『貴方がいて、僕がいて 〜Latter part』2004.09.20

 



 当初は三人だけのささやかな誕生日会だった。とはいえ、これも八戒の人柄のなせる業なのだろう。風の噂を聞きつけた顔なじみ達が次々と宴に加わり、夕方までにはちょっとした祭りへと様子を変えていた。普段はひっそりとした小さな家には人が溢れ、誰が何処にいるのか解らない状態だった。酒宴は嫌いではない八戒ですら少しの疲れを感じるくらいに。
 しかし八戒はそのような色を表には決して出さず、絶えず綺麗に笑い続けていた。これだけの人が自分の誕生日を祝ってくれたことが嬉しかった所為もある。それ以上に常に笑い声の絶えない今に、何も考えずに済むと安心できたのだった。

 祭りがお開きになった頃には、さすがの悟浄らも相当に酔いが回ったのだろう。悟空は蒸籠を抱え悟浄は酒瓶を抱えたまま、それぞれテーブルを枕に寝入ってしまっていた。
 僕もこれくらい酔えたら良かったのに。少しも酒に酔えないでいた八戒には酷く羨ましく映った。仕方なく無防備な寝顔と浮いては消える記憶を肴に、ひとりグラスを傾けていた。確か去年もこんな風にこの二人、いや三人は潰れたんだっけな、と笑いながら。それに去年は不機嫌さを三割増にした三蔵もいてくれたのにな、と口唇を噛みながら。
 もしかしたら今日のうちに来てくれるかもしれない。まさか自分本位なあの人が来る筈ない。
 八戒が酒に酔えないのは、不毛という自問自答の所為だった。考えまいと決めた割に、結局は忘れることも割り切ることも出来なかった自分が酷く情けなかった。常々自分が思い悩むと相当に落ち込む性格であることは解っていた。しかしここまで女々しいとは思ってもいなかったと、思えば思うほど本気で涙が出そうだった。
 柱の時計が午前零時を打つ
―――年に一度きりの祭りへの終わりを告げても、結局三蔵は現れなかった。今日からまた当てのない生活が始まるのだと、八戒は音に合わせてため息をついた。全ては昨日という日へ無駄な期待をかけた自分が悪い。自身を嘲笑うように笑ってみると、幾分気分が楽になった。こんな思いが厭なら、いっそ離れてしまえば楽になれる。出来もしない発想を出来ると思いこめば、免罪符を得た気分になれた。
 これ以上ぼんやりと飲んでいるのは心と躰の毒とばかりに八戒はグラスを置いた。とにかく別な何かをしていたかった。悟浄たちを起こさぬよう静かに食器を台所に運ぶと、緩慢な動作で後かたづけを始めた。しんと静まり返った部屋に響く水音は盛大ではなかったが、独り言くらいは隠してくれそうな音量だった。ついため息の数も多くなり、八戒は無意識のうちに仕舞ったはずの胸の内を吐き出していた。
「解っちゃいるけどさ・・・どうせあの人は、僕の気持ちなんかまるで考えてないんだ・・・。」
―――おい、それは俺のことを言ってんのか?だったらざけんじゃねえぞ。」
 奇麗とはいえない単語を紡ぐ、耳に心地よく通る声は薫風のように澄んだ音。仮に周囲がどれだけ煩かろうと、その声だけは絶対に聞き逃さない自信が八戒にはあった。手を拭く事も忘れ八戒が慌てて声の方向へとって返すと、目の前の光景に声を失った。
 先程まで八戒が座っていた位置には、頬杖をつきグラスを傾ける三蔵が座っていた。幾分伸びた髪を鬱陶しそうにかき上げる仕草や、金冠に正装という息を呑む出で立ち全てが幻に思えた。しかし流す紫苑の高貴さや厳しさは本物。それは決して怒っているものではなく、八戒が落ち込んだ原因に対して呆れているだけのようだった。
「さ・・・ん・・・っ!何故・・・?!」
「ったく随分な挨拶だな。人が折角来てやったというのに、何だその態度は。」
「え、あ・・・ごめんなさい・・・。でも・・・っ!」
「まぁいい。ついでにひとつ聞くが、お前にとって誕生日ってのはそんなに大事なものか?」
 一日思い悩んだ事をあっさりと指摘され、八戒は再び言葉を失った。八戒自身、誕生日が大事だとは思ったことはなかった。三蔵が来てくれるから大事なだけ。一言で済む言葉が言えないのは三蔵自身の所為なのだと、八戒は逆に言い返してやりたかった。尤もそれが出来るのならば、今日一日悩んだりしなかったのだが。
 三蔵がつけた煙草の火が灰皿の中でもみ消されても、八戒からの答えはなかった。それでも気の短い三蔵にしては珍しく、答えを急かそうとしなかった。つまらない回答なら要らない、と言うことなのだろう。手持ち無沙汰から二本目の煙草に火をつけてようやく、解らない、と揺れる翡翠が答えた。
「・・・解らないです。でも誕生日があるから、こうして貴方と話が出来るわけでしょう?」
「それが何だ?」
「それがって・・・もういいです!言ったところで、どうせ貴方は解ってくれないんですから!」
「お前にしちゃ上出来な答えだ。」
 思わず感情が先走った八戒には、何処が上出来な答えなのかは解らなかった。不覚にも目が霞みそうになり、きつく口唇を噛んでも答えは見つからなかった。ただ目の前にある、憎らしいくらい冷淡な笑みが恨めしかった。
 三蔵が人の言葉を無視するのはお手の物。だが人の心まで無視している訳ではなく。音もなく立ち上がった三蔵は、馬鹿かてめェは、と黒鳶の髪に指を差し入れた。しなやかな指がゆっくりと背後に廻る様は、我慢を重ねた子供をあやしているかのようだった。
「あんな煩せぇ所じゃお前と話すら出来ねぇだろうに、とでも言えばお前は満足か?」
「・・・!い・・・いえ・・・。」
「だったら、院に来たけりゃいつでも勝手に来りゃいいじゃねえか、とでも言えばいいのか?」
「・・・いいえ。実は僕、三蔵が思っている以上に欲張りですから。」
 やはりこの人は自尊心のかたまりなんだ。丁寧に言葉を選びながら八戒はゆっくりと微笑んだ。三蔵にしてみれば、八戒が欲しい言葉を渋々並べたつもりかもしれない。決して間違いではないが、それは違う意味も持っていた。『八戒が欲しい』のではなく『三蔵が言いたかった』言葉でもあるのだと気付くのに、大した時間は要らなかったからだった。
 悟りきった微笑を前に三蔵は、一度しか言わねぇからな、と伏せ目がちに吐き捨てた。自分の言葉を待たれていると思うと、途端に言葉が見つからなくなるからだった。苛立ったような軽い舌打ちには相当の照れくささが含まれていた。
「誕生日なんざ大事にする前に、お前はもう少し自分を大事にしろ。だから下手な遠慮なんざしてんじゃねぇよ・・・。」
 
