暖かく、柔らかだった。見上げる天井はこすけた白。

―――もっと毒々しい所かと思ってた。

「地獄って、意外と庶民的なんだなあ。」

「わぁるかったな、庶民的で。」

視界に入ったのは、赤。

「・・・・・・死にたかった?」

――――思い出した。雨の中、気づいて見上げた時目に入った“赤い人”。

あの時、この人が殺してくれると思った。

あの人だ。

 

 その人は、“沙悟浄”と名乗った。

沙悟浄はかいがいしく世話を焼くでもなく、僕の負担にならない程度にケアをし、ほおっておくでもなく、僕が困らない程度にそうっとしておいてくれる。

 いつも飄々として、本気なのか冗談なのか分かりにくい、微妙な軽口ばかりきいた。

ずうっと家に居るので、構わず仕事に行ってくれというと、決まった仕事はしていないと言った。

自分のどうでも良いような話は沢山したが、僕には何も聞いてこない。 何ひとつ。

・・・・・居心地が良かった。

いつの間にか僕は、問われた訳でもないのに自分の事を語っていた。

―――そう、僕は懺悔していたんだ。

赤い髪と目に。 贖罪の印に。

 

 Guilty 


 

新しい名を与えられ、僕は生き続ける事を選んだ。

八戒と云う名は戒め(いましめ)という字を抱いている。

改めて生きて行こうと決めた頃から、僕は自分に戒め(いましめ)を課す様に自ずと考えていた。

もう、誰も愛さない。―――この血まみれの手で誰かに愛を与えられる訳が無いから。

誰も愛さない。―――神に一生を捧げる人の様に。

僧侶は神の為に生きる。―――では僕はいったい何の為に生きる?

『お前が生きる事で変わる事もある。』

三蔵はそう言ってくれた。――――そう、僕は変わらなければ。生きてゆかなければ。

―――何の為に?

 

―――心の底までどす黒かった、あの瞬間の夢を見る。

きっと、例え千の血を浴びたとしても、あれ程までに荒みきった心でなければ、あのお

ぞましい変化は訪れなかったに違いない。

 体中の組織が変質していく感覚。

 髪の毛の一本すら残さず、体の奥底から爪の先まで全身が痛みともつかない不快な違和

感に包みこまれた。

夢の中で、僕は何度もあの瞬間を体感してしまう。

 その時は心の底まであの時と同じ様に荒みきる。―――僕は僕であって僕ではない何者かに変化している。

びっしょりと汗をかいて、夜中に何度も目がさめた。

 

 悪夢から目覚め、まだ深い闇の中で僕は一人泣くことがある。

・・・だって僕は生徒達の親も殺してしまった。 気づくと子供達まで手に掛けていた。

誰が許しても僕自身が許せない。 僕の手は血にまみれている。 僕の罪はけして消えない。

でも、僕は生き続けなければ。 手を差し伸べてくれた人達の為にも。

昼間、悟浄と居ると、暖かい赤色をした、柔らかい空気の中に紛れてしまうそんな思いが、夜、部屋で一人になると僕を責める。

『ごめん、花喃。ごめん、みんな。』

悪夢は延々と続き、体も心も休まらない。

 きっと、これが僕に与えられた罰。



 Repose  

 

 

「俺ンとこ、来る?」

・・・・・・・・でも、悟浄がそう言ってくれたから、新しい生活を始めようと思った。

森の中にポツンとある、小さな家。 居間には暖炉もあり、彼の人柄を示すような、素っ気無いくらいシンプルな調度とあいまって、誰でも受け入れる空気を持った家だ。

僕は個室を与えられ、仕事が見つかるまで居候で良い、と悟浄が言うから、当面甘えさせてもらうことにした。

(取り敢えず掃除だけはさせてもらったけど。)

 

