『夏祭り』2004.08.15

 

遠くで、何かが弾けるような音が聞こえた。
それと同時に、藍色に染まった夜空に色とりどりの花火が散る。

 「あぁ、もう始まってんな。」

傍らの悟浄の声が、打ち上げられる花火の音に重なった。



 花火大会に行こうと誘ったのは、悟浄だった。
二人が住むこの町では、年に一回、お盆の期間中に大きな花火大会がある。
祭り好きな人間の多いこの地域ではもってこいの行事だ。近隣の町村からも
大勢の来訪者がある、案外有名なものでもある。花火は川原で打ち上げられるため、
その日は川沿いの広場は、人や出店で一杯になる。
 八戒も悟浄も、『花火』を見るのは初めてではない。
ただ、『楽しむ』ということが出来なかっただけだ。
事実、悟浄は八戒に比べて在住歴は長いはずなのに、一度も花火大会に行ったことは
ないようだった。
あまつさえ、誰かと一緒に花火を見るなんて二人とも今迄有り得なかった。


 だから、昨日の夜に悟浄が「明日暇なら、花火大会一緒に行かねぇ?」と言ってくれた
時には、少しの驚きもあったけれど、心底嬉しかった。
そのことが、何だか二人の間をもっと近しいものにしてくれるような気がしたから。
悟浄の照れくさそうな様子を思い出して、八戒はくすりと笑みを洩らした。
「何笑ってんだよ。」
隣を歩く悟浄が訝しげに尋ねる。萌黄色の浴衣を着た八戒に合わせて、グレイの
渋い浴衣を身に着けた彼は、いつもよりも精悍に見える。
八戒達と同じように花火大会に遅れて行く者はまばらで、舗装されていない小道では
親子連れや、恋人を急かしているカップルが時折往来するだけである。時々彼らが
擦れ違いざまに視線を送ってくるのを八戒は気付いていた。

 きっと、悟浄に見惚れてるんでしょうね。

のほほんとそう考える八戒には、「綺麗ねぇあの黒髪の人v」という言葉は聞こえなかった
らしい。
「何でもありまセン。さ、早く行きましょ。花火、終わっちゃいますよ。」
にっこりと微笑んで、八戒は悟浄の指に自身の指を絡ませた。悟浄が、それに答えるように
八戒の肩を抱き寄せる。

 広場までは、もうすぐだった。


 
 「綺麗・・・。」
思わず、八戒の口からそんな言葉が洩れた。
人々の雑踏の中でも、頭一つ分高い悟浄と八戒は花火をよく見ることが出来る。
間近で見る花火は、荘厳な迫力があった。耳に響く打ち上げの音、浮かぶ火の造形。
それが跡形も無く散っていく様―――。

赤、緑、橙の光が、咲いては消えていく。

この美しさは炎色反応によるものだと分かってはいるが、それでも目を奪われてしまう。
理屈を越えて、心に訴えてくるものなのだろうか。
人間が生きてくる中で、作り上げてきた造形。
古人は消えてしまうものの儚さに美を見出したというが、その美観をこういったものに
込めたのだろう。
ただの、目を楽しませるもの。でも、目だけじゃなくて心も満たしてくれる。
そうでなければ、こんなに惹かれるわけが無い。

 ――不思議ですね。前の僕には、こんなものを綺麗と思うことなんてなかったのに。

物の価値、素晴らしさは見ている者によって変わるという。だったら、こう感じられるように
なったのは、自分が変わったから。そして、自分を変えてくれたのは――。

 ・・・・あれ?

つらつらとそこまで考えて、八戒はふと気付いた。
先刻まで傍にいたはずの悟浄の姿が無い。

 ――もしかして、はぐれちゃったんですかね。参ったなぁ。

八戒は人込みを見回した。長身に紅い髪の悟浄は見つけやすい筈なのだが、今は
影も形も見当たらない。何か買いに行ったのかと露店の方にも視線を向けたが、浴衣姿の
小さな兄妹が楽しげに走っているのが目に入っただけだった。
 一体、何処へ行ってしまったのか。

 と、不意に腕を引かれた。

驚いて振り向く間もなく引っ張られてゆく。
「こっち、こっち。」
紛れも無い悟浄の声。
八戒は安堵する反面、悟浄の突然の行動に困惑しつつ、彼のなすがままに群集の間を
縫っていった。



 着いたのは、広場の裏側の土手道だった。
ここからだと花火の打ち上げ場所から少し離れている為、殆ど人はいない。背後から、人々の喧騒や花火の音が
小さく聞こえるだけだ。
勿論外灯など無く、広場から洩れてくる明かりが足元や背を照らすのみだった。
「どうしたんですか、いきなり。」
ようやく手を離した悟浄に、八戒が尋ねる。遠くでまた花火が上がり、そして散った。
「そろそろだな。」
八戒の言葉には答えずに、小さく呟いた悟浄に、八戒は不思議そうな目を向ける。頬を、
夜の涼しい風が掠めてゆく。
「八戒。後ろ。」
「え?」

一拍間をおいて。

「あ・・・・。」
振り向いた八戒の目の前で、大きな、大きな花火が上がった。
見たことも無いほど、綺麗な花火。
緑と赤に彩られた花は、その場にいる者全員を包み込むように、軌跡を描いていく。
一際大きな歓声が聞こえた。
「綺麗だろ?」
悟浄の声にようやく八戒は我に返る。
「祭りの一番の見所、大花火。一年の残りを幸せに過ごせるようにって、願いを込めて打ち上げられるんだってよ。
 ここは特等席なんだ。誰も知らねぇ。俺が見つけたんだぜ。」
悟浄の表情には、少年のようなきらきらした笑みが浮かんでいた。
八戒が見惚れていたのが分かって、嬉しいんだろう、きっと。
こういうのを見ると、本当に子供っぽいなぁって思ってしまう。
でも、そんなところが愛しいのも確かで。
「ええ、綺麗です。」
八戒は目を細めて答える。でも、湧き上がってくる気持ちは、それだけではなかった。

 嬉しかった。純粋に。何故だかは自分でも分からないけれど。
 それでも、この感情の理由を探る必要など無いのだろう。

「一年が終わるまで、あと四ヶ月。幸せに過ごせるといいですね。」
「・・・当然。」
八戒が呟いた言葉に、悟浄は断定の形で短く答えた。確信を持っているかのように。
いや、決意の表れだったのかもしれない。
でも今はそんなことなどどうでもよかった。
言葉と共に耳を甘噛みされ、八戒が小さく身を捩る。
そっと抱き締められ、深くまで唇を合わせて洩れる吐息すら、夜の闇に吸い込まれてゆく。
全ての思考が溶かされる、この飛び切りの瞬間。

  
   貴方は、知ってるでしょうか。
  こうやって、貴方に抱き締められている時が。
  貴方と一緒にいる時が。
 
    一番、幸せだということ。

  ただ一人の人に、こうやって愛してもらえて。愛することが出来るなんて。
  僕は、本当に幸せ者ですね。
  だから、どうか。
  貴方といられるこの時間が、ずっと続きますように。


 

数多の人の願いを乗せた花火は。
高い夏の夜空に昇って、見えなくなった。






                                     end








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