―――いつでも逢いたいと思うのは俺も同じなんだから。
「え・・・?ねぇ、もう一度言って・・・。」
 はっきりとした音にすることは、恥ずかしさと自尊心が赦さなかったのだろう。続けた言葉は八戒がようやく聞き取れた程度に小さなものだった。更に誤魔化すように三蔵は開きかけた口唇を引き寄せると、自分の口唇で言葉を絡め取ってしまった。
 八戒にしてみれば、全てがあっという間の出来事だった。欲しかったものを一気に手渡され、それらを整理する間もなく今度は甘いキスが降ってきたのだから。これが夢なら酷すぎるかもしれない。全てを成り行きに任せていた意識は、三蔵が踵を返すまで戻ってこなかった。
「あ・・・何処へ?!」
「しばらく留守にする。うぜェ猿は置いてくから、お前が適当に世話しとけ。」
 どの位の期間などは一切言わない。おまけに悟空は完全なペット扱い。相変わらずの素っ気ない背を慌てて追うと、表で三蔵を急かす数人の僧侶の姿が見えた。寄り道などしている暇はない、とか、何故昼のうちに出立しなかったのかと問いただす声と共に。
 疑っていたわけではないが、三蔵が忙しいのは本当だった。下手をすれば、今さっきの時間すら無かったのかもしれない。ぼんやりと八戒が一行を見送っていると、今度は八戒が呼び戻される番だった。悟浄か悟空が目を覚ました気配がしたのである。
「ん・・・今だれか・・・そうだ、三蔵がいたような気がするんだけど・・・。」
「いいえ。きっと悟空の気のせいですよ。」
「そうなのかなぁ?何か三蔵と同じ匂いがするんだけどな・・・。」
 気配で目を覚ました悟空に、相変わらずの綺麗な笑顔が答えた。しかしその笑顔を無視するように悟空は鼻を利かせるように辺りを見回していた。生活を共にするだけあってか、微かな薫衣香の匂いを嗅ぎ分ける能力は流石だった。自分の勘は絶対に間違っていない。人恋しそうな表情はそう言わんばかりだった。
 八戒にしてみれば、悟空には三蔵が此処へ来たことを悟られてはならなかった。今悟空に気付かれてしまえば、後を追って行くのは目に見えている。それでは三蔵の意志を邪魔してしまうのと同じだからである。
 再び、気のせいですよ、と悟空に言い聞かせ八戒は洗い物を済まそうと台所へ戻りかけた。
「あー、そうだ!俺三蔵から八戒に渡しておけって頼まれてたものがあったんだ!きっと昨日中に渡さなきゃいけなかったんだろうけど・・・。」
「・・・うっせぇぞチビ猿・・・テメーの声は脳に響くんだから、ちったぁ静かにしろよなー・・・。」
「誰がチビ猿なんだよ、この酔っぱらいエロゴキ!お前はそうやって一生沈んでりゃいいんだよ!」
 早くも気分が悪いのか、悟空の声で悟浄も不機嫌そうに目を覚ました。そんな悟浄に相変わらずの反論投げつけた悟空は、ポケットから二つに折り畳んだ袋を取り出した。差し出された袋はひどく薄っぺらく、質感というものがまるで感じられなかった。意外にも金だったりして、と片頬を上げる悟浄を無視して袋を開ける指は酷くもどかしそうだった。さっき三蔵は何も言わなかったのに。そう思うと八戒は不思議で仕方がなかった。
「え・・・これって・・・?」
「えぇ?!何それ?!」
「三ちゃんってば意外にお茶目ー・・・ってか天然?!それとも柄にもなくウケでも狙ったぁ?!」