暮らし始めて一月ほどの間、悟浄は毎日朝食を食べ、夕食も家で摂ると言う規則正しい生活をしていたが、ある日、箍が外れたようにマイペースに変わった。

 いや、多分、これが元々の彼の生活なんだろう。 それまで気を使って合わせてくれていたんだろう。

・・・・・・そんな風に、彼の優しさはさり気ない。

 最初、僕の名前すら尋ねなかった様に、今も僕の心理に強引に入って来る事は無い。

 何か気付いているとしても、気付かぬ振りをしていてくれた。

そして、時折感じる、彼の視線。

気遣わしげに、そして、気遣っていることを僕に悟らせまいとするように、彼は僕をひそかに見詰める。

僕が負担に感じずに済むように、家のことを任せてくれる。 

元々、一人で暮らしていたのだ、彼は。

全てを僕に頼らなくても、充分やって行けるだろうし、僕に小言を言われる筋合いは無いのだ。

なのに、彼は「へいへい」と、面倒臭そうに応じながら、僕の指示に従う。

(俺、ダメダメだから、八戒よろしく。)と、照れたような彼の赤い瞳が語っている。

初めて見た時、“贖罪の印”“懺悔の対象”であった赤い髪と目は、今、暖かい安らぎと不安を纏って僕の傍に居てくれる。

つかず離れずの距離感が、心地良い。

 

 精悍と云って良い容貌と、大雑把に見える言動に惑わされがちだが、悟浄はとても繊細な心遣いの出来る人だ。

人が受け入れやすい、適度な距離感とさりげなさを伴った優しさは、こんな僕にすら、安らぎに似た環境を作ってくれる。

  赤は、暖かい色だな、と、思う様になった。


 A Quarrel

 

 ――――雨だ。

 かなりのどしゃ降り。

 こんな日は、出来れば一人で過ごしたくない。

 今日は珍しく悟浄がずっと家に居る。 暇でしょうがないのか、僕のやる事にいちいち

「お、ナンカ手伝うことねぇ?」

 等と言って纏わりついてくる。

 この様子なら今日は出掛けないのだろう。 正直、助かる。

 男二人、時間を持て余すのもどうかと思い、お酒を呑み始めた。

―――こう云うときの悟浄は愉快な男だ。 友人が多い様だが、うなずける。

げらげら笑いながら、仲間内の話や下ネタを連発した。 よく食べ、よく呑む。

 楽しい酒になった。

そして、何度目の事か、僕が氷を食卓に持って来ると、妙に据わった目をした悟浄が口元に皮肉っぽ

い笑いを浮かべていきなり言い出した。

 

「お前さ、ちゃんと寝てる?」

・・・・・正直、あまり寝てない。

「え? 何の事です?」

「・・・・・・気付いてないと思ってた?」

「嫌だなあ、絡み酒ですか?」

 早くこの話題から離れたかった。

 悟浄はグラスに口をつけながら、赤い瞳に強い光を湛え、上目遣いにこちらを見ている。

硬く張りのある真っ直ぐな赤い髪は、後ろでゆるく結ばれていたが、だいぶ解れて顔にかかっている。

こんな様子は、浅黒い肌や頬の傷もあいまって、妙な色気を感じさせた。

 呟くように、続ける。

「とぼけんなよォ、てめー。 毎晩うなされてやがんだろォがよ。 バレバレだっちゅーの!」

「・・・・・悟浄・・・・・」

 ――ちょっと悔しかった。気付かれないよう、完璧に過ごしてると思ってたのに。

悟浄はニッと笑うと、背を伸ばし、腕組みして、

「俺が思うにだなぁ、」

うんうんと首を縦にふりつつ声のトーンを上げた。

「眠れない夜は、キレイなおねーさんに添い寝して貰うのがイチバンだって事だよ、八戒クン! モロモロ忘れて、ひと時の安らぎを・・・・・・ってヤツ!」

「あはは、悟浄、酔っ払うとオヤジくさいですねえ。」

 ―――悟浄、目が笑ってない。

「俺はマジで言ってんだけど?」

「マジでって、何をですか?」

「女だよ、オンナ! ・・・ってか、お前、オンナ何人知ってんの?」

「何ですか、自慢? はいはい、確かに僕は悟浄には敵いませんよ。」

 赤い瞳に苛ついた色が見える。

「――じゃなくて、お前だよ! お前に聞いてんの!」

「そんな事、悟浄に関係ないじゃないですか。」

「・・・・・・てめーはよ、素材イイんだから、ニッコリ笑って“ヨロシクね”って言やあ、ヨリドリミドリだろうぜ? ココロの入ってない笑顔はお前、お得意なんじゃねえの?」