 袋の中から出てきたのは、水仕事などに使うゴム手袋だった。誕生日プレゼントとしか思えないシチュエーションに、誕生日プレゼントとは思えない代物。このギャップに悟浄と悟空は腹を抱えて笑い出した。しかし、その声に取り巻かれても八戒が共に笑うことはなかった。見開かれた翡翠は逆に、驚きから嬉しそうな色へと変わっていった。
 八戒は本当に綺麗な手をしていると以前より評判が高かった。しかしよく見るとその手は、日々の炊事仕事の所為で細かく荒れていたのである。勿論そのまま炊事をすれば傷は痛むし酷くなる一方。だが女じゃあるまいし、と手荒れくらいで八戒は愚痴を零そうとはしなかった。意外に意地っ張りな性格と共に巧く隠し続けていたのだった。
 見ていないようで、三蔵はきちんと見ていてくれた。自分の心配をしろと言い残した意味がようやく理解でき、八戒は改めて残された言葉を噛みしめていた。誕生日に逢う事だけに拘った自分に少しだけ反省しながら。
「しっかし随分と安上がりな誕生日祝いだよなー。あのケチ坊主に八戒からも何か言ってやれば?」
「いえ、僕にはこれが一番なんです。それに三蔵から貰ったのは、これだけじゃないですから。」
「じゃあ何?ゴム手の他に何かイイモノでも入ってたわけ?」
「・・・えぇ、僕が一番欲しかったものが。」
 他に何かあると言われ、二人の目は瞬く間に輝き始めた。この場合、興味を持つなと言う方が酷である。紅と金色の目が勇んで八戒の手元を覗き込むのはほぼ同時だった。しかし袋を持つ手が背後に廻る方が僅かに早く、中を見ることは出来なかった。
「これはダメですっ!悟浄たちが見たら価値が減っちゃうんですからっ!」
「えー何でだよー!八戒のケチー!」
「何だよ、別に俺らが見たって減るモンじゃねーだろぉ?」
 相当に酷い言い草に聞こえるが、八戒にしてみればそのくらい大事なものが詰まっていた。
 自分の事をどんなときも見ていてくれた優しさ。表には決して出さない思いやりという心。袋の中に入っていたのはそれだけだった。
 今頃の三蔵はくしゃみが止まらないでしょうね。ふと八戒は別れ際に見た必要以上の無愛想を思い出した。その無愛想も今は更に愛おしく思えた。態度の一端に、このプレゼントについて追求されるのが厭だったのだなと気付いたからだった。
 訳が解らず不満そうな二人に微笑みを残し、八戒はゴム手袋を手に足取りも軽く台所へと戻っていった。勿論、貰ったゴム手袋を使って後かたづけを終わらせてしまうために。

「・・・でも、チョットだけ安上がりすぎる・・・かな?」





この時代にゴム手袋なんてあるの?というツッコミは無しで願います。
まぁゴールドカードがあるんだから、きっとあると信じたいです。
#ちなみにゴム手はピンクを想像してました☆(もういいから)
それと相変わらず乙女すぎる八戒さんに脱力。その代わり三ちゃんの
俺様度は一割増(当社比)ですが。
いつもは三蔵受なワタシが八戒受SSを書くのはこの時期くらいな
ものだと思われます。仕方ないなと見逃していただければ幸いです。
#後はリクがある時くらい?
場違い+おこがましいと思いつつ、後編を八会の皆さまへ謹んで☆
ハピバスデー、八戒サン♪

きゃら 拝
(2004.9.20)

 
 

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