 悟浄が黙ると、窓の外で激しく降る雨音が聞こえて来た。

 “心の入ってない笑顔”、ね、成る程。 バレバレって言いたいんですかね?・・・失敬な。

・・・・・お望み通り、笑顔は消しましょう。

「僕はいいですよ。 女性は悟浄にお任せしますから。」

「・・・・・お前、オンナ、嫌い?」

「そんな事は無いですけど・・・・・・」

わざとらしい、からかうような口調で、唐突に悟浄は言った。

「え?・・・・何、お前、ねーちゃんしか知らねーの?」

 瞬間、こめかみが熱を持った。―――酒の上とはいえ、・・・・言い過ぎです。

「それが?」

「だぁから! そんなンなっちまうんじゃねぇの? 色んなオネ―サンとシテみてもイイんじゃねーかって、言ってんだよ! 俺は!」

「他人の事、ほおっておいてくれませんか?」

 赤い瞳に怒りが閃いた。

「ほっとけっかよ! 毎日毎日、夜中にデカイ声で叩き起こされてんだよ、こっちは! エ

ラそーな事言うんなら、うなされてねーで熟睡してみやがれ!」

 ―――ゲームセット。 ここまで言われて、もう此処には居られない。 立ち上りながら言った。

「・・・・・分かりました。 ご迷惑をお掛けしてたみたいでスミマセンでした。 僕、出て行きますから。」

「って、ナニ言ってんだよ!」

悟浄が慌てた。 知りませんよ。 今更。

「今夜から、安眠できますよ、多分。」

背を向けて去ろうとすると、悟浄に腕を?まれ、向き合う形になっていた。

「出てくって、何処行くんだよ!?」

 押し殺したような声が、怒りを込めて響く。 いつしか纏めを失った真っ直ぐな赤い髪が、半分顔にかかって、瞳に宿った強い光を覆い隠そうとして、隠しきれて居なかった。

「ほおっておいて下さい! もう、ご迷惑は掛けませんから!」

「ダレが迷惑だって言ったよ!?」

両腕を押さえられて、身動き出来ない。

「離して下さい、馬鹿力。」

「離さねーよ。 離したらてめー、出てくんだろ。」

「・・・・・・・・何時までもこうしてるつもりですか?」

悟浄の顔に赤みが差す。 急激に近づく。

「・・・・・・・・・!」

 目の前が真っ赤な髪で覆われ、唇が塞がれていた。

 口の中に悟浄の舌が差し込まれる。

(――――馬鹿にして!)

 容赦なく舌に歯を立てると

「っつ!」

悟浄の力が緩み、僕は腕を振り解いて逃げる。 身一つで、雨の中に走り出た。

 背後から声が聞こえた気がするが、何を言っているのかなんて気にならなかった。

 

 Punishment 


 

どこまでも走って行こうと思った。 息の続く限り。 行くアテなんて無かったけれど、あそこに戻れないと言う事だけはハッキリしていたから。

 悟浄、あんな事を言うような(する様な)人だとは思っていなかったのに。

 でも、花喃を侮辱したのは許せない。 悟浄が悪いんだ!

 

 ―――走り疲れて座り込んだ。

 肺が機能以上の処理能力を要求され、悲鳴を上げている。 激しい雨に打たれながら、周りを見回した。

 木立ちと言うより森と言いたくなる様な、鬱蒼と茂る木々の間、距離感さえ失いそうな闇。

 この辺りは街燈も無く、此処が何処なのか判断する術が無い。 横殴りの吹き降りで、木々の様子も常とは違っているだろう。

 閃光が走る。 一拍おいて雷鳴が轟いた。

 一瞬閃いた光の中に、花喃の姿が見えた気がした。

(花喃・・・・・・やっぱり、君の所しか、僕の場所は無いのかな。)

『悟能、ごめんね。』

(・・・・・・・そうか、そこにも行っちゃ、いけないんだね。)

何時の間にか、雨に打たれている感覚が無くなって居た。 粘る様な闇が、以前にも増して深く僕を包み込む。

 ――ふと、異臭を感じて振り向くと、血まみれの男が立っていた。

(・・・・・・・!)

『何を言っている! そんな血まみれの手で居場所だと!』

自分の手を見ると―――血にまみれて・・・・・真っ赤!

「うわあぁぁ!」

手だけじゃない、服も血でぐっしょり・・・・・! 気付くとまだ生暖かい様な、鮮血の臭いが辺りを覆っている!

『一人の犠牲で皆が救われたんだ。』

『お前が、お前一人が我慢すれば』

『ぎゃあぁぁぁぁぁ!』

『助けて!』

 

「――――止めてくれ―――――!」

 

これは、夢だ! いつも見る悪夢だ! そうだ、このまとわり付くような粘りのある闇! 走って逃れようとする僕の足に絡み付き、動きを重くさせる。 逃れようと滅茶苦茶に手を振り回した。

 

――――――――ズシャ!

 

何かに当たった様な感覚。 見ると、血まみれの手には匕首(あいくち)が握られていて・・・・・・

『せん・・・せ・・・い』

―――肩口から腹に掛けて、無残に切り裂かれた子供がふらりと立っていた。 手から血にまみれた匕首が落ちる。

『どう・・・・・・・して』

崩折れる子供を抱き止めようと手を伸ばす。 腕の中で息絶えようとする、自分の生徒だった子供の名を呼んだ。

泣きながら繰り返し、繰り返し。

気付くと、僕は死体に囲まれていた。 恨めしそうに意思の無い視線を向ける者。 あられもなく足の根元まで露にした、女性。 極限まで見開かれた目。 顎が外れるほど大きく開かれた口。 庇う様に赤ん坊を抱いた老人。 意思を無くした腕に護られて、ぐずる赤子。

 ・・・‥・僕が造った、地獄絵図。

・・・生徒だった子の名を呼ぶ声は次第に大きくなり、声の大きさと反比例して、言葉は意味を失って行く。

 僕はいつしか声を限りに、ただ、叫んでいた。

 贖罪の叫び? まさか。 ただ、自分に同情してただけだ。 僕は、ぬるい。

 許してくれとは、思わなかった。

 許しては、貰えまい。 少なくとも、僕は、自分に許される事は無い。

 止め処無く、涙が流れる。 自分の罪の重さを思い知る。 与えられる罰におびえる。

 手前勝手な! ますます、自分を嫌悪する。 僕は、醒めない悪夢に身を任せなければならない。

 これは、罰だから。 甘んじて受けなければ! でも。 心の一番奥で、最も深い所に居る僕が叫んでいる。

 ―――夢なら、覚めてくれ!

 

ドクン

『おや、反応ありですか。』

ドクン

 ―――嫌だ。

ドクン

 ―――これは、嫌だ!

ドクン ・ ドクン

「あああああああああ!」

 全身を貫く不快な違和感。 爪の先まで、髪の毛の一本まで。 痛みともつかぬ、違和感が体中を駆け抜ける。

 ―――僕は変わってしまう。 僕は僕じゃ無くなって・・・・・・・・!

 

記憶は深い沼の様に、じっとりと重くまとわりつく。 僕は記憶に絡めとられて、抜け出せない。

 夢なら覚めるのに。

 

(ああ、やっぱり)

 

(僕に与えられた罰はこんなにも・・・・・・深い・・・・・)

 

 


[ To Be Continued For 補色 The Red Side 〜 Sensibility 〜 ]

―――――――――――――――――――――――――――――――――

・・・・・・・・続きます。

 
 




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